第四談

 そのSNSメッセージに気付いたのは19時ごろだった。


 真昼が夕食を終えて自分の部屋に戻ると、惰性で机の上に置かれたスマホに手を伸ばした。ベッドへ横になり画面に目を向けると、花音からのSNSメッセージが着信している。


>「花音:詩音知らない?」


 着信履歴は32分前と表示されている。真昼はすぐにメッセージを送信した。


>「真昼:帰りに昇降口であった」


>「真昼:帰ってないの?」


>「花音:うん」


 即座に花音からの返信があった。


>「真昼:用事があるって言ってた」


>「花音:知ってるでも帰ってない」


>「真昼:電話は?」


>「花音:繋がらない」


「え?」


 思わず真昼の口から声が漏れた。


>「花音:みんなにも聞いたけど誰も知らないって」


>「花音:パパとママもすごい心配してるどうしよう」


 感情の無いメッセージから花音の心情が痛いほど伝わってくる。しかし今の真昼にはどうすることもできなかった。


>「真昼:警察は?」


>「花音:もう少し待ってから相談するって」


>「真昼:そっか」


>「花音:何かわかったら教えて」


>「真昼:もちろん」


 真昼は続けざまに詩音に向けてメッセージを発信した。


>「真昼:今どこ?」


 真昼の内に嫌な予感が湧き上がる。


 花音はともかく詩音が門限を破るなんて考えられない。そもそも学校を出てすぐに家へ向かったはずなのに、一体どこへ行ってしまったのだろう?


 受け入れ難い嫌なイメージが次から次へと脳裏に浮かび上がり、真昼はそのイメージを消し去ることに多大な労力を強いられた。


 真昼は雑念を押しのけて考えを巡らせた。


 詩音の行きそうな場所、詩音がやりそうなこと、詩音の好きな物、昔の詩音のこと。とにかく詩音に関わる情報をカテゴリに関わらず記憶の底からさらい上げる。


 さらい上げた情報は様々な可能性の型に押し込み成型し、作り出された仮説を一つづつ精査していった。


 だが、不安と焦りが入り混じった精神状態で適切な材料選定や成型作業が行えるはずもなく、所持する鋳型の少なさも相まって、生み出される仮説は酷く稚拙な物か、あるいは突拍子も無くいびつな物かのどちらかだった。



 その夜、花音の家は重く静まり返っていた。


 20時を過ぎても詩音からの連絡は無く、花音の送ったメッセージは未読状態のままであり、電話をかけても圏外アナウンスが流れるだけであった。


「絶対ヤバいよ、詩音がこんな遅くなるわけないもん!」


 状況に耐え切れず、花音はベッドから立ち上がると、すぐにでも捜索願いを出してもらおうと両親の元へと向かった。


 父親と母親はリビングで何事かを話し合っているようだった。


 花音はリビングに駆け込むと、2人に構うことなく会話に割り込んだ。


「もう警察に連絡して探してもらおうよ!」


 切羽詰った花音とは対照的に両親は冷静だった。


「わかってる。丁度ママとその話をしていたところだ」


「花音、少し落ち着きなさい。詩音なら大丈夫だから」


「大丈夫じゃない!ちっとも大丈夫じゃない!」


 取り乱した花音は今にも泣きそうな声で言った。あまりのうろたえぶりに両親もかける言葉が見当たらず、周囲の空気は更に比重を増していった。


「ただいま」


 予期せぬ声に3人は一斉にリビングの入口へと顔を向けた。


「遅くなってごめんね、ただいま」


 消え入るような声の先にはリビングを覗き込むように立つ詩音の姿があった。


「詩音!」


 花音は詩音に駆け寄った。


 薄っすらと目に溜まった涙をぬぐいながら詩音の全身を確認するが、特に異常は見られないようだった。


「こんな時間まで何してたの?みんな心配してたのよ!」


 母親が厳しい口調で詩音に問いただした。


「えっと、ちょっと道に迷っちゃって」


「道に迷ったってどういうこと?そんな遠くに行ってたの?」


「うん、まさかこんなに時間がかかるとは思わなくて」


「一体どこに行ってたのよ?」


「どこっていうか……」


 言いよどむ詩音を花音が心配そうな面持ちで見守る。詩音は右手で左の二の腕を掴むと、母親から視線を背けながら力無く答えた。


「それは……ちょっと……言えないんだけど……」


「言えないって――」


 明らかに普段と異なる娘の様子に困惑しながらも、何か後ろめたさを感じ取った母親はさらに厳しい口調で詩音に詰め寄った。


「言えないような所に行ってたってこと?」


「そういうことじゃ……」


「まさか、何か悪いことしてたんじゃないでしょうね?」


「ちがう!本当にそういうんじゃなくて!」


 詩音は叫ぶように否定すると、うつむいたまま黙り込んでしまった。


 不意に発露した詩音の強い感情に、その場の全員が言葉を失った。詩音がここまで感情をあらわにするのは幼少期以来であり、まるで山で津波にあったような驚きと動揺が3人を襲った。


 妹の擁護に回ろうとした花音はその機会を奪われ、うつむく詩音をただ呆然と眺めている。

母親も予想外の出来事にそれ以上の追及を行えず、唖然としたまま詩音を見つめている。

父親だけが動揺した様子も無く何事か考えているようであったが、やはり黙したまま詩音の様子をうかがっていた。


 沈黙が再び花音の家を包み込んだ。しかし先ほどまでとは違い沈黙の根源にあるモノは悲しみや恐怖ではなく、純粋な驚きであった。


 沈黙を破ったのは父親だった。


「とにかく無事に帰ってきたんだから良しとするか。詩音も色々あるかもしんねぇが、無茶な遠出はすんなよ」


「……ごめんなさい」


「腹減ってんだろ?早く着替えてきな」


 詩音は小さくうなずくと、リビングを離れ自分の部屋へと向かった。


 残った3人はようやく憂慮の呪縛から開放され、家中に充満していた重苦しい空気も霧散しつつあった。しかし、安堵する心を冷笑するかのように新たな不安が芽吹き始め、安定へと向かっていた3人の精神を再び揺り動かしていた。


「変だよ、こんな時間まで道に迷ってたなんて……」


 普段よりも小さな声で花音は言った。だが、それは両親も十分に承知していた。


「あんなに感情的になるなんて、何があったのかしら」


「不安っちゃぁ不安だが、あの様子じゃ今しつこく聞いてもムダだろ。花音、急がなくていいからそれとなく調べといてくれ」


「わかった」


「ヤバそうならすぐパパに言うんだぞ」


「うん」


 一応の落ち着きを取り戻した花音は、ずっと右手に握っていたスマホに気付き「あっ」と声を漏らした。


「みんなに連絡しとかなきゃ」



 机に向かいながらも真昼は詩音のことが頭から離れなかった。なんとか集中しようと参考書を読み進めても、気が付けば詩音の行方を考えてしまう。


 スマホを手に取り先ほど発信した詩音宛てのメッセージを確認するが、まだ読まれていないようだった。真昼は大きなため息をついた。


(詩音、どこへ消えちゃったんだろう)


 どれだけ考えても答えは見つからなかった。目の前に並べられた問題集のように正解を記した解答集があればどれだけ助かることか。行き場の無い焦りが真昼を包み込み、歯がゆい思いのまま時間だけが過ぎていった。


 どこにいようと構わないから、とにかく無事でいてほしい。


 真昼は硬く目を閉じるとキリスト教徒のように胸元で手を組み、一心に詩音の無事を祈っていた。


(神様仏様、詩音が無事でいますように)


 その時、昨夜の勾玉が心の中で鮮烈に浮かび上がった。


(――いやいや、あれはただの不審者だから)


 自称神様を不審者と断じつつも勾玉のイメージが頭から離れない。それが何であれ、今の真昼は救いの拠り所を求めていた。


(こんな時にあんな物のことを思い出すなんて、どうかしてる……)


(でも、あの声は私の頭に直接話しかけてきた……そんなこと普通の人にはできないはず)


(神様って言ってたけど――神様でないにしても何か特別な力を持っていることは間違いない、待って!誰かに直接話しかけることができるなら、詩音と直接連絡がとれるかも!)


(そういえば優しそうな声だったし、悪い人じゃないかもしれない!ダメ元でお願いしてみようかな?)


 寄る辺の無い不安定な真昼の精神は昨夜の不審者をあっという間に救世主へと昇華させた。


 これしかない、もうこれ以外方法は無いと、椅子から力強く立ち上がったその時、机上のスマホがメッセージの着信を告げた。発信者は花音だった。


>「花音:詩音帰ってきた心配かけてごめん」


 その一文を見た瞬間、心の中が一気に晴れ上がる思いがした。


 先ほどまで思考を侵食していた救世主は雲か霧のように消え去り、待ち望んでいた理想的な知らせに妙な高揚感を覚えつつも、真昼は急いで返信メッセージを入力した。


>「真昼:無事だったんだね」


>「花音:とりあえず無事」


>「真昼:よかったー」


>「花音:会ったとき詳しく話すね」


>「真昼:はーい」


 何事も無く済んで本当に良かった。真昼は心からそう思った。


 再びスマホを机の上に置き、真昼は部屋を後にした。照明をつけないまま薄暗い階段を軽やかに下りると、その足はダイニングに向かっていた。


 明かりの落ちたダイニングは静寂に包まれ、キッチンに置かれた冷蔵庫のモーター音だけが休息を求めるうめき声のように響いていた。


 真昼はダイニングの照明をつけ冷蔵庫から豆乳のパックを取り出すと、中身をコップに半分ほど注いだ。


 軽いため息の後一気に豆乳を飲み干し、最後に大きく息をついた。その顔には自然と笑みがこぼれていた。


 「よし、がんばるか!」


 真昼は晴れ晴れとした面持ちで部屋に戻っていった。

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