第2話 杜民

「荷物……っ」


 逃げることを考えてバックパックの方を見ると、すでに木像が群がっていた。これからのことを考えると捨ててはいけないが、取り返す状況にもない。どうする。


 いや。


 なぜ荷物に群がっている?


「にんげん」「にんげん」「にんげん」


 周囲に増えていく木像たち。


 男や女、子供の声が混ざり、周囲を埋め尽くすように地面から生えてくるそれらからは逃げるしかなかった。立ち止まってはいられない。


 生えない場所。


「そっか」


 瓦礫や崩れた建物の上を駆け抜けながら、私はハッと気付く。あれらには目がある訳じゃない。人の形はしていたが、地面から生えてくる植物ならばこちらを把握する方法は別に。


 熱? 臭いか?


 一ヶ月背負ったバックパックに私の臭いが。


「にんげん」


 上から降ってきていた。


「ウソでしょ……」


 対処法を思いつく間もない。


 空を覆う巨木の枝、その一部が私に反応するように蠢き、そして木の実を生み出すように人型の木像を落下させてきている。


「に」


 ぐにゃり。


 落下した木像は瓦礫に着地するでもなく、腕や頭を容赦なく叩きつけてひん曲がって、部分的には割れた。さらに次々落ちてきて、頭や腕や、脚が吹き飛んでいく。


 こん、ごしゃ、こここん。ぐしゃ。


 みしみしみしみし。


 建物が倒壊するような音を響かせ、私の周りに木像が降ってくる。もう止まれない。走って踏み越えていくしかなかった。だが、折れた腕の先の手は私の脚を掴もうとしたし、かさかさと動く指先を何本も見る。


「どういうこと? どう……」


「にんげん」


 地響きのように声が大きくなる。


「……合体した!?」


 背後を振り返って私は絶望する。


 走って振り切ってきたつもりの木像たちは連なり、さらに巨大な人の形をした木像へと変わっている。二十メートルか三十メートル、周囲の建物より大きく、手を伸ばすだけで私を捕まえられることがわかる。


「おいしそう」


「美味しくない! 私、食べても……」


 ぐうん。


 伸びてきた腕は瓦礫をなぎ払い、その手は鉈を突き立てようとした私を構わず掴んで持ち上げる。近くで見ると幾重にも木像が重なり合っているのがわかって気味が悪かった。こんなモンスターがいるなんて聞いてない。


 食べられる。


「成功すれば出国の資金にはなる。それでお姉ちゃんを聖母教に連れていく。女なら、どんな病気でも治せる力があるんだって。だから」


「マコト、危ないことはやめて。病気なんか治らなくてもいいから。知ってるの。もう、死ぬことは……あと、少しだけど、一緒にいて」


 姉が死んだのは、出発の三日前だった。


 間に合わなかった。


 目的を失ったのに、私は東京に来た。火葬される姉を見ることもなく逃げて、死にたかったのかも知れない。こんなにあっさり死ぬつもりはなかったとは思うけれど。


 会えるのかな。


「お? 若い女だ」


「?」


 それは男の子だった。


 私を掴んでいる巨大な手の上に乗って、巨大な人の形がその口に向けて腕を動かしていく流れの中でぐらつくこともなく屈んで、私を見つめている。金色の髪と真っ赤な瞳をした。


杜民とみんが人を食う瞬間に拘束が解けるぞ。助けてやるからオレの手を掴め。いいな? ほれ、もう、すぐ、だっ!」


「……はい」


 なぜその手を掴んでしまったのだろう。


 巨大な口に放り込まれる私の手を引っ張り、男の子は軽々と抱きかかえ、その口の中を重力を無視した動きで駆け上がり、空中へと飛ぶ。


「くぅうらぁあ、ミツハぁぁあああああ」


 森が叫んで揺れていた。


「杜民! 久々の贄だったろうが、こっちも若い女は久々なんだ! 悪く思うなよ!」


 男の子は森に向かって叫び返す。


「え゛?」


 純粋に助けてくれた訳ではないことは明らかで、私は抱きかかえられながら早くも後悔していたし、結局は別のモンスターに捕まっただけだということもすぐに知ることになる。


 そんな風に、私は東京に脚を踏み入れた。

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