第25話 無秩序(3)

「アンケート用紙記入をお願いしますね」

 聖歌せいかはニコニコしながら言った。その隣には同じくニコニコ顔の花鈴かりんがいる。

「すっかりサークルの一員みたいじゃない」

 普段は西洋画、日本画、編み物なんかの展示会をするスペースを大学生の一団が占拠せんきょしていた。そろいのオレンジ色のスウェットシャツを着ており、そこにはサークル名を表す三つのアルファベットが書かれていた。

 教室二つ分ほどの広さの展示スペースには、壁に研究成果が書かれたパネルが貼られ、部屋の真ん中には横長の机が置かれている。そこが受付であり、聖歌と花鈴は手前のパイプ椅子に凛音りんねを着席させた。A4のアンケート用紙とボールペンを受け取る。

 サークルの活動の研究テーマは【2020年代のインターネット利用における広告宣伝の存在意義】。パネルには何人かの論者(おそらく学生と思われる)により主張や意見が表明されている。

 インターネットにおける広告宣伝はどうあるべきか?


 論者A『インターネットという大海においては水先案内が必要である。その案内を務めるのが広告宣伝なのだ』

 論者B『いや、インターネットという広大な空間の中では利用者こそがパイオニアであり、全面に出てくることは許されない。あくまでパイオニアのサポートに徹するべきだ』。

 云々。


「退屈だろう、こんな内容」

 見て回ってる時、タッくんが苦笑しながら言った。自分たちの研究テーマをそんなふうに言ってもいいのだろうか。だが他の『研究者』から異論を唱える声は出ない。

「そうですね。ちょっと難しいです」

「あたしは全然分からないよ」と聖歌。

「でも助かってるよ。ありがとうね」

 タッくんは、紫のジーンズ、シャツの上に編み目の大きな蛍光色のセーター。黄色く染めた髪をマッシュルームカットにした髪はまるで遅れて来たビジュアル系バンドのようだ。

 人前にも関わらず、聖歌とタッくんの距離は近い。小声で何か秘密めかしたようにささやきあっている。

 アンケート用紙をながめた。展示内容の是非と、個人的な質問。興味のあるものは? 好きなアーティストはいますか? 今付き合っている恋人はいますか? 展示内容と何の関係があるのか凛音は首をひねった。用紙を一通り黒く埋めたことを伝えると、タッくんは慌てて聖歌から身を離し、せき払い一つして手に取った。

「へえ、なるほどねえ。これはすごい。いやあいいこと書くなあ」

 どこがどうすごいのか逐一説明を求めたいところだが。

「粗品持ってきて、早く」

 タッくんは鋭い口調で背中越しに背後にいる部員たちに命令する。受付の机の奥は資材置き場になっていて、部員たちが何やら忙しげに立ち働いていた。その中から赤フレームメガネにベレー帽の女性が床に積まれた段ボールの中から何かを手に取って凛音のもとに近づいてきた。

「どうぞ」

 ハンドタオル一枚と赤いパッケージの牛乳石けん一箱を手渡された。親切にビニールバッグ付きだ。地球環境に配慮して再生紙を利用したビニールバッグらしい。

「ねえねえ、もうちょっと愛想アイソよくしようよ。こっちは協力してもらっている立場なんだからね?」

 タッくんはいかにも困ったような顔つきをした。見ず知らずの人が叱られているところを見せられるのはあまり気分のいいものではない。タッくんは自分を権威づけるために平気でそういうことをする。だから凛音はタッくんが嫌いで出来ればあまり顔を合わせたくなかった。聖歌といえば「タッくん、カッコいい」と言いたげな視線で恋人を見つめている。これだから男がつけあがるのだ。

「うざ」

 その女の子はつぶやいた。

「そんなんじゃ、社会出た時キビしいよ。今からちゃんと礼儀ってもんを身につけないとさ」

 タッくんは構わず続ける。聞こえていないのだ。反応があるとも思っていないようだ。

「うざい男だよね」

 女の子と目が合う。女の子は先ほどの悪態から一転、ほほんでいた。凛音は彼女を目にして思わず声を上げそうになったので、手で口を抑えた。

杏菜あんな

 杏菜は凛音に体を引き寄せハグをした。首の後ろから品のいいコロンの香りが漂ってくる。

「凛音」

 いつものミリタリではなく野暮ったい服装だったのですぐには気が付かなかった。

「杏菜は大学生だったんだね。こんなところで会えるなんて思わなかったよ」

「まあね」と杏菜はどこか居心地の悪そうな笑みを浮かべる。「親に行かせてもらってる。今は楽しいモラトリアムを堪能たんのうしてるよ」

「なになに、君たち知り合いなの?」とタッくん。

「あんあんとりんりんが⁉︎ 嘘でしょ⁉︎ どういう知り合い?」

「お姉ちゃん結構友達いたんだねえ。あんあんさんといい、あざれさんといい」

「かりんりん、あざれちゃん知ってるの!?」

「うん、この前うちにお泊まりに来てくれたんだ」

「ええっ、あたしでも泊めさせてもらったことないのに!?」

三枝さえぐさを泊めたの?」と杏菜。「そういやふたりでどこかに姿を消したもんね、あのとき」

「まあ、ちょっとね」

 杏菜から目を背ける。あの夜のことはなるべく伏せておきたい。

「うおっ。ちょっと仙台駅でヤバい事件が起きたみたいだよ」スマホを手にタッくんが叫んだ。話題がれたことにホッとする。

「場所ってここからメチャクチャ近くじゃない?」聖歌はタッくんが見せびらかした画面に目をやりながら言った。画面はSNSにアップロードされた現場の画像を写している。ストレッチャーに乗せられる人。周りを取り囲む人たち。

「ここっていつも行く生地屋さんの近くじゃない? お姉ちゃん知ってた?」

「生地屋さんってなに!?」 とタッくん。

「事件ならお母さんに聞いてみて。よく知ってると思うよ。私も現場通りかかったけど、それだけ」

 などとにごす。知らず知らずのうちに杏菜に視線が向いていた。杏菜は資材の段ボールが積まれた影になっているところに凛音を連れて行った。

「何か言いたいことがある?」

 言おうか迷う。犯人が誰なのか。言ってしまってもいいのか。その狼狽ろうばいぶりから察したのか杏菜はうなずく。

「分かった。黒江なんでしょ。この事件を起こしたのは。仕方ないわね、あいつ」

「知ってたの?」

「まあね。市内で起きてる不可解な自殺事件は大体あいつが犯人よ。私たちの“力”を持ってすればそんなこと容易いでしょ」

 仮に催眠術で操ってビルから飛び降りろといえば、それだけで済む。凛音たちは実に強い力を持っているのだ。

「お金稼ぎだって言ってた」

「黒江はもともと裏社会の人間だからそれも当然だけど」と杏菜は言った。「目的の半分は快楽よ。あいつは人を殺すことに興奮を覚える異常者なの。つまりこれがあいつの欲望の叶え方ってわけ」

「快楽殺人者ってこと?」

「そう私は見ている。私の現場にあいつが加わったことがある。そこであいつ、心から楽しそうにしてた。暴力、拷問、殺人、随分慣れてたよ。サイコ女さ。まあ、あんたは不死身の体を手にした訳だし、殺されることはないだろうけどね」

「確かにまともじゃない雰囲気は感じ取ってたよ。私にはいい人だけど」

 アタシを頼ってくれ。さっきかけられた言葉がまだ耳に残っている。

「私にもいいやつさ。仲間は大事にするんだ、あいつは。でも決して気を許しちゃいけない。寝首をかかれる。なんかあったら私に言いなよ。あいつから守ってやるから」

 杏菜はずい分 辛辣しんらつに黒江を評価しているようにも思える。凛音が実際に知っている物腰の穏やかな黒江と杏菜の語る黒江とで隔たりがあるような気がするのだ。少なくとも杏菜は凛音より黒江との付き合いが長い。忠告には従っておくことにする。

「そういえば、他の使徒があたしたちを狙ってるって黒江が言ってた」

「それは確か。あたしも実際戦ったよ。実に手強いやつだった。あいつらにも気をつけなきゃいけないね」

 杏菜を呼ぶ声が聞こえた。新しい粗品の段ボールを開封しろとタッくんが言っている。

「クソ達良たつよし

「タッくん、そういう名前だったんだ」

「そうだよ。知らなかった?」

「興味なかった」

 杏菜は笑った。

「あんたって強いとこあるよね」

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