第36話 インベーダー(3)
コイコから電話がかかってきた。強い雨が降っていた。レイコはコンビニとオフィスビルにはさまれたせまい通りで雨をしのいでいるところだった。
『なあミオコ、メガネさ……
「悪いけど」レイコは言った。「あたしには分からないね」
見上凛音。そいつの居所はレイコの方でも探している最中だった。兄を誘拐して今一緒にいるはず。
『連絡とか来てない? どんな小さなことでもいいんだ。みんな心配してんだよ』
「きてない」
レイコは繰り返した。
『レイコ?』
「なに」
「どうしたんだよ。いつもよりキゲン悪そうでウケるんだけど。もしかして凛音となんかあった?」
屋根と屋根の間をつたってきた雨の滴がほおをすべり落ちる。
コイコは成績も良くないし、授業態度も真面目とは言えないがバカではない。友達同士の異変をするどく察知する。
「なにもないよ」
『そう? 分かったよ。じゃあなにか分かったら連絡ちょうだい。バイバイ!』
コイコは電話を切った。
凛音の友人の聖歌、キネタ、サト、アイナ、そしてコイコ。みんなから同じ問い合わせがレイコにあった。
まさか馬鹿正直に『あいつは悪魔ベルゼブブの化身に使える使徒で自分達を騙そうとしている』などと
いっそ何もかもぶちまけてしまいたくもあるが、言ってどうなる? ぶっ飛んだ領域の世界の話で、そこにいる自分すらも時々正気を疑ってしまうほどなのに。世の中には明かして得する真実と、そうではない真実とがあるのだ。
――それにしても、レイコは思った。
あいつを悪く言うやつはいないな。
親身になるやつばかりだ。
能力がバレる危険を冒してまでキネタを助けた時のことを思い出せば、レイコには凛音がそこまで悪人とは思えなくなってくる。
――いいや、頭を左右に振る。
現にあいつは兄を、篤志をどこかに連れ去ってなんの音沙汰もよこさないじゃないか。
なによりイヴの天敵アダムの使徒じゃないか。
「レイコ」
目の前にぼうとシルエットが浮かび上がる。イヴだ。
「アダムの使徒の居場所が分かったわ。貴方のお兄さんも一緒」
「本当ですか」
「ええ。そこは古い病院で、使徒の本拠地のひとつ。
「すぐに向かいます」
「だめよ。罠かもしれない。アダムは貴方を欲しがっていた。生捕りにされてアダムの使徒とされかねない」
「そうはさせません。アダムの首を切り取りイヴへのお土産といたします」
イヴはじっとレイコを見据えた。
「あなたは強いけど、相手を
「気をつけます。ですが、今度だけは一人で行かせてください。これは私の問題です!」
「だめよ。総攻撃をかける。やつらは一箇所にまとまっているようだし」
「私の問題です」
イヴは黙り、怖い目でレイコを見据えた。
「どうやら忘れたようね、自分がなぜ悪魔の秩序を受け入れることにしたのかを」
レイコは否定の言葉を述べようとして口をつぐんだ。イヴは怒りに我を忘れ、その身に邪悪な気配を宿している。
「血を分けた兄への歪んだ愛情を抱いたあなたはそれを断ち切るために我が魂を受け入れたはず。それなのに、今や私に歯向かおうとしている。これはどういうこと?」
「決してそのようなことは」
目の前の怒れる悪魔の化身に怒りの炎が燃え上がっていくのを感じる。レイコは息をのんだ。
「貴方には躾が必要ね」
イヴの細い両手は既にレイコの頬を包んでいた。優しく、だが、手のひらから伝わるのは氷のような冷たさ。
頬から首の筋肉の辺りが急速に冷やされていくのを感じる。イヴの手からレイコに向かって霊力が放たれている。
――痛い。
レイコは叫ぼうとしたが、強張る筋肉のためにうまく口を開けることができなかった。
力が流れ込んでいる。レイコを“使徒”に変えた力が。
しかし、その注入は性急で激しい。
――体が壊れる。
陶製の器に消防車両からホースで水を流し込んでいるようなものだ。レイコは己の死すら予感した。
「心配することはないわ」イヴは
イヴの眼球が金色に輝いた。エネルギーがさらにほとばしる。血管の流れに沿って暴力的な濁流が全身を駆け巡る。
痛い――血管が痛い。
頭のてっぺんから足指の先まで氷と化したようだ。
イヴの手から解放されたレイコは、その場に膝をついた。いつのまにか、雨が強く降っていた。レイコの背中に降り注ぐ雨は一滴残らず蒸発した。膝小僧は路面の水たまりをボコボコと沸騰させる。
「いまや貴方は汚らわしいアダムの誘いに屈することはないでしょう。頑強で健全な秩序の守り手となったのよ」
変えられた。
変えられてしまった。
全身にみなぎる強い力。
制御しきれないほどの有り余る力が全身に満ちている。
「今しばらく待ちなさい。宵を待って。悪魔は夜に目覚めるもの。貴方の本当の力が発揮されるのは夜の大気のなかよ」
しばし、眠れ。
イヴの声が言った。
レイコはその声に従った。
意識がシャットダウンした。
今はただ暗黒が広がる。
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