第十五談
『それで、そちらの様子はどうなんですか?』
(不思議な空間です。四次元域の一角を三次元域として無理やり利用しているようですが、確かにこれなら三次元体でも問題なく存在できそうですね)
『そこから基底に戻れそうですか?』
(問題無いです)
『真昼さんがですよ?』
(はい。一点だけ開放されている箇所があるので、そこを通れば移動できます)
『そう、よかった。とりあえずそこの調査は後回しですね。まずは真昼さんを元の場所に戻してあげないと』
(もう1人はどうしますか?)
『――もう1人とは?』
(男性の同伴者が居ます)
『男性?そんなの聞いてないですよ?!何、え?真昼さん誰かと付き合っているんですか?!』
(いえ、配偶者かどうかまでは)
『は、はいぐう?!そんなわけないでしょ!彼氏かって聞いてるんです!いいです、本人に直接聞きます!』
状況が全く飲み込めない義丸と、突然現れた妙なニワトリに挟まれ、真昼は次の行動に苦慮していた。先ほどまで届いていたアマテラスの声も滞り、事態の進展も無いまま薄暗い室内は微妙な空気に包まれていた。
『ま、真昼さん?』
妙にうわずった声でアマテラスは真昼に語りかけた。
「アマテラス様、それでこれからどうしたらいいんですか?!」
『え?あぁ、これから?……あぁ、そうでしたね……まぁそれは、一旦保留して……』
「保留?!保留って何ですか!お願いですから早くここから出してください!」
『あ、保留っていうのはアレですけど……それより、そこにいる殿方は一体……』
「大野君ですか?」
『その、大野君というのは、真昼さんと、その、どういったご関係で?』
「関係?関係って言われても――ただのクラスメートですよ」
『クラスメート……ただの?』
「最初は親友のももちゃんと神社に来ていたんですけど、そこに同じクラスの大野君と大網君が居て、それでなぜか私と大野君だけがこの場所に飛ばされちゃったみたいなんです」
『そ、それじゃぁつまり、その、か、彼氏とかそういうわけではないのですね?』
「かっ?!そんな訳無いじゃないですか!」
『そう、そうですよね!そうですよね!ごめんなさい、変な事を聞いてしまって!』
「そんなことより早くここから出してください!」
『そうですね、大丈夫です!すぐ戻れますよ!それでは、あとはちゃぼ子の指示に従ってください』
よく分からないテンションに包まれたアマテラスの声は再び途絶えた。
『ただのクラスメートだそうです!』
(聞こえました。それで、彼も連れていくのですか?)
『もちろんです。ただのクラスメートさんを1人だけ置いていっては可哀想でしょう』
(承知しました)
「では、行きましょう」
先ほどから無言だったちゃぼ子はくるりと背中を向けると、自分についてくるよう真昼達を促した。
真昼もそれに従うが、理解が追いつかない義丸だけがその場を動こうとはしなかった。
「大野君行こう」
「いや、行こうって……そもそも、そのニワトリは何なのさ?普通に喋ってるけど……」
真昼は何と説明したものかと頭を悩ませた。事の成り行きに混乱する気持ちはよく分かるが、一刻も早くこの場を離れたい真昼としては、今ここでこれまでの経緯を説明するには時間が惜しかった。
もどかしさから強い言葉を使いそうになる自分を押さえながら真昼は訴えた。
「ごめんね、後で詳しく説明するから。今は黙って私についてきて」
あの部屋の光景を目撃してからの真昼は明らかに様子がおかしかった。ショックで塞ぎ込んでいたかと思えば、突然、そこに誰かがいるかのような調子で感情豊かに独り言をこぼし出した。
義丸は悲しかった。真昼の頭がおかしくなってしまったと思った。
真昼がこの場所に戻ろうと言い出したときも、本当は恐怖と無気力感から動きたくはなかった。それでも結局動いてしまったのは、たとえ心が壊れてしまったとしても、真昼には嫌悪感を持たれたくはないという思いからだった。
部屋に到着すると、真昼は「神様」と言い出した。挙句の果てには突然現れた喋るニワトリの言葉を真に受けて「私についてきて」と言う。正気とは思えなかった。
それでも真昼の望む自分を演出するため、猜疑心や恐怖心といった生存本能に根ざしたものさえねじ伏せてしまうほど義丸の心は盲目的に真昼へと隷属していた。
消え入りそうな声で「わかった」と言うと、義丸はゆっくり立ち上がった。
2人が同行の意思を示すと、ちゃぼ子は暗闇から這い出してきた時とは違い、よちよちとした足取りでまっすぐに歩きだした。
背後を気にしながらも、2人はゆっくりとちゃぼ子に追従した。ところが、傾斜の浅いスロープを下りた先でちゃぼ子は突然歩みを止めてしまった。
「ここです」
ちゃぼ子は真昼達の方を振り返るなり、無感情に告げた。
「ここ?」
真昼は唖然とした。ちゃぼ子の立っている場所は2人が最初にこの建物へと迷い込んだ場所だった。
「ちゃぼ子ちゃん、ここって、どういうこと?」
真昼の問いかけが終わらない内に、ちゃぼ子は横へと移動した。ちゃぼ子の立っていたすぐ先には、真昼にも見覚えがある意味不明な図柄の描かれた壁があった。
「どうぞ」
真昼を見上げながら無表情にちゃぼ子が促す。
「――え?」
「どうぞ」
困惑する真昼を気にも留めない様子でちゃぼ子は再度促した。
「いやいや、そんな突然どうぞって言われても……どうしたらいいの?」
真昼の質問にちゃぼ子は2,3度目をぱちくりさせると、端的に質問の回答を口にした。
「そのまま進んでください」
「そのまま?」
「進んでください」
「だって壁が」
「壁の直前に次元タラップがあります」
「な、なにそれ?」
ちゃぼ子は相変わらず無表情のまま首を横に傾げた。それから少し間を置くと、再び感情の無い声で語りだした。
「元の場所に戻るための道が壁の前に存在します。あなた方には見えないかもしれませんが、どうか私の言葉を信じてそのまま進んでください」
「見えない道?そんな、ゲームじゃあるまいし……」
後ろで真昼達のやりとりを聞いていた義丸は、鼻で笑いながら独り言のようにつぶやいた。
「信じようと信じまいと道はあります。それはゲームの話ではなく現実の話です」
義丸には見向きもせずちゃぼ子は言った。義丸は薄笑いを浮かべたまま何も言い返さなかった。
「――壁に向かって歩いていけばいいんだね?」
意を決したように真昼は壁をにらみつけた。ちゃぼ子は「そうです」とだけ答えた。
「行くよ、大野君」
真昼は軽く目を閉じると、壁に向かって歩き出した。
突然、雑多な草木と肥沃な腐葉土の入り混じった匂いが真昼の鼻腔に飛び込んだ。
幾重にも響く虫の大合唱が休息していた鼓膜を刺激し、明らかに踏み応えの違う地面からは、足を進めるごとにパキパキといった小気味のいい音が伝わってきた。
ゾクゾクした感覚が肩から頭頂に向けて駆け抜ける。真昼は躊躇なく目蓋を上げた。
真昼は暗闇の中に一人佇んでいた。
月明かりが薄っすらと周囲を照らし、傍らでは大きなクスノキが真昼を見下ろしている。真昼はクスノキの横を幹に沿って歩きだした。
半周ほどしたあたりで少し開けた場所に到着し、幹の根元には膝の高さほどの小さな祠があった。夜の闇に沈んでいるとは言え、真昼には全てが見覚えのあるものであった。
(――戻れた)
小さな祠を見つめながら真昼は気の抜けたようなため息を吐き出した。
すると背後からパキパキと小枝を踏みしめる音が聞こえ、何か珍しいものでも見回すかのように首をせわしなく動かす義丸が姿を現した。
「戻れた」
真昼は疲れきった顔に笑みを浮かべながら義丸に言った。
「戻れた」
義丸は何が起きたのか分からないといった面持ちで真昼の言葉を繰り返した。2人はそれ以上一言も無く、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
すると、いつの間にか真昼の足元に立っていたちゃぼ子が口を開いた。
「案内を終了します」
ちゃぼ子はそれだけ言い残すと、近くの薮の中へよちよちと消えていった。
「あ……」
ワンテンポ遅れて真昼はちゃぼ子を引き止めようとしたが、既にちゃぼ子の姿はどこにもなかった。
「行っちゃったね」
「もう何が何やら……」
その時、薮の向こうから射し込む強い光と、その薮を乱暴に掻き分けて進んでくる音が辺りに響いた。
真昼と義丸はとっさにクスノキの陰に隠れながらその様子をうかがった。
光の主は広場に到着すると、その光でクスノキの周囲を右へ左へと慌ただしく照らし回っているようだった。
「ツネ!」
不意に義丸が友人の名を呼びながらクスノキから飛び出した。
「――ヨッシーか?」
光の主は恒美だった。恒美は驚いた顔で義丸のそばに駆け寄った。その様子を見て真昼もクスノキの陰から歩み出た。
「バカ、お前!どこ行ってたんだよ?!お、日向さんもいるじゃん」
「悪い、突然変なトコに行ってて……」
「変なトコ?……まぁ無事なら何でもいいや」
恒美はその場にしゃがみ込むと、心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「ずっと探しててくれたんか?」
「ああ、気が付いたらお前までいなくなっちまうだろ?そんで俺もパニくっちまってさ」
そう言うと恒美は義丸の脚を軽く小突いた。
「そっからしばらく探してたけど全然見つからなくてよ、大分暗くなってきたし、とりあえず下に居た斉藤さんに事情を話して2人でお前らの家に電話してさ、あ、日向さんの親父さん相当取り乱してたみたいよ?」
恒美の言葉に真昼は苦笑いを浮かべた。
「そんでとりあえず斉藤さんには家に帰ってもらって、俺はライトとか取りに急いで家に戻ったってわけだ」
「そっか……」
どこか上の空な2人の様子に奇妙な違和感を感じた恒美は、真昼の方に顔を向けると妙に真剣な面持ちで問いかけた。
「日向さん、ヨッシーに変なことされなかった?」
「はぁっ?!」
義丸が弾かれたように恒美の方を向く。それを見た真昼は思わず吹き出してしまった。
「大丈夫、助けてもらっただけだから」
「そう、それならよかった」
恒美もその場で笑い出した。2人の様子に何かバツの悪さを感じた義丸は、
それからしばらくの間3人はとりとめのない雑談に興じていたが、唐突に恒美が立ち上がると、2人を見ながらうれしそうに「そんじゃぁ、帰るか」と言った。
◇
先頭の恒美が道を照らしながら深い藪を抜けたころ、3人は妙な声が下の方から聞こえてくることに気づいた。
声の主は男性らしく、相当切羽詰まった様子で何かを呼んでいるようだった。
息も絶え絶えな呼び声が拝殿前の広場辺りから聞こえたとき、恒美と義丸は苦笑いを浮かべながら真昼の方を向いた。
真昼は恥ずかしそうに2人から視線をそらすと、拝殿に向けて一人駆け出した。
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