第3話 ミツハ

「わーっはっはっはっ! 獲物だ獲物だ!」


 男の子は私を頭上に掲げながら走る。


「えもの……」


 逃げたい。


「みぃぃいつぅううはぁぁあああ」


 けれど、追いすがってくる木像は生えた先から踏み越えて生え、さらに崩れ落ちながら腕を伸ばしてくる。逃げた先に未来がないのも明らかだった。森が流動している。


 建物に衝突してコンクリの壁を砕き。


 アスファルトを捲り上げ、地面さえ波打たせるような木々の動き、とんでもないものに巻き込まれている。危険生物という領域ではない。


 危険地帯だ。


 そしてそんな場所を、瓦礫や建物を、身長の何倍もの高さまでひょいひょいとジャンプしながら駆け抜けていく男の子も異常だ。私は、重くはないけど、大人だから普通の子供に持ち上げられるような体重ではない訳で。


「おい。女、名前は?」


 しかも話しかけてくる余裕まで。


「……あ、あなたこそ」


 私は言い返す。


 ジャンプする度に、心臓がキュッとして生きた心地がしない。着地の衝撃だって軽くはないはずなのにピョンピョン跳ねて、何者だ。


「オレ? オレか? ミツハだ」


「みつは」


 女の子みたいな名前だ。


 そしてさっきから森が叫んでいるのは名前だった訳だ。この森のモンスターと知り合いで、敵対的でありながら生き延びている。


「そっちは」


「マコト……」


 素直に教えた。


 コミュニケーションを取って情報を得る必要はある。獲物に未来があるのかはわからないが、問答無用で食べに来る訳ではないという意味でまだ話は通じると言えるだろう。まだ生きることを諦める段階じゃない。


「マコト、少し息を止めろ」


「へ?」


「潜るぞ!」


 ミツハは大きく踏み込んで飛び上がると、私を抱え込んだ。小さな子供の身体なのに力強くて、なんだか不思議な感覚になったのも一瞬、着地点に見えてきた水の流れに意図を理解して息を止めようとしたときにはもう思いっきり水を飲んでいた。意識はあっさりと飛ぶ。


 ぺしぺし。


「あ」


「息を止めろって言ったろ?」


 ミツハは私のおでこをペチンと叩く。


「水に入るならそう言って……」


「杜民がああなったら逃げる手段は限られる。水に入って臭いを消すってのは手っ取り早い方法だ。東京で生きるなら覚えとけ。ほら、火に当たれ、風邪引くぞ」


「え、ああ……どうも」


 薄暗い空間を見回す。


 トンネル、どうやら下水道の跡であるようだった。壁には枯れた木が張り付いていて、流れている水がやたらと透明で、臭いは燃えている木の香りぐらいだ。


「服が乾くまでそうしてろ」


 ミツハは壁の木を剥がしながら言う。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 まだお礼を言ってなかった。


 焚き火に手をかざす。


 どうやって火を点けたんだろう?


 ボロボロ半袖にすり切れた短パン、ミツハはなんの道具を持ってる風でもない。枯れた木は細い枝が多いから種火があればある程度は燃やしやすいにしても、それらしい道具は。


「ん? ああ。感謝することないぞ?」


 剥がした木を細かく手で折って火に投げ込む。


「あそこまで自力で逃げてなかったら間に合わなかったからな。若いマコトは労働力になる。それを確保するのもオレの仕事だ」


「……は、働けってことですか」


 タダで助けてはくれないか。


「東京じゃみんな働くが? 外は違うのか?」


 ミツハは首を傾げた。


「いや、外も働きますけど」


 そういう意味じゃなく。


「じゃあ、変わらないだろ?」


「こ、雇用形態? お給料とか……」


 私はなにを言ってるんだろう。

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