第二章 弐の羽(4〜7)
4 カラス
少し話をしてから、冬花は秋來公園へと現れた。時計を見ると六時を指していた。
広い敷地に、小さい砂場と遊具がある公園だが、暗くなってきたからか見渡す限り人の姿は無い。
奥には新しく作られた様な綺麗な公衆トイレ。その横のベンチには、真っ黒なロングコートを着て、深くフードを被った人影が見えた。
係長から聞いていた特徴と同じだと思った。大きく息を吸い込んで吐き出した。冬花が見える位置には笹井が隠れてこちらを見ている。一度頷いてアイコンタクトを取った。
「こんばんは。下田です」
顔の近くで見えるように、警察手帳を広げた。
「遅かったな・・・俺が殺される前でよかった」
男は俯いたまま小さな声で呟いた。
「誰かに狙われているんですか?」
冬花は周りを気にしながら、少し間をあけて隣のベンチに座った。
「時間がないので簡潔に話す。私は“ 蝶 ”に関わる人間だ。逃げ出してきた。あんたに話したい事があったからだ」
少し離れた所で二人を見ているが、声はなんとなくしか聞きとれない。今のところ怪しい人物もいない。
「なんでまた・・・この公園なんだ」
小さい声で言い捨てた。例の“ バラバラ殺人事件 ”の現場であり、近江 るりが襲われそうになった現場。そして今回もこの公園とは・・・なぜいつもここなのか。なぜ必ず自分がここにいるのか。そんな事を考えてばかりいた。
冬花は笹井の位置を確認した。なぜ私の事を知っているのか、聞きたい事は山程あるが、口を閉じたままじっと話を聞いた。
「恐らく妹さんが調べた事、あんた少しは知っているだろう。不死の実験ってやつに俺は関わっていた。むしろ最前線で行っていた。ある人物の実験でそれは成功した」
「あなたは、妹とはどういう関係だったの?」
「俺は、妹さんの事を信頼していた。素晴らしいジャーナリストだった。俺の身の危険をいち早く知らせてくれた。だから逃げてきた。その後で彼女が死んだ事を知った」
淡々と話すその男に、段々と真実のような、信頼できる何かを感じてきた。
「その実験の事を、なぜ部外者の妹が知っていたの?」
男は俯いたままの顔を上げた。少し驚いたような表情でこちらを見た。青白い顔のこめかみには汗がゆっくりと流れているのが見えた。暑いせいではなく、冷や汗のようなものだろう。
「あんた。何も聞いてないのか?」
「私は、取材ノートを見て初めて実験の事とか知ったのよ。詳しいことは何も知らないからこうしてここに来たのよ」
突然男が、冬花の背後をじっと見つめた。全く感じなかった気配が突然現れた。背筋がぞわっとして振り向けなくなった。誰が立っている?
「何も知らなくて良かったわね」
甲高い女の声がした。視界に笹井の姿が見えた。何か叫んでいるが聞こえない。冬花の頭上を何かがものすごい速度で通ったかと思えば、生暖かいしぶきが顔に降りかかった。
「あー最高!」
女の声と共に、さっきまで隣で話していた男の首からは、大量の血しぶきが出ていた。
「冬花さん!」
ようやく笹井の声が聞こえた。ハッと我に返り、後ろを振り向いた。
真っ黒なワンピースに、真っ黒な髪を二つ団子で結んだ、若い女が立っていた。この女がやったのか。左腕がない。右手には刺青が入っているのが見えた。手には真っ赤に染まる尖った剣の様な物を握りしめている。
「止まらなくなっちゃった」
女は不気味な笑みを浮かべて、右手を振り上げ、冬花を見下ろした。
身体が動かない。グッと目を瞑って俯くと、大きな破裂音がした。同時に身体に何かがぶつかってきた。
そっと目を開けると、誰かに抱きしめられている事に気づく。
笹井は反射的に走り出していた。女が何かヤバイ物を振り上げた時、公園の外から人が飛び込んで来るらのが見えた。
「あっ!」
冬花を守るように抱きしめたのは、さっき別れたばかりのいとだった。同時に、雪が飛びながら手をかざすと、衝撃波の様なもので女が弾き飛ばされたように見えた。彼もまた何かの能力者なのだろうか。
「・・・いと・・・さん?」
震えた声で必死に意識を保った。あの女はどうしたのか。血まみれの手でいとの肩に掴まりながら、女が飛ばされた方を見た。
かなり遠くの方で、黒い物体が倒れているのが見えた。
「まだ、生きています。今の内に逃げてください。あいつはやばいです」
雪は女の方から目を離すことなく睨み続けた。すると、ゆっくりと身体を起こして立ち上がった。
「波動を使うのね。あなたも連れて帰っちゃおうかな」
頭と口元から血が出ているが、痛みを感じていないのか不気味に笑ったままこちらに近づいてくる。
笹井は、いとと冬花をしっかり掴んで公園を出ようと早足で誘導した。
雪は、目の前にある自販機に手をかざすと、大きな爆発と共に中の飲料缶などが一気に噴き出した。
「やだ! 最悪! べたべた~。せっかく血の匂いを楽しんでいたのに」
爆発の煙と飲料の飛沫が消えた頃には、三人の気配は消えていた。
「ちょっとタテハ、あんた何をもたもたしていたわけ?」
薄っすらと視界が見えると、首を切られた男の服を物色している人影があった。何かを探して立ち上がるその顔は田中だった。
田中はタテハと呼ばれていた。
「カラスは本当に実験のデータ全て処分したんですかね」
「知らないわよ。どっちにしろ、カラスは殺すように命令されてきたんだからいいじゃない」
女はイラついた口調でべたべたする身体を水道の水で洗っている。肩から下が無い左腕を覆っていたカーディガンを、タテハは拾ってそっと女にかけた。
「とりあえず帰りましょうか。さっきの音で人が来るでしょうし」
ふんっと手を払いのけて、女は公園の外へ歩いていく。タテハは、何か言いたげな表情で三人が消えていった方をじっと見つめた。
5 似た男
静原古都は、昨日集まったLich Traumeの店内でパソコンを広げていた。
ふとした瞬間に、昨日の公園での出来事を思い出す。
血に染まった服で木から落ちてきた男を見た事があった。ずっと思い出せずにいたが、自分の資料を見て愕然とした。
「まさか・・・」
パソコンには、高校の制服を着た男の写真が映し出されていた。
「その子がどうかしたの?」
背後からみとが話しかけてきた。古都はマウスを動かしてみとに資料を見せた。
「この高校生は、三年前の日女浦公園で見つかったバラバラ殺人事件の被害者です」
「あーあの警察が死体を発見したけど、戻ってきたら消えていたっていう」
当時は衝撃的な事件だった為、長い間メディアで取り上げられていた。ひろと共に古都も事件を調べたり、聞き込みをしていた。
「死体は見つかっていませんが、致死量の血液からこの“ 葉山 せり ”さんだと断定されました」
「誰が死体を隠したのかって、テレビでも色んな情報が飛び交っていたものね」
新しいコーヒーを古都の前に置いて、反対の席に座った。
「あの日、木から飛び降りてきた男がこの葉山 せりさんに似ているんです。」
飲んでいたアイスコーヒーを噴き出しそうになった。
「どうゆうこと?」
古都は顔を両手で抑えながら、パソコンを睨みつけた。すると突然立ち上がってパソコンを鞄に入れた。
「私、少し出てきます」
急ぎ足で出ていこうとする古都を引き留める。
「もうそろそろ、笹井さん達が来ると思うわよ」
喫茶店の扉に手をかけたまま、みとの方を振り返る。
「役立つ情報を、仕入れてきます!」
親指を立てて、みとへにっこりと笑顔を向けた。
古都と入れ替わるように笹井が血相を変えて店に入って来た。
「お客さんいない? ちょっと緊急で」
みとはいないことを伝えると笹井は急いで外に出る。
笹井が取り乱している所を初めて見た。
バタバタと騒がしくなり、店で働く小林 紗凪も気づいて直ぐに仕事の手を止め、笹井の様子を見に来た。
「いと!」
入り口からひょっこり顔を覗かせたのは、妹のいとだ。
「お姉ちゃん! タオルか何か頂戴!」
制服のあちこちに赤い血痕の様なものがついている。いとが重そうに抱えていたのは、血まれになった冬花だった。
いとはピンピンしている様だし、冬花からの出血だろうか? ぐったりとしているようにも見える。紗凪が部屋の奥から、タオルを持って走ってきた。
「あ、紗凪さんありがとうございます」
「ど、ど、どうしたんですか⁉」
オロオロと慌てる紗凪を落ち着かせながら、みとは冬花に近づいた。
「紗凪さん。店を閉めてもらえる?」
りとと雪が冬花を運び、店のソファへゆっくりと座らせた。
「出血は・・・冬花さんのものじゃないわね」
みとは冬花に近づいて、怪我の度合いを見る。意識は朦朧としているが、怪我は無いように見える。
「カラスが、冬花さんと接触中に殺害されました」
後から店に入ってきた笹井が答えた。笹井も冬花を抱きかかえた時についた血が、身体のあちこちに見える。上着を脱いで汚れない場所に丸めて置いた。
「じゃあ、蝶の人間が手を下したのね」
「でも・・・おかしいわよね」
冬花は小さく震える声で言った。顔は真っ青のままだが、目線がしっかりと合った。
「自分のいた組織だったら、どれくらい危険か分かっていて内部告発をした。しかもあんな見晴らしのいい公園で接触してくるなんて」
必死で声を絞り出す冬花を見て、いとはそっと横に座って背中をさすった。
「確実に殺されると分かっていて、組織の人間と警察を直接会わせたって事?」
「・・・そんな気がします。きっと頭の良い人だと思います。何か手掛かりになる物を掴めるように、私たちにチャンスをくれたのかも」
震える手を抑え込みながら必死で考えた。その手を覆うように手を握られた。ふと顔を上げると、笹井が冬花の目線まで屈みこんだ。
「冬花さん。一度シャワーを浴びて落ち着きましょう。ここは安全ですから」
ハッと我に返った。そうだ、こんな事で動揺していてどうする。何度か頷いてゆっくり立ち上がった。
6 野山 さき
古都は、深山高校という学校の前でタクシーを降りた。
とりあえず、葉山 せりの通っていた高校に来てみたが、何も考えはなかった。
葉山 せりは当時高校一年生で、事件後に親しい友人などを聞いて調べた事があった。
部活も終わっているような時間で、辺りには人の気配もなく暗闇の中で自分の計画性の無い行動にため息が出た。
「あの、何か探しものですか?」
後ろから声が聞こえた。振り返ると、見覚えのある女性が立っていた。
「あれ? 記者の方ですよね? 前に葉山君の事件で調べに来ていた」
こんな偶然があるのかと驚いて動きを止めた。葉山 せりと同じクラスで、よく話していたと言っていた子だ。
「覚えてますか? 野山 さきです」
そうだ。そんな名前だった気がする。
「勿論! その節は色々聞かせてくれてありがとう。こんな夜にどうしてここに? アルバイトとか?」
「こっちの質問ですよ。何か調べているんですか?」
くすっと笑って返された。
「・・・ええ。もう一度あの事件について調べようかと思って」
「記者さん、近江 るりの事覚えてます?」
先日集まった時に笹井さんに連れて来られていたが、警察で保護しているし安易に情報を漏らしてはいけない気がした。
「覚えているわ。彼女にも話を聞きたいと思っていたの」
「るり・・・あの事件以来、休みがちでもたまに学校に来ていたんです。でも、ここ何週間も来てないし、連絡も取れなくて心配しているんです」
「そう・・・もし何か分かった事があったら教えるわね」
そう言って連絡先を教えてもらった。慣れた手つきで携帯を操作すると、さきが突然思い出したように声を上げた。
「そういえば葉山君の事、結構調べられました?」
「彼のご家族の事はサラッとね。でも、二人暮らしだったお母様は行方が分からなくて調べようがなかったけど」
さきは一瞬手を止めて、何か考えている様な表情でこちらを見た。
「駿河 碧(するが あお)には話を聞いた?」
聞いた覚えがない名前だった。一応取材のノートをチェックしたがその名前は書いていなかった。
「いや、聞いていないわ。あおくん? 葉山君と仲が良かったの?」
「なんか、お家に遊びに行ったりする仲だったみたいです」
事件後に、同じクラスの子達から話を聞いたが、駿河 碧という生徒の話は聞いたことがなかった。
「私と、るりと碧は同じクラスで席も近かったから、よく話していました。碧はいつも一人でいる葉山君に声をかけて、一緒に帰ったりしていたんです」
基本的に無口な少年で、友達という友達がいなかったと聞いていたので、当時の聞き込みもそれ以上進まなかったのを覚えている。
「前に話を聞いた時はその・・・碧君っていう子の話はしてくれなかったわよね? どうして?」
古都は不思議そうに聞いた。さきはバツが悪そうな顔でこちらを見た。
「ごめんなさい。仲が良いって分かったら、碧が疑われたりするのかなって思って。警察にも話せなくて」
「そう・・・。話してくれてありがとう。この事は記事にしたりしないから安心して」
古都の話を聞いて、さきはホッと肩を撫で下ろした。ずっと隠し通すのも大変だ。かなり精神を削っていたのだろうと思った。
「その代わり、碧君に話が聞きたいんだけど」
「じゃあ私連絡します。明日お返事でもいいですか?」
さきは直ぐにスマホでメールを打った。
なんとか情報を一つでも多く聞き出そう。古都は、下田 ひろにもらったボールペンをぎゅっと握りしめて強く思った。
その夜、一度家に帰るとさきからメールが届いていた。
明日は土曜日で学校は休み。朝から会えると書いてあった。直ぐに笹井に報告しようとしたが、手を止めてスマホをテーブルに置いた。
「何か成果をあげなくちゃ。何かいい情報を」
小さい声で呟きながら、シャワールームへ向かった。
スマホの液晶画面が明るくなると、笹井からの着信で甲高いコール音が響いた。
7 秘密
いつもの時間なら、まだ空いているはずの店は真っ暗に電気が消されて、ドアにはCLOSEと書かれた看板がかかっていた。常連のサラリーマンは、ため息をしてとぼとぼと帰って行く。すれ違った少年がふと声を出した。
「残念ですね。僕も行こうと思ったのになあ」
突然話しかけられて一瞬戸惑ったが、周りには誰もいないし自分に話しかけているのだろうと気づいた。
「あ、はは。そうだね。学校の帰りかい? この後雨が降るそうだから、早く帰った方がいいよ」
「ありがとうございます」
少年は右目が前髪で隠れていたが、にっこりと笑って頭を下げた。
足早に去っていく男が見えなくなるとLich Traumeと書かれた喫茶店をじっと見つめた。
しばらくすると、さっきの男が言った通り雨がぽつぽつと降り始めた。
少年は雨脚が強くなっても、濡れた髪を触ることなく黙ったまま立ち尽くした。
店内の一階は、紗凪がせっせと掃除していた。数時間前に笹井達が店に来て、あちこちに血がついたりしたのでそれを拭き取るためだ。
一通り拭き取ると、雨が降り始めたことに気が付いて外に目をやると、誰か店の方を見て立っているように見えた。
客かと思い、急いで外に出た。
「あれ?」
見間違いか、人の姿はどこにもなかった。
「紗凪さん?どうかしたんですか?」
背後からいとの声がした。
「あ! 何でもないです。冬花さん落ち着きました?」
ニコッと笑って、扉の鍵をかけた。
「はい! 大分落ち着いたと思います。紗凪さんが淹れてくれたコーヒーいつ飲んでも美味しいです」
いとはこの喫茶店で働きだした時から、しょっちゅう来てくれる常連の一人だ。こんな時だけど、素直に嬉しい。
紗凪が淹れたコーヒーを飲んで、冬花もほっと心を落ち着かせていた。
「冬花さん、ごめんなさい。もう少し落ち着いてからと言いたい所なんだけれど、事態が事態だから話を聞いてもいいかしら」
みとは、冬花の座っている椅子に手を当ててしゃがみ込み、しっかりと顔を見た。
「大丈夫です。取り乱してすいませんでした」
頭はしっかりと働いている。大丈夫。自分に言い聞かせながら答えた。
「カラスという男は“ 不死の実験 ”に第一線で関わっていた。そしてそれは、成功したと言っていました。そして、組織に殺されそうな所を、妹・・・ひろに助けられたと」
「ひろさんは、ただのジャーナリストじゃなかったのかしら。そもそもカラスと呼ばれる男とは何の関係があるのかしらね」
「とりあえず言えるのは“ 蝶 ”には、ああいうやばい能力者もいるって事だね」
雪もシャワーを浴びたのか、タオルで頭を拭きながら部屋に入って来た。
「どういう能力を使っていたの?」
「多分、物体を溶かす能力とか? 凶器に使っていた刃物みたいなやつ、あれ金属を変形させた物だと思う」
「能力の種類は、私たちが知り尽くすには小さく膨大なもの。私みたいに細かな能力から雪みたいに力を形にできる能力まで様々よ」
「能力者が誘拐されたり、襲われたって話があったけど、それも実験の材料になったりしていたのかしら」
冬花は、カラスの話でずっと引っかかっていることがあった。
『その実験の事を、なぜ部外者の妹が知っていたの?』
そう聞いた時に、何も聞いていないのかと言っていた。何も聞いていない。あの先に何を言おうとしていたのだろう。
「カラスの件ですが、係長達が現場に入っているみたいです」
笹井がさっきから電話していたのは係長とだったのか。
「事情を話さないとね」
肩にかけていたタオルを外して、立ち上がろうとした。
「あ!大丈夫です。大体の事は話しましたから。明日落ち着いてから話を聞くって伝えてくれと、係長から伝言です」
「係長・・・本当にそう言っていたの?」
謎の多い事件だ。係長なら意地でも帰ってきて話を聞かせろと言って来るはずだ。冬花はまた、微笑む笹井に不信感を抱く。その気持ちはどんどんと募っていく。
「いと、雪。あなた達はとりあえず今日は帰りなさい。明日も学校でしょう」
みとが時計を見て立ち上がる。
「私達も現場にいたから、最後まで付き合わせて」
紗凪と部屋に入って来たいとが強い口調で言った。
「これからの対策はあなた達にちゃんと話すわ。唯一“ 蝶 ”の人間に会って、実際に能力を見ているし・・・また話も聞くから。でも、今日は遅いから皆一旦休みましょう」
いとと雪は渋々納得して、紗凪が一階まで一緒に降りて行く。
「俺、送ってきます」
言い放ってから、急ぎ足でりと達を追いかけて出て行った。
笹井が出て行った後、部屋にみとと二人きりになった。少し沈黙が続くと、みとが冬花の隣に座って来た。
「笹井さんと私は、もう一つあなたに話さなければいけない事があるの」
「もう、何を言われても驚きませんよ」
意外と落ち着いて聞けるような気がした。コーヒーのおかげか震えもなくなりしっかりと話せる。
笹井がまた突拍子もない事を言ってきても大丈夫なんじゃないかと、謎の自信が生まれていた。
「ふふ。笹井さんっていつも突拍子ないものね」
「え? みとさんって心も読めるんですか?」
物凄い形相の冬花を見て、くすくすと笑った。笑っているところを初めて見たからなのか、何か心の底がほっとした。
「三年前、あのバラバラ殺人事件の後すぐに、私は少女を一人保護したの。近くの“ ヒガンバナ ”という喫茶店の前で座り込んでいたわ」
近江 るりが田中と接触する前にいた喫茶店だ。
「彼女は、ご想像の通りだと思うけど能力者で、記憶を失っていたわ。私の所で生活してから何日かして不思議な事が続いたの。誰が店に来るとか、天気を予知した。彼女は眠っている間に予知できる予知夢の能力者だと推測したわ」
すごい次元を超えた話だが、数々のあり得ない事を目撃してきて、やはりすんなり聞き入れられた。
「その人が笹井とどんな関係があるんですか?」
「突然彼女が、笹井さんに頼みたい事があると言ったの。夢を見て、笹井さんが動けば事件が未然に防げると言ったわ」
冬花は、突然昔の事件を思い出した。
バラバラ殺人事件の後しばらくして、日女浦地区で殺人未遂事件が起こった。辺りが暗くなり始めた時間に、女子高生が男に突然襲われた。その頃、日女浦交番に勤務していた笹井が助けに入り、大事には至らなかった。その後すぐに、深山警察署に配属されて来た。
「それって、女子高生が襲われた事件ですか?」
みとは頷きながら、コーヒーをゆっくりと飲み干した。
「じゃあ、あれはその予知夢の能力で防いだって事?」
「そういう事。それから、笹井さんには保護活動に協力してもらう代わりに、彼女の力で警察に情報を提供しているの」
冬花は若い時に警視庁に入っていて色んな話を聞いてきたが、そんな話は聞いた事が無かった。もちろん、深山警察署に来てからも噂ですら聞いた事は無い。
「待ってください! その情報ってどこに行ってるんですか?」
「俺が昔お世話になった人が上層部に居て、俺の事を信頼してくれているから情報を提供しています」
いと達を送って帰って来た笹井が、部屋に入るなり答えた。
「上層部って誰よ? しかも予知夢で事件を防げますって・・・そんな話すぐに受け入れてくれる人ってどういう・・・」
自分ですらまだ信じられない話なのに、警察が簡単に信じてしまっていいのか。
「もちろん最初から信じてもらえたわけじゃないですよ。彼女もいつでも予知夢が見られるわけじゃないので」
「笹井さんが上層部と関係を繋いでいてくれるおかげで、能力者の保護や色々な情報収集ができるようになったわ。能力者が世間にバレないように手回しをしてくれたりね」
なるほど。カラスの事件で冬花に何も聞いてこないのは、そこで既に情報が止められているからか。係長からも連絡が来ない所を見ると、笹井が先に話して上手く回しているのだろう。
「あんたが言う上層部が誰かは聞かないわ、怖いからね。それよりも、その予知夢の能力者はどこで匿われているんですか?」
タイミングよく着信音が鳴り響いた。みとのスマートフォンだった。画面を見てすぐに部屋を出て行った。
冬花の冷たい視線を感じて、笹井は目を背けた。
「まだ何か隠してそうね」
「いや! もうこんなもんですよ」
今一番信用出来ない言葉だと思った。溜め息をつきながら、最後の一口を飲み干した。
少しすると、みとが電話を終えて戻って来た。
「冬花さん。さっき話した予知夢の能力者なんですけど・・・あなたに会いたいって」
背筋がぞくっとした。このタイミングで電話が来たのも偶然じゃないのかもしれないと思うと、一気に血の気が引いた。
「勿論。会っていただけるなら私も助かります」
バクバクと鳴る心臓の音を隠すように、気丈に振舞った。
「彼女は“ 夢見 ”と名乗っています。私の所有するビルの一室で、表向きはオンラインの占い師として保護しています」
みとが話をしてくれたので、明日朝早くに笹井と二人で会える事になった。
「明日、行く前に古都ちゃんの所に寄ってもいいですか? さっきから電話をかけてるんですけど繋がらなくて」
笹井は、いと達を送った後からずっと古都に連絡を取っているが一向に繋がらない事を気にしていた。
「笹井さん達が来る前に、あの子ずっとここにいたのよ。なんか、バラバラ殺人事件の時の被害者が、先日の近江 るりさんを助けてくれた少年に似ているとか言って、情報を集めるって出て行ったんです」
笹井は嫌な予感がした。確かに、あの時の少年は見覚えがあった。バラバラ殺人事件の被害者で、葉山 せりという少年・・・写真は何度も見ていた。
「やっぱり、俺これから家に向かってみます」
立ち上がって直ぐに部屋を出ていこうとする笹井を呼び止めた。
「私も行くわ」
「冬花さんは、るりちゃんをお願いします。もう遅いですし、警察署にずっと置いてきぼりは可哀想でしょ」
振り返ってにこりと笑った。こいつの指示には従いたくないが、あのまま菜津子に任せたままにするわけにもいかない。
「いい? 必ず報告をしなさい」
いつもより強めに言った。笹井はいつもより適当な返事で部屋を出て行った。
店を出ると知らない間に、外は土砂降りになっていた。手で頭を隠しながら店の前に停めた車に飛び乗った。エンジンをつけようとした時、着信音が響いた。古都からだった。
「古都ちゃん⁉ 今どこ?」
驚いてつい大きな声で叫んでしまった。
『笹井さん? どうかしたんですか? 今シャワーに入っていたので』
全身の力が抜けてハンドルにもたれかかった。
「良かった。電話に出ないから心配で」
『すいません。笹井さんには明日電話で伝えようと思ったんですけど、葉山 せりと仲が良かったという少年がいたらしいので、明日会って話を聞いてきます』
「仲の良かった少年? 誰情報?」
当時の記憶は曖昧だが、葉山 せりには目立って仲の良い友達がいた情報は無かった気がした。
『それが、二年前の取材で話を聞いたクラスメイトの生徒に、今日たまたまその話を聞けて、予定を立ててもらったんです』
「そうなんだ。ちなみに場所は?」
『あの喫茶店です。ヒガンバナでしたっけ?』
たまたまね。笹井は何か考えながら眉間にしわを寄せた。
「了解。くれぐれも気を付けて。終わったらみとちゃんの店に直行してもらえるかな」
古都の返事を聞いて通話を終えた。直ぐにまたどこかへ電話をかける。
「あ、俺だけど。ちょっと頼まれてくれる?」
暫く会話は続き、雨が少し弱まってきた頃電話を切った。
ついでに冬花を送って行こうと車を降りようとした時、路地に入る所で人影が見えた。
まさか、田中か。必死で路地の方に視界のピントを合わせる。
ゆっくりと路地の方へ入っていく後姿は制服に見えた。
「学生か・・・」
容姿は田中とは違った。少しほっとして車を降りた。
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