第八談
「まひるん、このあと予定ある?」
放課後、真昼が帰り支度をしていると、桃香がいつになく真剣な面持ちで話しかけてきた。
「別に無いけど」
妙な違和感を感じながら真昼が見つめると、桃香は少しためらったように目を伏せ、懸命に言葉を選んでいるようだった。
不思議に思い「どうしたん?」と真昼が言いかけたとき、言葉を被せるように桃香が喋りだした。
「このあと諏訪神社まで付き合ってくれない?」
「え?神社?」
予想もしなかった突然の誘いに、真昼は豆鉄砲を食らった鳩のような顔で桃香を見つめた。
「うん、どうしても気になっちゃって」
「気になるって何が?」
「うん……」
「ひょっとして昼に話してたこと?」
桃香はうつむいたまま黙り込んでしまった。呆気にとられていた真昼だったが、次第に桃香の心情を察すると、口元にいやらしい笑みを浮かべた。
「栄谷君、心配だよね」
「ちがっ、そういうんじゃないよ!」
桃香はとっさに頭を上げると、紅潮した顔で真昼の言葉を否定した。
「そうなの?私は同じクラスメートとして心配だけどなぁ」
「あ、そう!そういうんじゃなくてそういうこと!」
「そういうんじゃなくて?」
「もう、そんなことはどうでもいいの!」
あまりにも素直な桃香の反応に込み上げてくる笑いを必死に抑えつつ、真昼はあくまで無表情に徹していた。
「心配なのは分かるけど、行っても何も無いと思うよ?」
「それは……分かってるけど」
(分かってはいるけど、とにかく行動しないと気がすまないってとこかな?)
真昼は親友の純粋で真っ直ぐな思いに、恥ずかしいような、でもどこか羨ましいような気持ちを感じた。
(ここで協力しなくちゃ女が廃る!)
根拠不明の妙な決意が真昼の内に湧き上がる。
「じゃあ、ダメ元で行ってみようか!」
「いいの?」
「こんな可愛らしい子を1人で行かせるわけにいかないでしょ」
真昼は含みのある笑みを浮かべた。
「なにそれ……」
「あ、でも、部活はいいの?コンクール近いんでしょ?」
「そうなんだけど、でも、今日の分は自主練増やして取り戻すからいいよ」
「がんばるねー」
「そうだ、今日は用事で休むって部長に謝ってくるね」
そう言い残すと桃香は足早に去っていった。
去り際に見えた余裕の無さそうな横顔が真昼の目に焼きつく。今思えば桃香の表情は昼から強張ったままだ。
(余程心配なんだろうな――)
桃香の真剣な思いに対してからかうような発言をしていた自分を悔いつつ、真昼は帰り支度を続けた。
◇
帰り支度を終え桃香の帰りを待つ間、真昼はぼんやりと考え事をしていた。
(勢いに任せて協力するって言ったけど、神社で何をしたらいいんだろう?正直、あの写真と栄谷君の失踪が関係あるとは思えないんだけど……)
考え事の最中、不意に気配を感じた真昼は反射的にその気配の方向へ顔を向けた。いつの間にか恒美が机の脇に立っていた。
「なに?びっくりした!」
「ごめんごめん、昼の話さ、本当内緒にしといてね。俺、マジでランちゃんの母ちゃんから怒られちゃうからさ」
恒美は腰をかがめると、軽く合掌しながら小声で訴えた。何もそこまで心配しなくてもいいのにと思いながらも、その必死な姿に真昼は失笑してしまった。
「大丈夫、誰にも言わないから」
「頼むね」
真昼の言葉を聞いて安心したのか、恒美は笑顔で義丸の席の方へ歩いていった。
(栄谷君のお母さんってそんなに怖いのかな)
「おまたせ!」
恒美が去ってすぐに桃香が駆け寄ってきた。
「おかえりー」
「大網君、何か話?」
「んー、昼のことは誰にも話すなって念押しされてた」
「――そっか」
改めて示される吾藍が失踪しているという事実に桃香の顔色がにわかに曇りだした。こんな場所で一雨降られては大変だと、真昼は根拠に乏しい慰めの言葉をかけつつ下校を促した。
◇
桃香の家は真昼の家から自転車で15分ほどの距離にあった。真昼も中学2年生の1学期までは桃香の家のそばにあるアパートに住んでいたのだが、両親が自宅を新築したために今の家へと引っ越すこととなった。
慣れ親しんだ友人達と離れ別の中学校に移ることには一応の抵抗があったが、引越し先が今の家からさほど離れておらず今まで通り桃香達と会えることが分かると、多少の不平不満は口にしつつも両親の意思を承諾した。
6月の終わりから続く狂ったような暑さの中にあって、今日は幾分雲が多いためか気温もさほど上がらず過ごしやすい日であった。授業中も灼熱地獄に落とされた亡者の如く涼を懇願する者は少なく、心身ともに快適な一日だった。
しかし今、自転車をこぐ真昼の額にはうっすらと汗がにじんでいる。行き先が森の中の神社ということで幾分厚手の長袖長ズボンに着替えてきたからだ。
しかも追い打ちをかけるように桃香の家は山際にあり、その行く先にはなだらかな上り坂が延々と続いていた。真昼は夕方の涼風を感じることもなく、ひたすらにペダルをこぎ続けた。
◇
どうにか桃香の家に到着すると桃香は門の前で待っていてくれた。やはり真昼と同じく暑そうな格好であった。
「おまたせー」
「大丈夫?少し休んでく?」
息を切らして到着した真昼の様子を見て桃香は心配そうに言った。
「平気、平気。このまま行こ」
正直なところ水の一杯も頂戴したい気分ではあったが、真昼は意味も無く強がってしまった。
(いざとなったら諏訪社の前にある自販機でジュースでも買おう)
真昼は桃香と連れ立ち、また自転車のペダルをこぎ始めた。目的の神社へは更に勾配がきつい上り坂が続いていた。
恒美に聞いた場所は真昼達も良く知っている神社だった。写真で見た時にはすぐに分からなかったが、桃香の口から“諏訪神社”の名を聞いた途端(そういえばこんな場所だったな)と、懐かしさと共に参道の光景がありありと浮かび上がってきた。
その諏訪神社は前に住んでいたアパートのそばにあり、何度か夏のお祭りにも行ったことがあった。
小さなころから“
神社のそばまで近づくと鳥居の脇に自転車が3台止まっていることに気が付いた。3台全てが黒を基調としたシティサイクルであったが、1台の自転車が新品と言っても差し支え無いような外観を保っているのに対し、残りの2台は至るところに擦り痕が目立ち、片方の自転車に至っては前方のカゴが醜く歪んでいた。
恐らく男性の先客が3人いるのだろう。真昼はどことなく気まずいような重い気分に包まれた。
「――誰かいるみたいだね」
「うん」
桃香はあまり気にしていない様子だった。
(ここまで来たら腹をくくるか)
真昼と桃香は速度を落とすことなく神社の入口へと向かった。
参道の入口まで着くと石段の上り口付近で会話をしている2人の男性の姿が見えた。それは恒美と義丸だった。
「あれ?日向さんと斉藤さんじゃん?」
こちらに気が付いた恒美が驚いたように声を上げ駆け寄ってくる。
「どうしたん?2人揃って」
さて、何と返事をしたものかと真昼は考えた。それとなく後ろに目を向けると、桃香は自転車のハンドルを握ったまま「あっ」とか「えっと」と、間投詞を呪文の様につぶやいている。
その様子に気を回した真昼が落ち着き払って答えた。
「何て言うか、あんな写真見ちゃったら妙に気になっちゃって――って言うか、やっぱり同じクラスの子だし心配じゃない?だから桃香を誘ってちょっと見に行ってみようかなって、ね?」
「え?あ……うん」
気恥ずかしさと罪悪感に揺れる桃香を気にも留めず、恒美は続けざまに話し続けた。
「そっか、そっか。いや、実は俺も昼にアレを思い出してからどうしても気になってね。関係ないとは思うけど、何かランちゃんの手がかりでも無いかと思ってヨッシーと来てみたんよ」
「無理やり連れてきただけだろ」
先ほどからこちらを見ようともしない義丸がボソっと漏らした。
義丸の声に引かれるように石段付近から神社の奥へ目を向けると、なぜか言い知れない感覚が真昼を襲った。
いまだ太陽の力が支配している町中とは対照的に境内は既に薄暗かった。
雑多に生い茂る樹木の枝葉が幾重にも重なりながら日の光を遮断し、高台からこちらを見下ろすように立つ小さな拝殿の辺りは特に陰影が顕著であった。
不気味とも神秘的とも言えるその光景から、真昼にはこの神社の主がどこよりも早く夜を招いているようにすら感じられた。
「大網君、何か見つかった?」
いつの間にか自転車を鳥居の脇に置き、真昼のすぐ横に立っていた桃香が問いかけた。
「いや、ウチらも今さっき来たばっかりでさ。とりあえず歪みが写ってた辺りを調べてたんだけど、やっぱ何もないわな」
最初から期待などしていなかったという口ぶりとは裏腹に、恒美の顔には彼の落胆ぶりがはっきりと浮かんでいた。
「それじゃ私達も調べてみるよ、ね?桃香」
「うん」
「ああ、ありがとな、それじゃ俺らは上の方を見てくるわ」
どことなく表情が和らいだ恒美は石段の上り口へと駆け戻り、義丸の肩をバンバン叩くと急な石段を1人で軽快に上って行った。残された義丸は迷惑そうに肩を押えながらも面倒くさそうに恒美の後を追った。
真昼と桃香は恒美達が立っていた辺りまで進み周囲を見回してみた。
昼に見た写真にはそこに景色の歪みのようなものが確かに写っていたが、周辺にはそれを示すような痕跡は何も無く、幾年もの歴史を刻んだ石段とその周りを覆うように自生している雑草だけが眼に映った。
「――何もないね」
予想通りの結果に、諦めにも似た感想が真昼の口からこぼれた。
「そうだね」
そう言いながら桃香はその場にしゃがみ込み、真剣に周囲を観察していた。その様子に釣られるように真昼も一緒にしゃがみ込むと、横目でそっと桃香を眺めた。
(何でもいいから見つかってくれればいいんだけど)
「私、ちょっとあっち見てくるね」
急に桃香が立ち上がると、石段の左側にある草むらを指差した。
「じゃあ私は右側を見てみるよ」
真昼は汚れていない尻を叩きながらゆっくりと立ち上がった。
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