未来の閻魔様

低田出なお

未来の閻魔様

 第107代閻魔大王。それが私の肩書きである。死者の魂と対峙し、生前の罪を裁く。地獄の長、閻魔大王様である。

 そのはずである。そのはずなのである。

 にもかかわらず、私はちっともその役割を果たしていない。無論、サボっているわけではない。やる気はある。それに見合う能力もある。

 では、なぜ仕事が出来ていないのか。

「ひ、人が死なん」

 来ないのだ。死者の魂が。仕事を引き継いでから一人たりとも。

 どうなっている。頭を抱えてもう何百年経っただろう。こんなの聞いていない。前任者は目の下にどす黒いクマを作って「運が良ければ百年に一日は休めるよ」と言っていたのに。百年に一日どころか百年以上休日が続いているではないか。

 「ダメだ、だる過ぎる」

 机に積みあがった書類を手の甲で押し退け、背もたれに身を預ける。無駄に装飾の凝った大きな椅子は、何度申請しても背もたれが後ろに倒れるよう改修してくれない。

 腰をずり落とし、天井を見上げる。描かれた赤黒い文様は、定期的にやってくる鬼たちを思い起こさせた。

 地獄で働く鬼たちは、揃って契約や取引の仕事に勤しんでいる。皆一様に真面目で、決して自分の領分を超えて働くことはない。故にこの部屋にやってくるのは事務処理の一環としてのみであり、小粋な雑談の一つ付き合ってくれないときたものだ。

「いっそ職権乱用して、あいつらに相撲でも取らせてやろうか」

 机にばかり向かっていないで、たまには運動しなければ体は鈍るばかりだ。あの立派な体格も勿体ない。部下の健康状態は改善し、私は暇つぶしと憂さ晴らしを達成できる。もしかすると、これは名案かもしれない。

「よし、本当にやってしまおう」

 もぞもぞと椅子を背に、膝を机の裏にぶつけながら起き上がった。

 ばさり。

 音が鳴った。聞き覚えのある音だ。一気に顔がこわばる。頭の中が「視線を下げたくない」という一心に支配された。

 しかし、そういうわけにもいかない。嫌々、私は視線を音がした方へと向ける。予想通り、先ほど押し退けた書類が机の上に無い。代わりに机の向こう側の死角から、そこへ落ちていった書類の一部が見えていた。

 立ち上がり、それを拾いに行く気力は、もう無い。わずかに湧いたやる気も、書類と共に飛んで行ってしまった。私は項垂れ、そのまま机に突っ伏す。

 もう今日はやめよう。こんな状態では大して仕事も進まない。今日中に終わらせなければならない最低限の仕事は終わらせてあるし、なにより、どうせ、誰も来やしないのだ。

 瞼を閉じる。壁に吊るされた大きな時計から聞こえる秒針の音が、緩やかな眠りへと導いてくれるように感じた。

 ばすっ。

 音が鳴った。聞き覚えのない音だ。私は頭を少しだけ持ち上げて、音のした方へ視線を向けた。

 音の出どころは、部屋の扉の前にある招来用の提灯だった。

「んんう?」

 私は目を細めてその明かりを見つめた、招来用の提灯である。死者の魂を出迎える二つの明かりが、粛々と輝いていた。

 死者の魂を迎える為の、明かりである。

「……っはあぁっ!?」

 声を上げて飛び起きる。腰が勢いよく机にぶつかり、その衝撃で先ほど生き残っていた書類たちが落下していった。

「まずいまずいまずいまずい!」

 来るのだ。魂が。今から。どたどた転がるように机から這い出ると、落とした書類を拾い上げる。そしてそれらを机上の残った資料と共に、引き出しの中へと押し込んだ。

 椅子の後ろに並ぶ本棚から、裁きに用いる諸道具を引っ張り出す。名簿に帳簿、天秤に笏。その他諸々。必要なものを一通り出し終え、荒くなった息を整える。

 ばすっ。

 提灯の炎がより大きくなり、魂の招来に備えが進む。背中を冷や汗が伝った。

 そうだ。裁きの対応を確認しよう。一度机の上の物を脇に避け、深い引き出しから引き継ぎの際に受け取った教本を取り出す。もう百年単位で触れていないそれはひどく埃っぽかった。

 ばすっ。

 炎にせっつかれながら教本を開く。何度も読み込んだものではあるが、初めての裁きなのだ。何があるか分からない。基本に忠実に、今までの前例に則り、迅速に進めなければならない。

 ばすっばすっ。

 二度の炎の明滅。それは魂の招来の合図だった。息を飲み、教本をしまう。口の中が嫌になるくらい乾いていた。

 提灯の前の床に文様が浮かび上がり光を帯びる。しばらくすると、光の模様の向こうから、浮かぶように膝を抱えた人物が通り抜けてきた。聞いていた通りである。

 それは一回転した後、ゆっくりと床に体を下ろすとそのままへたりこんだ。

 やって来たのは子供と大人の間くらいの女だった。女はやがて眼を開けると、辺りを見渡し、それから私を見やった。

 視線がぶつかる。緊張を悟られぬよう、声を張った。

「ようこそ地獄へ。さあ、貴様の人生の清算を始めよう」

 こちらの言葉を聞き、女は視線をそのままに体を縮こませた。その様子を見ながら名簿を手に取る。

「さて、名を訊こう。貴様の名は?」

「…番号の事でしょうか」

「…番号?」

 無表情の顔からで発せられた、細く、頼りない声に思わず顔を顰める。この女は何を言っている。想定していない返答に困惑していると、手元の名簿が反応した。

 裁きに用いる名簿は魂の情報を読み取り、それらを示す。生前の行いは全てこの帳簿に記入され、それを基軸に裁きが行われるのだ。名簿に文字が浮かび上がるのを感じて視線を落とせば、そこには女の名前が記されていた。

「壱陸参壱参零玖零零壱零弐……なんだこれは」

 氏名の欄に浮かび上がったのは、無機質な漢数字だった。それも十や二十ではない。一行に収まりきらないその羅列は、行を変えて増え続ける。

「まて、まってまってって」

 静止の声は届かない。加速を付けながら増える文字は頁を跨ぎ、すでに次の次の頁にまで進みつつある。

 最終的に女の名前に相当するものは名簿の半分以上の頁を侵食し、表示され終わる頃にはもう厳格な雰囲気を身にまとう気概も無くなっていた。

「やっと終わった…。長すぎるでしょ、いくら何でも」

 眉根を揉みながら名簿をめくる。ちらと件の女を見れば、上体を起こしてこちらを見ていた。

「えーと、いちろくさんいちぜろ…。いいや。以下、貴様を壱陸と称する。これは決定事項だ」

「分かりました」

 思わず目を見開く。まさか返答が返ってくるとは、それも同意が返ってくるとは思っていなかった。それに先ほどよりもはっきりとした口調だ。どうも調子が狂う。再び眉根を揉み、名簿へ意識を戻す。

「では壱陸。貴様は…」

 なぜ自分が死んだのか分かるか。数字が並ぶ頁を掻き分け、死亡に至るまでの項目を開きながらそう訪ねようとした。しかし私には、項目に書かれた死因を理解できなかった。

 チャート693343棟の衝突実験に際し、思考移動中であった当個体の保存槽が損傷。周辺に設置された各個体への影響を考え、速やかに廃棄処理。

 それが壱陸の死因だった。

「なにこの、なに?」

 加えて、それ以外の生前の項目がほぼないに等しい。定期的に管理計画の変更とやらで部署か変わった、と書かれているだけである

 どれだけ考えを巡らせても、記載された内容が理解出来ない。どうしてようやくやって来た死者の魂が、こんなに訳が分からないのか。苛立ちを通り越して頭痛がしてきた。

 どれほど黙りこくっただろう。私は椅子に背を預け、深いため息をついた。降参であった。

 私は律儀に待っていた壱陸に話しかけた。

「なあ」

「なんでしょう」

 突然話しかけたのにも関わらず、壱陸は素早くこたえた。

「お前は生前何をしていた」

「廃棄処理を受ける直前は衝突実験の演算を行っていました」

「あー…、なぜそれをしていた?」

「管理計画によって定められた担当だからです」

「あー…」

 なんだこの体たらくは、全く聞きたいことを聞き出せない。もう逃げ出したくなってきた。

「そういうことではなくて…、えーと、なんで人間はそんなことになってる? いや違うか、そう聞くと規模が大きくなりす」

「生物は死を克服したからです」

「ぎる………は?」

 壱陸の口にした言葉は、先ほど名簿で起こっていた状態以上に理解が及ばなかった。前のめりに問いただす。

「克服した? 死を? お前は何を言って」

「Kr59年度、アカルバンー95型によって、人類の肉体から思考を取り出す技術が確立されました。この技術によって肉体は保存槽に管理され、思考は外部の影響を受けずにより正確に演算計画に従事できるようになりました」

 彼女の言葉に答えるように、名簿に図形が示される。立方体の容器になみなみと注がれた液体。その中にはぐちゃぐちゃの何かが浮かび、そこに四本の管が刺さっていた。

「この、ぐちゃぐちゃなのが、人間、か?」

「我々は人間用保育器にて育成され、演算可能な年齢になると解流処理を経てポートへ移されます。そこで演算業務を行うようになり、年齢を重ねて業務に支障が出始めた個体は思考をカートズに移動。肉体は保育器へと戻されます」

 壱陸の言葉を耳で受けとり、頭が拒絶する。そんなはずはないと否定したかった。しかし、閻魔大王の前に虚偽など存在しない。私の存在が、彼女の発言が出まかせでないことを証明していた。

 どういう理屈かは分からない。しかし、もう人間が死なない状態になっている。それはもう、疑いようのない事実だということである。

 私は再び椅子に体重を預け、目を瞑って自嘲した。頑張って勉強して閻魔になり、閻魔になってからも人が死なんと嘆いていた私は、なんと無様なものだろう。

 壱陸はなぜここに来たのかは分からないが、極めて例外的な出来事だと考えられる。もう、魂が来ることはほぼないのだろう。私は残りの任期を、ずっとこの退屈な事務仕事で終えるのだ。

 室内に沈黙が降り、数刻の間があった、そして、少しだけ熱の引いた頭に、ふと疑問が湧いた。

「なあ」

「なんでしょう」

「お前は物心ついた時には、あのぐちゃぐちゃになっていたんだよな」

「演算可能な年齢になった後は解流処理を経て、ポートへ移されました」

「…あー、とりあえず、ぐちゃぐちゃだったってことだよな」

 私は引き出しから、私物の手鏡を取り出して立ち上がった。そして、壱陸の前に行き、それを彼女の顔に突き出した。

「自分の顔って見たことある?」

「?」

「顔だよ、かお」

「????」

 壱陸の顔は相変わらず無表情だが、確実に目の前の物に理解が出来ていない。しばらく顔を振ったり俯いたりして、小さな手鏡の中の自分を興味深そうにのぞき込んでいる。

 その姿を見て、私は自身の中で愉快な気持ちを感じた。

「なるほどね」

 どうやら仕事は全う出来ないらしいが、暇つぶしは出来るらしい。

 私はにんまりと笑った。


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未来の閻魔様 低田出なお @KiyositaRoretu

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