第二十一談

 声を殺した詩音のむせび泣きが真昼の体に浸透する。


 静寂した室内で詩音の説明は続いた。


「すぐにローアが助けくれて……私は何ともなかったんだけど栄谷君は、栄谷君の腕が……」


 言葉を詰まらせながらも必死に喋ろうとする詩音をローアは優しく抱きしめた。そして詩音を真昼の横に座らせると、タブレット越しに真昼に言った。


[ここから話します]


 真昼は黙ったままタブレットに視線を落とした。すると、今まで大人しく真昼に抱かれていたちゃぼ子が急にテーブルへ飛び乗ると、まるで猫のようにタブレットの横へ座り込んでしまった。


 呆気にとられる真昼をよそに、ローアは気にも留めず話を続けた。


[その日、久しぶりにシオンが訪ねてきてくれて、夕方までずっと話していました]


[18時くらいだったと思いますが、シオンは帰る時間だと言ってここを出ました。シオンを出口まで見送った後、私は何気なくモニター越しに外の様子を見ていた。すると大木の前でシオンが辺りを見回しながら何かを言っているのに気がついた]


[何をしているのだろうとじっと見つめていると、突然シオンの前にフードをかぶった白い服を着た人間が現れた。地球人が透明になる服を着ているとは知らなかったのでビックリしました]


[白い人は片手でシオンの首を掴み、もう片方の手で何かを地面に向けて発射した。後で知ったのですが、それは指に装着する小型の射撃デバイスでした]


[白い人は、シオンの頭の近くにある射撃デバイスに手を添えて何かを言っているようだった。私はすぐに護身銃を手に取り、シオンを助けるために外に飛び出した。大きな木の前で、どこから来たのか分からないけど、あなたが探している男の子が白い人を襲っています]


[すると、なぜか男の子の右腕が急に燃え上がった。その時、私はとっさに白い人を撃ったが、狙いが逸れて頭を撃ち抜いた。そのせいで白い人は死んだ]


 “死んだ”。その言葉が強烈に真昼の意識に突き刺さった。


 手の平にはうっすらと汗がにじみ、軽い動悸と頭部が圧迫されるような違和感を感じる。学校やSNSで交わされる上辺だけの軽い言葉ではなく、その言葉が持つ本来の質量を真昼は初めて感じ取れた気がした。


[私はすぐにクオッタを呼んで少年と白い人の死体を船に運びました。シオンもショックで動けなかったので、とりあえず船内で休ませることにした]


[少年の右腕は高温に焼け焦げたようで、元の形を保っていなかった。しかも、右腕ほどではないが、他の所にもかなりの火傷を負っており、クオッタが早く手当てをしてくれなかったら、きっとそこで死んでいただろう]


[だからあなたが探している男の子はきっと休んでいます。今、クオッタは睡眠の時間を減らして右腕の治癒と再生に全力を尽くしているので、今すぐに彼を出すことはできません]


 ローアはそこまで話すとクオッタの横に座り、先ほどクオッタが運んできた赤い液体を一気に飲み干した。


「――治りそうなんですか?」


 真昼の質問にクオッタが顔を上げる。


[大丈夫です、治します]


「友達が栄谷君のことをすごく心配してるんです。せめてその子にだけでも栄谷君が生きていることを伝えたいんですが」


「それは、やめた方がいいと思う」


 クオッタに答える間を与えることなく、詩音は横から答えた。


「どうして……?」


「真昼ちゃん、分かるでしょ?こんな話をしたところで桃香ちゃんが“そうなんだ、よかったー”なんて納得すると思う?」


「それはそうだけど」


「私が桃香ちゃんの立場なら、事実を確認するために栄谷君に会わせてくれって真昼ちゃんに頼むと思うよ。真昼ちゃん、必死に頼み込んでくる私を突き放すことができる?」


 真昼は最後に見た桃香の笑顔を思い出し黙り込んでしまった。


「この場所のことはこれ以上広めたくないの――もちろん真昼ちゃんや桃香ちゃんがみんなに言いふらすなんて思ってないよ。でも、この場所について知ってる人が増えれば増えるほど、どこからか話が漏れ出す可能性も高くなってしまうでしょ?もしそうなったら、きっと姉さん達に迷惑がかかってしまうから……」


 詩音の言うことはよく分かる。2人に余計な負担を掛けてしまえば吾藍の治療にも支障が出るかもしれない。とは言え、心労に苦しむ桃香を一刻も早く安心させてあげたい。


 桃香に教えるべきか黙っているべきか、相反する2つの思いの狭間で真昼は静かに苦悩していた。


「――どのくらいかかりそうなんですか?」


 真昼の問いを受け周囲の視線が一斉にクオッタへと集中する。クオッタは動じる様子もなく淡々と答えた。


[体表の火傷治療と複製された腕の接合が完了したので、順調に行けば2日ほどで動けるようになると思います]


[本当に大丈夫ですか?]


 ローアの不安は技術的な懸念よりも、寝食を忘れて治療に明け暮れるクオッタの体を気遣ってのものだった。ローアの気持ちを汲み取ったクオッタは穏やかな笑顔を浮かべながらうなずいた。


「分かりました」


 真昼はそう言うと、詩音の方を向いて言葉を続けた。


「しおちゃん、ももちゃんにはこのまま黙っておくよ」


 思い悩んだ末、真昼は吾藍が完治するまでは沈黙を貫くことを決めた。


「ありがとう、真昼ちゃん」


 詩音の笑顔と共に周囲に立ち込めていた得体の知れない緊張感は急速に弛緩しかんし、室内は春の訪れを感じさせるような穏やかな空気に包まれた。


 しかしその場の雰囲気とは裏腹に、真昼の顔は強張ったままだった。


「それと……どうしても確認したいことがあるんですけど」


 真昼は改めてクオッタを正面に見据えた。


[なんですか]


 ところが、いざ疑問を投げ掛ける寸前で真昼は躊躇ちゅうちょした。


 自分は開けてはいけない箱を開けようとしているのではないだろうか?余計な事実を掘り起こしたがために目の前の異星人が豹変して事態が悪化するのではないか?


 様々な疑念が枷となり、真昼はその一歩を踏み出せずにいた。


 それでも最終的には真実を求める心が肥大化し、邪魔な不安を蹴り飛ばすと同時に、勢いだけで懸念の枷を断ち切ってしまった。


「月曜日にここへ迷い込んだとき、私、見たんです。……クオッタさん、あれは栄谷君だったんじゃないんですか?」


 クオッタは口を開くこと無く、怪訝な顔で真昼の次の言葉を待った。


「下の部屋で、暴れる人を押さえつけながら……」


 あの時の光景がフラッシュバックし、声が僅かに震えだす。


[どうしたの?]


 動揺する様子もなく静かに真昼を見つめるクオッタに気圧されながらも、真昼は最後の言葉を吐き出した。


「腕を……切ってましたよね」


[ああ、それはあなたの友達ではありません]


 クオッタはあっさりと答えた。


「じゃぁ誰だったんですか?」


[誰でもない。おそらく、培地から培養された腕が切り出されるのを見ていましたか?]


 突然、横に座っていたローアが声を抑えるように笑い出した。


[クオッタ、この子はあなたがしていることを見て、生きたまま人を切り刻んでいるように見えました!.]


 そこまで喋ると、もうローアは声を押さえることもなく盛大に笑い始めた。


 クオッタはローアの顔を見ながら大きく「ハァ?!」と声を漏らすと、真昼の方に向き直り慌てて喋り始めた。


[それは間違っています!絶対にありません!そんなひどいことはしません!人間を切り刻むのではなく、男の子のために培養された腕を切り取っただけです!]


[押さえつけていたのは、培地内で過剰に動き出した人工心臓を抑えるためだった!]


 クオッタはいつの間にか立ち上がり、真昼の誤解を解こうと必死に力説しているようだった。


 その横ではローアがテーブルを叩きながら笑い続けている。唖然とした真昼が、ふと視線を横に向けると、顔を伏せたままの詩音が肩を小刻みに上下させていた。


[当時は培養がうまくいかず、かなり荒れていました。あなたは本当に怖く見えたに違いありませんね。この子が必要以上に怖がっていた理由が今ならわかる]


 ローアはそう言うと、クオッタの背中を叩きながら再び笑い始めた。


 すっかり頭が真っ白になっていた真昼に、突然アマテラスが話しかけてきた。


『どうやら真昼さんの勘違いだったようですね』


 真昼は何も答えなかった。


『よかったですね、誤解が解けて。栄谷君ももうすぐ元気になるそうですし、ひとまずは一件落着ですかね?』


 アマテラスの声色は相変わらず優しげで、そして、とてもうれしそうだった。


「……何か、色々すいませんでした」


 真昼はばつが悪そうにつぶやくと、目の前にあるコップを掴み中の液体を勢い良く飲み込んだ。


 濃い赤色の液体はほのかな苦味を感じたが、嫌な後味を感じさせないスッキリとした味だった。

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