第六談

 浅葱色の勾玉は沈黙していた。


 真昼は父親に内緒で叩き割ってやろうかとも思ったが、後々のことを考え、それは思い止まった。


(ひょっとして、さっきのやり取りを盗み聞きされていた?)


 なるほど、正体を見破られたためにだんまりを決め込んだのかと真昼は考えた。


(だとすると、どうしたらまた喋らせることができるだろう)


 真昼は勾玉から視線を外しながら考えてみた。


(そもそも正体がバレてしまった以上、もうこの勾玉で通話をする気はないかも――それじゃ困る!何とかして喋らせて証拠を掴まないと)


 握りこぶしを口元に当て真剣に考えを巡らすその姿は、黙秘した容疑者を相手にどうにかして口を開かせようと思案する刑事のようでもある。


 真昼はあごを上に向けると、口元のこぶしで唇を小刻みにノックをし始めた。視点は不規則かつ断続的に動き回り、何かを見ているというよりも脳の思考活動に眼球が振り回されているようだった。


 しばらくしてから軽く咳払いをすると、真昼は勾玉を掴み慎重に言葉を選びながら喋り始めた。


「――うーん、よく考えてみたらお父さんの言う通りだよねぇ。こんな勾玉が機械のわけないよねぇ」


「だとすると……え、まさか本当に神様の声が聞こえたってこと?うそっ!?」


「待って、待って!あの神様、私が何かに選ばれたて言ってたけど、どういうことだろう!」


 渾身の演技を披露した真昼は、どこか得意げに勾玉を見つめた。もしも相手が人間であれば即座に眼を背け、その後の対応に苦慮していたことだろう。幸いにも勾玉は人ではなかった。


「そうだ、水でも飲んでちょっと落ち着こう」


 そう簡単に喋らないことは想定済みの真昼は、慌てた様子で勾玉を机に置くと急いで部屋を後にした。


(さて、と)


 部屋を出た真昼は階段前の廊下にしゃがみ込んだ。


(これであの女の警戒心を解くことができたはず。さぁ、どう出るかな)



(そろそろいいかな?)

 

 真昼は静かに部屋へ戻った。机の上に置かれたままの勾玉を再び手に取り、真昼は喋り出した。


「あのー、神様、天照大御神様、いらっしゃいますか?」


 浅葱色の勾玉は沈黙していた。


「あのー……」


『はいはい、いますよー。ごめんなさい、ちょっと離席してまして』


 頭の中に以前聞いた女性の声が響く。真昼は(やった!)と心の中で叫んだ。


『よかったー、真昼さんもう話してくれないかと心配してましたよ』


「すいません、あの時は頭が動転してまして」


『いいんです、いいんです。突然あんな話をされたら困惑するのも当然ですから』


 やさしく語りかけるその声は、やはりどこか不思議な安心感を与えてくれる感じがした。


(なるほど、これが詐欺師の喋り方か)


 真昼は一人納得すると、心の中で身構えた。


「えっと、その前にちょっと聞きたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」


『ええ、どうぞ』


「まず、この勾玉を持っていないと天照御大神様とお話しはできないんですか?」


『そうですね。厳密に言うと勾玉の周囲の音はこちらに届くのですが、私の声を聞くためにはその勾玉を体に密着させてもらう必要があります』


「なるほど」

(ほら、やっぱり!)


「それともう一つ、この勾玉はどうやってあの場所に置いたのですか?」


『あの場所?』


「私の部屋の引き出しの中です」


『引き出しの中――そうですか。すいません、直接私が置いたわけではないので詳しくはお答えできませんが、使いの者が真昼さんがいない時にその場所へ置いていったのだと思います』


(不法侵入!しかもあっさり自分から白状してるし……でもここで不法侵入について騒ぎ立てたらこれ以上の情報収集ができなくなりそうだな)


 真昼はこみ上げる怒りを抑えつつ、平静を装うことにした。


「そうでしたか」


『色々と驚かせてしまってごめんなさいね。どうしてもあなたと連絡をとる必要があったものですから」


「そうでしたか」

(だからって勝手に家に入ってくるな)


『それで先日の話の続きなんですが』


「私が何かに選ばれたって話ですか?」

(来た来た)


『はい、私の巫になっていただけますか?』


「巫――たしか、この世界で天照大御神様の代わりに何かをしてほしいって言ってましたよね?」


『その通りです。あと、アマテラスで結構ですよ』


「えっと、それじゃ――アマテラス、様?私がその、巫ってものになったら、何をすることになるんでしょうか?」

(さぁ、何を企んでるの?)


『それがですね、少々恥ずかしい話でして、誠に話しづらいのですが……1人でも多くの人が私を信仰してくださるような、いわば私の営業活動をお願いしたいのです』


「はえ?」


 あまりにも予想外の発言に真昼の思考は一瞬停滞した。恐らくお金に関わる話をするか、うまく言いくるめて誘拐するつもりだろうと考えていた真昼は妙な脱力感を覚えつつも、すぐに精神を強張らせた。


(営業?営業ってどういうこと?何を企んでるの、この人)


「ちょっとどういうことかうまく理解できないんですけど、つまり、みんながアマテラス様を大切に思うように仕向けるってことですか?」


『その解釈で大体合っています』


「あの……でも、なんでそんなことを?」


『そうですね――では経緯から説明いたしましょうか』


 アマテラスは少し声のトーンを下げると、少し言いづらそうに話し始めた。


『えーとですね、事の発端は一週間ほど前に開かれた酒宴の席でのことなんですけどね、ちょっと前にこちらで良い事がありましてね、まぁ……それはいいとして、それを祝して開催された宴会だったのですが、久々の宴会ということで大いに盛り上がりまして』


 当初から疑念と警戒心とをもって会話にのぞんでいた真昼であったが、あまりにも予想に反した相手の出方にかえって疑念は高まりつつも、その随分と人間臭い話の内容から緊張の糸はほぐれ、いつの間にか身構えることなくアマテラスの話に耳を傾けていた。


『最初のうちはとりとめもない内輪話で盛り上がっていたのですが、お酒が回るうちに話の内容も変な方向に向かい始めまして、いつの間にか“他国を管理する神が日本で幅を利かすとはけしからん、日本に住む人間達は我々を蔑ろにして何を考えているんだ”、みたいな話になっていまして、あ、私はそんなこと言ってませんからね』


「はぁ」


『それでですね、日本以外の国を管理している方々の悪口といいますか、批判が噴出し始めまして……あの席が内輪の集まりで本当に良かったです。私、一応日本管理グループの責任者って事になってますので、何かトラブルがあると全部私が対処する羽目になるんですよ。以前の懇親会の時だってウズメさんが酔ってあんな事をするから……あっと、すいません、ちょっと脱線してしまいましたね』


 真昼は自分でも気づかないうちに笑みを浮かべながら「いえ」と答えた。


『そんなノリで話が進むうちに、とにかく日本古来からの神である私達への信仰心を取り戻さなければならないと、そういう事になりまして、とは言え、極力そちらの世界に干渉してはならないという規則がこちらの世界にはありましてね、あまり表立って行動するわけにはいかないのです。それに、あからさまに他所様の信者を奪うような事をすれば、後々遺恨が残りますし・・・』


(――何だか大変そうだな、この人)


『結局、そちらの世界に我々の代行者を立て、草の根運動でバイラルマーケティング的に信仰心を獲得していこうと、こういう事になったわけです』


「あの、それなら私なんかよりも影響力が高い人にお願いした方が良いのでは?」


『それでは駄目なのです。確かに我々にゆかりのある神職の方や社会的に発言力の強いインフルエンサーの方を代行者に立てて、大々的にキャンペーンを展開すれば手っ取り早いかもしれません。しかし、それをやってしまうと他のグループの神々も同様の方法で、しかも我々以上の規模で対抗してくるに違いありません。そうなってしまうとそもそもの信者数が少ない我々にはとても太刀打ちできなくなってしまいます』


「あぁ……なるほど」


『それに、そういった社会的に影響力の高い人への接触は先ほど述べた規則に抵触してしまうので、極力やるわけにはいかないのです』


「影響力の低い人への接触なら大丈夫なんですか?」


『それなら大丈夫です』


(影響力が低いって……まぁその通りだけど、なんかへこむな……)


「それにしたって、なんで私が選ばれるんですか?そういえば前に言ってましたよね、基準を満たすとか何とかって」


『はい、ちょっと難しい話になってしまうので割愛しますが、簡単に言ってしまうと、今、真昼さんが持っている勾玉がありますよね』


 真昼は勾玉を握っている手に目を落とした。


『その勾玉と適合して私達と“会話”ができる人間、これが最低限の選定条件になっています』


「勾玉を持っていれば誰でも会話できるわけじゃないんですか?」


『はい、できない人の方が多いですね』


「そうなんですか、でも、それなら私以外にも適合者はいるって事ですよね」


『もちろんいます』


「じゃぁ――」


『あなたでなければ駄目なのです』


「どうして――」


『私が決めたからです』


 真昼にはそれ以上の反論ができなかった。それほど知識はなくともソクラテスの問答法を真似て受動的に接していれば、ある程度は論理的な土俵で相手を追い込む事はできるかもしれない。


 しかし、相手がその土俵を降りて力技で向かってきたとき、今の真昼には為す術がなかった。


「――少し考える時間をもらっていいですか?」


『勿論です。ぜひ色よい返事をお聞かせください』


「では、失礼します」


 真昼は握りしめていた勾玉を机の上に静かに置いた。


 結局、望んでいた情報は得ることができず、相手の真意も読み解くことはできなかった。しかし、今の真昼には不思議と失望感は無かった。


 あれほど強固に押し固めた警戒心はいつの間にか融解し、真昼はアマテラスの語る信じがたい話に興味すら持ち始めていた。

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