第十七談
真昼は絶句した。詩音の問いはあの日、義丸と2人であの場所に迷い込んだことを知っているかのようであった。
真昼は動揺する心を落ち着けながら詩音に問い返した。
「何か知ってるの?」
詩音は近づけた顔を一旦離すと、普段の温和な表情で語りだした。
「やっぱりそうなんだ。――行ったんだね、あそこへ」
「教えて、あそこは何なの?」
「じゃぁ姉さん達にも会ったのかな?」
「白い女の人のこと?」
「……何か話した?」
「遠目に見ただけだから、話は、してない……」
「ふーん。あ、そもそも言葉が分からないか」
詩音は自嘲気味に笑った。
「綺麗な人だったでしょ?」
「しおちゃん、あの人達は何なの?同じ人間には見えなかった……」
「人間?――うん、人間とはちょっと違うかなぁ。でもある意味人間なのかも」
「だってあの人達は腕を!……誰かの腕を……」
真昼は声を荒げた。あの日に見た凄惨な光景が脳裏によみがえる。
「真昼ちゃん落ち着いて。……そう、見ちゃったんだ。それはショックだったね」
「ショックって……ねぇ、知ってるなら教えて!栄谷君はあそこにいるんじゃないの?」
詩音は答えなかった。
「しおちゃん!」
「――本当は私が」
一瞬、詩音は悲しそうに顔を背けた。
「え?」
「いるよ。栄谷君はあそこにいるよ」
「生きてるの?」
「――生きてる」
「知ってるならどうして!」
「真昼ちゃん、今は会わない方がいいの。今の栄谷君は、真昼ちゃん達が知ってる栄谷君じゃないと思うから」
「何言ってるの?……どういうことなの、それ」
「……ごめんね引き止めちゃって。でも、最後にこれだけは言わせて」
詩音は姿勢を改めると真昼の目を真っ直ぐに見つめた。
「時期が来たら真昼ちゃんにも話せると思う。でも、今は姉さん達に関わらないで……お互い不幸になってしまうから」
「しおちゃん……」
「一緒にいた人にも真昼ちゃんから伝えておいて。それじゃ」
「待って、しおちゃん!」
一方的に話を切り上げ正門へ向かおうとする詩音を真昼は呼び止めた。詩音は振り向くことなく足を止めた。
「どうしてそんなに詳しいの?ねぇ!あの人達のこと何か知ってるんでしょ?!」
神罰とも思える灼熱の陽光はアスファルトの地面を焼き、不気味に沸き立つ陽炎を地表に描き出す。意思とは無関係に吹き出す汗を真昼は拭うこともなく、じっと詩音の後ろ姿を見つめた。
「――知ってるよ、ずっと前から」
そう言い残すと、陽炎に足元を歪ませながら詩音はその場を後にした。
◇
真昼は家に帰り着くとすぐに冷たいシャワーを浴びた。べとべとと体にまとわりつく汗を流しながら昂揚する精神と体をクールダウンさせていく。
(しおちゃんはあの場所を知っていた……あの2人のことも……)
複雑な思いが入り混じり、混沌とした感情が真昼の頭を駆け巡る。
(生きてるならすぐにでも助けないと、でも)
見つかれば殺される。そんな思いが逸る真昼の心にブレーキをかけていた。
(やっぱり、お父さん達に全て話して……)
真昼は今回の一件を両親にも一切話していなかった。
月曜の夜に輝夫が探しに来た時も「山奥で迷っていたら助けに来てくれた義丸君も一緒に迷ってしまい、さっき恒美君に見つけてもらいました。怖かったです」と、無理やり書かされた作文然としたことを口走っていた。
シャワーを止めると真昼は浴室を後にした。
吸水性の良いバスタオルで全身の水分を軽く拭き取ると、洗面台の上に置かれた化粧水を手に取り、手際よく上半身にミストを吹きかけた。
未使用品のような保湿クリームの横に化粧水を置くと、先ほどのバスタオルを体に巻き付けてドライヤーに手を伸ばした。
(とは言っても、こんな話信じられるわけないよね。でも、お父さんなら本気で信じて乗り込んでいくかも)
真昼は栗色のカーテンのような髪を丁寧に乾かしながら一人笑みを浮かべた。しかし、鏡に映る真昼の顔は徐々に険しい表情へと変容していく。
(……捕まったらきっと殺されちゃう)
相手の正体が分からない以上、どんなことをしてくるか分かったものではない。しかも真昼は相手の残忍性を自分の目で確かめていた。信じてほしい、でも信じた末の惨劇は見たくない。15の身の上には不釣合いな葛藤に、真昼の心は大きく沈み込んでいた。
部屋着に着替えた真昼はベッドへと倒れ込んだ。
吾藍の所在が分かった以上、桃香のためにも何とか連れ戻しに行きたいが、1人であの場所に行く勇気が真昼には無かった。
もちろん桃香に事情を説明すれば二の返事で同行を快諾してくれるだろうが、当然、真昼にその選択肢は存在しなかった。
あらかじめ状況を知る義丸も同様である。あの場所の実情を知っていようが知るまいが、最悪の結末は皆同じだからだ。そもそも状況を知っているだけに協力してくれる望みも薄そうだった。
真昼はのたうつ芋虫のようにベッドの上を転げ回った。
現段階で最も頼りになりそうなのは詩音だったが、先ほどの会話から察するにまず力は貸してくれないだろう。
孤立無援の八方塞、進退窮まった真昼が最後にすがりついた先は、やはり神頼みであった。
「アマテラス様聞こえますか?」
勾玉を握りながら真昼はアマテラスの返事を待った。
『――お待たせしました。どうしました真昼さん?』
それほど待つことも無くアマテラスは真昼の呼びかけに答えた。
「実は相談があるですが」
『はい』
「あの……」
真昼は言葉を詰まらせた。悪い人ではないことは分かっているが、見知らぬ人にそう何度も頼ってよいものか?
そもそも「あの場所にもう一度行くから力を貸して欲しい」などと言ったところで『せっかく危ないところを助けてあげたのに、おバカさんですかあなたは!』と手厳しく怒られそうな気もする。
『どうかしましたか?』
言葉を詰まらせた真昼にアマテラスは心配そうな声をかけた。
「えっと、実はですね、ちょっとワケがありまして……その、この前迷い込んだ場所にですよ?――もう一回いってみたいなぁ……なんて思いまして」
お説教をされる覚悟はできている。存分におバカさん呼ばわりするがいいさ、あとは野となれ山となれだ。自暴自棄になった真昼は、半ばふて腐れたようにアマテラスの声を待った。
しかし、届いたアマテラスの言葉は意外なものだった。
『そうなんですか?でも、勝手に入ったら怒られませんか?』
「――え?あー、そう……ですかね?」
『とは言え、相手が相手なだけに事前にご挨拶することも難しそうですね』
「はぁ……」
『しょうがないですね、ここは直接訪問してから先方にお詫び方々ご挨拶いたしましょう』
最早、“天然”とか“おっとり“の範疇を超えた何か狂気的なものを感じた真昼は、口を半開きにしたまま言葉を失っていた。
「突然お伺いして申し訳ありません。私、日向と申しますが、こちらで拉致されているクラスメートの栄谷さんを連れ戻しに参りました。失礼ですが栄谷さんはご存命でしょうか?」とでも言えというのか?
真昼は軽い苛立ちを感じた。
(ひょっとして、からかわれてる?……こっちは真剣に相談してるのに!)
初手から相談相手を間違えたことに後悔しつつ、真昼は早々に話しを切り上げようとした。
「ありがとうございます、とても参考になりました。それではこれで」
『あ、ちょっと待ってください!』
「……はい?」
悪ふざけが過ぎました、とでも言いたいのだろうか?
確かにここで怒っていても仕方がない。他に頼れる相手も思いつかない以上、些細なことでアマテラスとの関係を悪化させるのは得策ではない。
真昼は心中でくすぶる苛立ちの火を、理性で消化しようと努めた。
『念のためにちゃぼ子を一緒に行かせましょうか?場所が場所ですから、何かトラブルが起きたときにきっと役に立つと思いますよ』
何を言い出すかと思えば、にわとりが何の役に立つというのか?真昼は困惑した。
とは言え、この前はそのニワトリに助けられたこともまた事実だった。今一つ頼りなさは残るが、1人であの場所に潜入するよりは幾分ましな気もした。
「お願いできますか?」
『本当はこういったことに神使を使うのはどうかと思いますが、今はちゃぼ子にやってもらう仕事も無いので、まぁ、大丈夫でしょう。それで、これから向かうのですか?』
真昼は返答に窮した。
確かにあの場所へ向かう覚悟はできつつあったが、具体的にいつ行くのかといったことはまだ考えてもいなかったからだ。
「あーっと、そうですね、ちょっといつになるかはまだ……」
『そうですか、では、とりあえず神社で待機させておきますね。到着したら私に声をかけてください』
「あの、今日じゃないかもしれませんが……」
『大丈夫ですよ』
「分かりました。ありがとうございます」
『でも、何で急にあの場所へ行きたくなったんですか?』
「それは……」
『真昼さんも分かっていると思いますが、あそこはあなた方の常識から隔絶された、いわば超常的な場所です。好奇心だけでもう一度行きたいというのであれば、やめておいた方がいいと思いますが――先方も迷惑でしょうし』
「迷惑?迷惑しているのはこっちです!」
耐えかねた真昼は声を荒げた!
『ど、どうしました?』
「何なんですかさっきから!私が本当に困っているのに小馬鹿にするような話し方をして!私だって本当はあんな場所にもう2度と行きたくないですよ!でも、しょうがないじゃないですか……早く栄谷君を助けてあげないと、殺されちゃうかもしれない!」
『殺される?!な、何を物騒な話をしてるんですか真昼さん。前もそうでしたが、とりあえず落ち着いて下さい。ね?』
「落ち着けるわけないじゃないですか!アマテラス様!私がどんな思いであんな殺人鬼の巣窟に侵入しようとしてるか分かりますか?!」
『なるほど!わかりました、真昼さんの覚悟はよくわかりました!本当にすいません、私が浅はかでした。まずは落ち着いて話しをしましょう。いいですか?』
「いいわけないでしょ!」
『すいません!』
溜まっていた鬱憤を火山のように噴出させた真昼は、それからしばらくの間、怒りに任せてアマテラスに当たり散らした。そんな真昼に困惑しつつもアマテラスはマグマのように降り注ぐ不平不満を辛抱強く受け止めていた。
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