第二十談
その後も、2人は代わる代わる真昼に話しかけてきた。
[驚かせてごめんなさい]
[けがをしていませんか?]
[可愛いペットですね]
――
2人の様子は真昼が想像していた“鬼女”とはほど遠いものだった。
もちろんそれは本性を隠した猿芝居なのかもしれないが、それでも彼女達は初夏の日差しを思わせるような温かみのある空気感を持ち、その立ち居振る舞いからは相手を気遣う自然な優しさが見て取れた。
耐え難いほどの恐怖心は会話を重ねるごとに希釈され、真昼の心中で鉄条網のように張り巡らされていた警戒心も、気が付けばほとんどが撤去されていた。
(違う、この2人は笑顔で人を殺す殺人鬼だ!騙されるな私!)
アマテラスのときといい、自分はだまされやすいタイプなのかもしれない。真昼は軽い自己嫌悪を感じた。
その後、クオッタとローアは真昼達を部屋から連れ出すと、通路先の突き当たりにあるドアへ入るように促した。
不安に駆られた真昼が胸に抱いているちゃぼ子に目を向けると、ちゃぼ子は黙って首を縦に振った。
ドアの先は部屋とも呼べないような小さな空間となっており、3人と1匹が中へ入るとクオッタは壁に触れながら声を発した。
「(3階へ)」
突然、真昼は上から押し付けられるような感覚を覚えた。
(これ、きっとエレベーターだ。上に向かってるのかな)
やがて周囲に「ピー」という音が鳴り響きドアは自動的に開いた。真昼は2人に促されるままエレベーターを降りると、そこには先ほどと同じように真っ直ぐな白い通路が伸びていた。
クオッタは呆然と立つ真昼の横をすり抜けると、すぐ左側にあるドアを開けた。そしてすぐに真昼の方を向くと笑顔で手招きをした。
どうやらここに入れということらしかった。
「(つけて)」
クオッタの声と同時に天井が一斉に光を放つ。
室内には丸いテーブルが3つ置かれており、各テーブルを囲むような形でイスのようなものも置かれていた。部屋の奥には白いパーティションで区切られたスペースがあり、部屋に入るなりクオッタはその奥へと消えてしまった。
真昼達はローアに勧められるまま椅子の一つに腰掛けると、ローアもテーブルを挟んだ反対側の椅子に座った。
[先日ここに来たのはあなたでしたか?]
唐突にローアが話し出し、テーブルに置かれたタブレットには彼女からの質問が表示された。どうやら月曜日のことを言っているらしかった。
真昼は恐る恐るうなずいた。
[この場所について誰かに話しましたか?]
真昼はすぐに首を横に振ろうとしたが、寸前で思いとどまった。
(そういえば、しおちゃんには話してたっけ……でも、しおちゃんはもう知ってる風だったけど、どうしよう……)
ローアは悩んでいる真昼をじっと見つめ真昼の反応を待っていた。
「――しおちゃんには話しました」
真昼の言葉を受けてタブレットには奇妙な文字群が羅列された。それは出入り口の壁に描かれていたアルファベットとカタカナを混ぜこぜにしたようなあの文字だった。
「シオ、チャン?」
片言で話す外国人のようにローアは言った。真昼はなぜか慌てるように補足説明を行った。
「しおちゃんというのは詩音という名前の私の友達です」
すると、タブレットを見ていたローアは急に目を細めると、違和感の無いアクセントで「シオン?」と一言口にした。それを見た真昼は根拠の無い不安感に包まれそっと目を伏せた。
[シオンを知っていますか?]
「昔からの友達です」
[いつそれについて話しましたか?]
「今日の昼ごろです」
タブレットを介した尋問のような問答は続いた。途中、パーティションの奥からクオッタが戻ると、手にした濃い赤色の液体が入ったコップを真昼に勧めた。真昼は感謝の意味を込めて頭を下げたが、とても飲む気にはなれなかった。
ローアは自身の横に座ったクオッタに何かを伝え始めた。なぜかタブレットには会話の翻訳結果が表示されなかったが、ローアの話の節目節目から「シオン」という言葉が聞き取れたため、どうやら詩音についての話をしているのだろうと真昼は思った。
ローア達の会話が一段落すると2人は真昼の方を向き、何かを考えているようだった。何とも言えない居心地の悪さを感じながらも、質問攻めが途切れている今ならと思い、真昼がここに来た目的を話し出した。
「ここに」
真昼が喋りだすとローアは慌てたように右手を開いて真昼を制止し、タブレットの側面を軽く撫でた。その後“どうぞ”といった様子で右手を前に差し出したため、真昼は再び喋りだした。
「ここに栄谷君という男の子が来ていると聞いたんですが、彼に会わせてください」
2人はタブレットに表示された文字を眺め黙り込んだ。真昼は周囲の空気がますます比重を増したことを肌で感じ取ったが、桃香のためにもここで引くわけにはいかなかった。
「お願いします!」
ローアは静かにクオッタを見つめた。その様子を見た真昼もクオッタを見つめた。クオッタはうつむいたまま押し黙っていた。
しばらくしてクオッタはゆっくり顔を上げると、悲しそうな顔で真昼を見ながら短い言葉を投げ掛けた。
[それはできない]
タブレットを見た真昼は愕然とした。
「どうしてですか?!」
真昼は声を荒げた。そして、立て続けに吐き出しそうになった「もう殺してしまったんですか?!」という言葉を飲み込みながらクオッタの出方を待った。
クオッタは再び目を伏せた。
突然タブレットから「ポポポン」という奇妙な音が流れると、図形や映像、そしてペタルネスカ文字が画面いっぱいに広がった。
ローアはタブレットを持ち上げトントンと画面を叩くと、驚いたような表情をしながら画面をクオッタに見せた。クオッタは無表情のまましばらく画面を凝視していたが、鋭い視線をローアに向けると大きくうなずいた。
[少々お待ちください]
ローアはタブレットに表示された文字を真昼に見せると足早に部屋を後にした。部屋に残された真昼は高揚した気持ちを少しでも落ち着けようと、膝の上のちゃぼ子をやさしく撫でた。クオッタは無言のままうつむいていた。
「――生きてるんですよね?」
真昼は小声でポツリと言った。
翻訳機の無い今、自分の言葉の意味がクオッタに伝わらないことは当然分かっていた。それでも真昼は問わずにはいられなかった。
吾藍とはそれほど親交があったわけではないが、悲嘆に暮れる桃香や恒美の姿はもう見たくなかったし、何より、この事件の実情を知ってしまった以上、今後何も知らないふりをしながら桃香と接していくことは真昼にとって耐え難い苦痛であった。
元気な姿の吾藍をここから連れ帰る。今の真昼にとってはそれが明日からの“何気ない日常”を取り戻すただ一つの方法に思えた。
静止した室内には鈍い緊張感が充満していた。真昼の独り言以降どちらも口を開くことは無く、真昼の目的は停滞したまま時間だけがゆっくりと過ぎていった。
しばらくすると入口のドアが開き、通路からローアが入ってきた。しかし部屋に入ってきたのはローアだけではなかった。
「しおちゃん?」
その人物を見るなり真昼は席を立ち声を上げた。
入口には私服に着替えた詩音が立っていた。
「――やっぱり来てたんだね。行くなって言ったのに」
詩音は不満そうな顔で真昼に言った。
「どうして……?」
「本屋に行こうと思って家を出たときに、すごい勢いで諏訪神社の方に走っていく真昼ちゃんが見えたから、もしかしてと思って」
そう言うと詩音はローアの持つタブレットに触れながら軽く撫でるような仕草をした。
「私が話します」
ローアは軽くうなずくと、タブレットをテーブルの上に置き、詩音の肩を抱きながら寄り添うように立った。
詩音はうつむくクオッタを一べつすると、すぐに真昼の方を向き、静かな口調で話し始めた。
「真昼ちゃん、さっき私が話したこと覚えてる?今の栄谷君は、真昼ちゃん達が知ってる栄谷君じゃないって」
「――うん」
「栄谷君はね、今、大怪我をしているの」
「大怪我?」
「そう、大怪我……でも心配しないで、クオッタが必死に治してくれてるの。だから……きっと大丈夫」
「なんで……」
詩音は答えなかった。思い詰めた表情で下を向きながら、なんとか言葉を絞り出そうとしているようだったが、真実の公開を拒絶するかのように詩音の喉は発声することを許さなかった。
傍らに控えるローアが心配そうに詩音の肩をゆっくりと叩き、乱れた精神の安定を促そうとする。やがて自分の気持ちに整理がついたのか、詩音は事の続きを語り出した。
「……私をね、助けようとしてくれて……焼かれたの」
翻訳された文字を見たクオッタが眉間に深いしわを寄せながら辛そうに目を閉じる。詩音の説明は再び途切れ、説明に理解が追いつかない真昼も言葉を失っていた。
真昼は暗いトンネル内を出口に向かって懸命に走っていた。つい先程までは外界から差し込む光が目前まで迫り、この暗闇を抜けるのも時間の問題だと信じていた。
しかし真昼が走れば走るほど光は逃げるように遠のいていき、気が付けば遥か彼方で薄ぼんやりと見える程度になってしまった。
やりきれない気持ちを抱えながらも真昼は走り続けるしかなかった。
今となってはその光が本当に出口なのかも分からなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます