第十四談

「だから分からないんです!歩いていただけなのに突然ここに!」


『でも、そこは!いえそれより、体は?体は何ともないんですか?!』


「え?あ、はい。今の所は……無事です』


 突然声を荒げて心配するアマテラスに、真昼は溜まっていた毒気を抜かれたかのように静かに答えた。


『よかった。でも、どうしてそこに三次元体のあなたが……それで、そこはどんな場所なんですか?』


「どこかの建物の中みたいです。全体的に白くて、見たことの無い物が沢山あります」


『建物?白い建物……』


「それより早く助けて下さい!そばで誰かが死んじゃって、私達も見つかったら殺されちゃう!」


『ころっ?!そこに何かいるんですか?!』


「多分女の人だと思うんですけど、2人います。でも肌が異常に白くて、首にもおかしなものが付いてます」


『どうしてそれを早く言わないんですか?!』


 先ほどよりも強い調子でアマテラスは語気を上げた。一瞬、真昼は釈然としないものを感じたが、心を落ち着かせてボソリと答えた。


「――すいません」


『今ひとつ状況が飲み込めませんが、とにかく、身の安全の確保が最優先ですね。大丈夫ですよ、必ず助け出してあげます!』


 アマテラスの力強い言葉を聞き、真昼はそれだけで真っ暗な心に火が灯る思いがした。


『まずは――そうですね、真昼さんがそこへ移動したとき、最初にいた場所まで戻れそうですか?』


「え?」


『その場所に恐らくゲート的な何かがあると思うんです。もし無かったとしても何かしら手掛かりになるものがあるはずです』


「あそこまで戻るんですか?」


『無理はしなくていいですよ』


「多分、いけると思います」


『そうですか。でも、危険と感じたらそれ以上の行動は謹んでくださいね。それと、その勾玉を決して手放さないでください。それが無いと話すことも正確な位置を特定することも困難になってしまいますから』


「分かりました」


『しばらくの間私の声が届かなくなると思いますが心配しないでください。そちらの声は聞こえていますから、何かあれば逐一伝えてくださいね』


「はい」


『それでは、また後で』


 その言葉を最後にアマテラスの声は真昼の脳内に届かなくなった。



 静寂の中、真昼はアマテラスの言葉を支えに自身を奮い立たせた。


(大丈夫、これできっとここから出れる!まずは――)


 意を決して隣を向くと、虚ろな眼をした義丸が真昼の方を向いていた。


「大野君?」


 義丸は微かに笑みを浮かべた。


「……平気?ずっと1人で喋っていたけど……まぁ……そうだよね、そう」


 そう答えた義丸の声には生気がまるで感じられなかった。


「大野君しっかりして!戻ろう、さっきの場所に。逃げるんだよここから!」


 義丸は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐにそれは侮辱的な冷笑に変わった。


「日向さん、とりあえず落ち着いて。何か考えるから、今は……」


「考えなくていいから、黙ってついてきて!いい?」


 戻ってみたところで道が無いことは分かりきっているではないかと、義丸は思った。


 もちろん隣室の化け物共に見つかるのは真っ平御免だが、あの凄惨な光景を目の当たりにした今はまるで思考が積み重ならない。


 時が来れば妙案も浮かぶかもしれないが、今はとにかくそっとしておいて欲しかった。


 真昼は深く息を吸い込むと、覚悟を決めて窓をのぞきこんだ。白い女達は台の前で話し込んでいるようだった。


(今なら行ける、今なら!)


 鼓舞するように何度も自分に言い聞かせると、義丸の肩を掴んで軽く揺り動かした。


「行こう!」


 義丸は黙ってうつむいていたが、それでもゆっくりと腰を上げると、しぶしぶながら真昼の意志に従う姿勢を見せた。


 真昼はドアの手前まで進むと、後ろ向きに首を伸ばして隣室の2人の様子を慎重にうかがった。


 遠目に映る女の姿を確認した途端、真昼は慌てて首を引っ込めた。その時、台の前では中央の女が右にある樽を眺めつつ、何事かを思案している最中であった。


 それから2人は身動き一つせず、まるで怯えた小動物のようにキャビネット沿いにうずくまっていた。


 しばらくして、また真昼がおずおずと隣室をのぞき込むと、今度は右にいた女が積み重ねた樽のような物の前に移動しており、腰を曲げて何か操作をしている様子がうかがえた。中央の女は正面の台に倒れこむ勢いで大きく腰を曲げている。


(今だ)


 真昼は背後の義丸に再び「行こう」と声を掛け、振り返ることなく一気にドアから通路へと駆け出した。


 来た道を足早に戻り、突き当たりのドアから小部屋を駆け抜けると、真昼達は息をつく暇も無く最初の部屋へと到着した。


 息を整えながら右手に握り込んだ勾玉を強く握り直し、真昼はアマテラスに報告を行った。


「着きました。今、その場所にいます」


『――分かりました。どこか安全そうな場所でしばらくじっとしていてください』


 アマテラスの声を受け、真昼は薄暗い室内を見回した。分かってはいたが隠れる場所などどこにも見当たらなかった。


 途方に暮れながらドアの脇で立ち尽くしていると、義丸はドアを挟んだ先の壁際に黙って座り込んだ。


「どうしようか?」


 長い沈黙を破り義丸が語りかけた。


「少し待ってみよう。きっと出られるから」


「何を待ってるの?」


「わからない、わからないけど神様がここでじっとしてろって」


「……そっか」


 義丸は一連の会話に動じることも無いまま無感情に答えると、再び視線を落とし床を見つめた。


 この場所に迷い込んでからそれほど時間は経っていないはずだったが、真昼には桃香と別れたことが随分昔のように感じられた。


 真昼は上着からスマホを取り出すと、今が19時42分であることを知った。


(ももちゃんと大網君どうしてるかな?突然いなくなったなんて話聞いたら、お父さん達も心配するだろうな……)


 そこまで考えると真昼は突然ハッとした。


(――もしかして、栄谷君もここに迷い込んだ?)


 鮮血に塗れた片腕を掴む青白い女の笑顔が脳裏に浮かび、真昼は再び恐怖の虜となった。


(違う、そんなはずない!あれは栄谷君なんかじゃない!)


 真昼は溢れそうになる涙をこらえながら真っ暗な壁際に顔を向けた。


 壁際にはやはり奇妙な塊が点々と置かれたままであったが、先ほどの惨劇を目の当たりにした真昼には、それが切り刻まれ打ち捨てられた人間の残骸のように感じられた。再び勾玉を握り締めると、真昼はアマテラスに訴えた。


「まだなんですか?!もうここは嫌です!」


 返事は無かった。


「アマテラス様?アマテラス様!」


 その時だった。何の前触れも無く塊の一つがその輪郭を歪めたかと思うと、そこから小さな塊が勢いよく床に転げ落ちた。


 驚いた真昼が落ちた塊のほうに目を凝らすと、それはゆっくりと、しかし徐々に加速しながら、まるで地を這う虫のように真昼の方へと向かってきた。


 窓明かりが闇から迫り来る何かを照らし出し、輪郭と色彩とを描き出す。


「っひぃっ!」


 真昼は言葉にならない声を上げた。


 黄色い眼に開く瞳孔は井戸の底よりも暗い色を落とし、奇妙に膨らんだ全身は寒夜に積もる六花のように白かった。


 禿げ上がった頭に黄変した唇、血とも肉ともつかないものを顔中に噴出しながら、それは真昼のすぐそばまで迫っていた。


 真昼の奇妙な叫び声を聞き、義丸は弾かれたように顔を上げるが、その目に映しだされた光景は理解の範疇をあまりにも超えるものだった。


 言葉を失った義丸は真昼に迫るそれをただ呆然と見つめていた。


 それは思考の猶予も与えぬ間に真昼の足元まで這い寄ると、当然のように人の言葉を口にした。


「目標に到着しました」


「――ニワトりが、喋った」


 感情の無い声で義丸がポツリとつぶやいた。


「ニワトリ……?」


 義丸の言葉が契機となり、脳内に離散していた意識は一気に集合を始めた。冷静さを取り戻した真昼が改めて足元の物体に注意を向けると、そこに居たのは妙に丸い形をした真っ白な雄鶏だった。


『真昼さん、真昼さーん』


 直後にアマテラスの呼びかける声が真昼に届いた。


『ちゃぼ子ちゃんに会えましたか?』


「……ちゃぼ、子?」


『白いニワトリの形をしているんですが』


「……今、目が合ってます」


 真昼は今までに無い速さで全身が脱力していくのを感じた。


『よかった。その子が私の神使しんしをしているちゃぼ子ちゃんです』


「しんし?」


『まぁ、平たく言えば私のお使いみたいなものでしょうか』


「はぁ……」


「日向さん、そのニワトリと知り合い?」


 ちゃぼ子を凝視しながら義丸が不審そうに問いかけると、ちゃぼ子も顔を突き出すように義丸を見つめた。


 真昼は戸惑いながらも控えめに白いニワトリを指差すと、恐る恐る口を開いた。


「えっとね、待っていたもの……コレみたい」


 ちゃぼ子は再び真昼を見上げると、不思議そうに首を横に傾けた。

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