第五談
翌日、目を覚ました真昼は寝ぼけながら枕元をまさぐっていた。
指先に触れた固形物を掴み取り、顔のそばまで近づける。まだ開ききらない目に飛び込んでくる様々な色彩の中から目的の情報を拾いだすと、今は10時23分だと理解した。
(もうこんな時間か)
掴んだスマホを再び枕元に落とし、真昼はぼんやりと天井に焦点を合わせていた。省電力稼動をしていた脳髄はほどなくスイッチを切り替え、真昼の意識は徐々に通常運転へと移行していった。
(お腹すいたな)
真昼はゆっくりとベッドから身を起こすと、食べ物を求めてのそのそとダイニングに向かった。
ダイニングに入ると、輝夫がインスタントコーヒーに湯を注いでいる最中だった。
「おはよう」
「おはよー」
「お母さんは買い物に出かけたよ」
輝夫は熱湯を注ぎすぎたコーヒーカップをすすることもできず、こぼさないように細心の注意を払いながらダイニングを後にした。
真昼はキッチンの棚から食パンを2枚と小ぶりなバターロールを2つ取り出すと、それをまとめてオーブントースターに放り込みタイマーをセットした。そして、冷蔵庫からマーガリンと豆乳を取り出すと、水切りバスケットに置かれていたコップを取り、ダイニングテーブルについた。
(ベーコンエッグでも焼こうかな)
真昼の提案に舌や胃袋は即座に賛成票を投じたが、両手両足はそれぞれ反対票を投じていた。他の部位はどちらでも結構とばかりに投票を放棄し、結果、2:4の反対者多数によりベーコンエッグは見送られてしまった。
パンと豆乳だけの朝食を済ませると、真昼はまた自分の部屋に戻った。
ベッドに座り「さて」と一息つくと、急に昨晩の失踪騒ぎが真昼の脳裏によみがえった。スマホに手を伸ばし詩音に送ったメッセージを確認するが、いまだに未読のままだった。再度メッセージを送ろうかとも思ったが、返信を急かしているようで悪い気がしたのでやめておいた。
(花音も無事に帰ってきたって言ってたし、月曜日に話せばいいか)
真昼は背中からベッドに倒れこむと面白そうな動画を漁り始めた。
(この後なにしよっか)
半ば惰性でオススメ表示された動画をいくつかつまみ食いしているうちに「新説!宇宙を支配する神話の神々」という動画が目に付いた。
(神様かぁ・・・)
輝夫に渡した不気味な勾玉が記憶の奥から這いずりだしてきた。
(あの人、天照大御神って言ってたけど、実際どんな神様だっけ)
真昼はスマホで天照大御神について検索してみた。するとインターネット百科事典の該当項目が先頭に表示され、調べて見ると日本神話の主神であることが分かった。
(うわ、すごい神様から連絡きちゃったな)
真昼はいやらしい笑みを浮かべながらさらに記事を読み進めた。
記事のリンク先に散々寄り道をしながらも、ざっと流し読みをして日本神話の概要を学び取った真昼は確信した。
(やっぱありえないわ、これ)
太陽の化身にして高天原を統べる日本神話の最高神。古くは古事記にてその存在を語られ、現在に至るまでその信仰が途絶えるこはない。とは言え、その威光は神話の中でのみ光り輝くものであり、当然ながら現実に存在しているとはとても思えない。
ましてやそんな神話上の神様が一介の女子高生に頼み事をしてくるなど、どう考えてもおかしな話であり、真昼はその荒唐無稽さに声を出して笑っていた。
それにしても不思議なのはあの「声」である。神の名を語るあの声は空気の振動による音ではないように感じられた。
昨晩感じた優しそうな女性の声が真昼の脳内にリピートされる。
(よくわからないけど、何かそういう技術があるのかも。骨伝導イヤホンとか聞いたことあるし・・・それの超強力版とか?)
やはりあの声の主は不審者であり、勾玉型の音声伝達機器で被害者を惑わして特殊詐欺を働いているに違いない。真昼は何か確信めいたものを掴んだ気がした。
他人が聞けば穴だらけの憶測でしかない真昼の推測は、本人にとっては掴み所の無い未知の恐怖を克服するためにどうしても必要であった。
自分なりに考え、解釈し、理解が及ぶ既知のものとして捉えることで、謎の勾玉は「神秘的で恐ろしげなもの」から「最新技術で作られた詐欺師の道具」に成り代わっていた。
真昼は自分の部屋を出ると輝夫の書斎へと向かった。勾玉の正体を突き止めたことを一刻も早く伝えたかったからだ。
(問題は誰がどうやって私の引き出しにあの勾玉を入れたかってことだけど・・・)
書斎に向かう途中、もう一つの疑問に道を遮られ真昼は足を止めた。
(誰かが気付かれない様にうまく忍び込んで置いて行ったんだろうな・・・怖っ)
早く父親に報告したい一心から疑問自体を乱暴に押しのけると、真昼は歩みを再開した。
「コンコン」
真昼は書斎のドアを軽く叩いた。間を置かずに中から「開いてるよ」と輝夫の声がする。真昼はドアを開けると中に入っていった。
「どうした?」
輝夫はパソコンの操作を止め真昼の方を振り返った。
「一昨日渡した勾玉ある?」
「ん?あぁ、あるよ」
輝夫はまた真昼に背を向けると、ディスプレイの下に置いてある勾玉を取り真昼の方に向き直った。
「これだろ」
「私考えたんだけど、それ、特殊詐欺に使う道具だと思うんだよね」
「これが?」
輝夫は勾玉をいぶかしげに見つめた。
「きっと中にマイクやカメラが内蔵されていてこっちの様子を見てるの。それで、向こうからの声は持ってる人の骨とか振動させて聞こえるようにしてるんだよ」
「お父さんも考えたんだが、真昼、お前、小さいころはそういう小さな宝石みたいなおもちゃが大好きで、よく袋買いしてやってただろ。覚えてるか?」
「……なんとなく」
まだ小学校低学年のころ、真昼はプラスチックでできたおもちゃの宝石が大好きだった。輝夫は真昼の喜ぶ顔を見たいがために、袋詰めされたおもちゃの宝石を頻繁に買い与えていた。
最初のうちは穂実も「困ったお父さんね」と、苦笑いをしていたが、ある日、真昼が散らかしていた宝石を穂実が踏みつけ大騒ぎとなった。その直後に下された宝石禁止令により、真昼の家からおもちゃの宝石は姿を消していた。
「その時捨て忘れていたヤツじゃないか、これ」
「違う、違う、こんなの持ってなかったもん。それに、それだと変な声が聞こえてくる説明がつかないよ」
「うーん、でもお父さんがいじくり回してもその声とやらは聞こえなかったぞ」
「たぶん向こうで監視してて、私が持ったときだけ話しかけてくるんだよ」
「たまたま家の外の話し声とか、スマホから動画の音声が漏れ聞こえたりしたんじゃないのか?」
「違う、そんな音じゃなかった」
「そうは言ってもこんな小さな勾玉に今、真昼が言った機能を全て盛り込むなんてとてもできないと思うんだよ」
「そんなこと……」
自分の言葉に全く理解を示してくれない父親に苛立ちを感じながら、真昼は言いかけた言葉を飲み込んだ。
(何か決定的な証拠を見せないと)
真昼は意を決すると、無言で輝夫の手から勾玉を掴み取った。
「割ってみる」
「なに?」
「石で割ってみれば中から機械が出てくるはず」
思いがけない真昼の発言に輝夫は驚いた。この勾玉を石で殴りつけるなど、決して認めることはできない。輝夫はいつの間にかこの勾玉が放つ外見的な美しさに惹かれ始めていた。
「ちょっと待て――危ないぞ」
「平気だよ」
「そんな乱暴なことをしなくても、お父さんが預かっておくから心配するな」
「でも」
真昼は考えた。このまま預けておいてもきっと進展はないだろう、かといって粉砕して中身を確かめることも許してもらえそうにない。
どうしたらこの忌まわしい勾玉の正体を理解してもらえるだろうか?
いつのまにか勾玉の正体を暴くことよりも自分の正しさを証明することこそが真昼にとっての最重要事項となっていた。
「しばらく私が持っててみる」
自分が持っていればまた連絡があるに違いない。相手がペテン師とわかってる以上そう簡単に騙されることはないだろう。
相手との話の中から何か有益なものが掴めるかもしれないと感じた真昼は、ペテン師との対話を決意した。
「真昼がそうしたいなら構わないが」
元々は真昼の部屋にあったものであり、実際に何か害があるとも思えない。
輝夫は真昼の提案を受け入れた。しかし真昼が部屋を出る間際に「傷をつけるような危ないことはするなよ」と、念押しすることを忘れなかった。
部屋に戻ると、まずは椅子に腰掛けて勾玉をまじまじと見つめてみた。一昨日と変わらぬ浅葱色の塊がそこにあった。
真昼は勾玉を握り締めると不安を感じながらも小さな声で呼びかけてみた。
「もしもーし、もしもーし」
女性からの返事はなかった。
必ず応答があるものと信じていた真昼は意外に感じながらも、先ほどより大きな声で再度勾玉に呼びかけてみた。
「すいませーん、聞こえますかー?」
やはり返事はなかった。
「もしもーし、あのー、真昼ですー」
「誰かいませんかー?、おーい」
「ちょっとお話があるんですけどー、もしもーし」
いくら呼びかけても相手からの返事はなかった。ムッとした真昼は勾玉を机の上に放り投げた。
「もう!なんなのこれ」
吐き捨てるような言葉と共に、真昼は机の上の勾玉を忌々しげににらみつけていた。
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