第9話 ギフト(1)
目覚めた時、
――あれ? どうしてここにいるのだろう。確か、使徒のみんなと一緒だったのでは。
いや、全ては遠い夢だったのだ。アダムも、
ナイトテーブルの上の目覚まし時計は水曜日の朝六時半であることを告げていた。学校に行く支度をしなくてはいけない。
かけ布団をはね上げると、自分が全裸であることに気がついた。
あれ?
コットンのプリント柄のパジャマは? ダサいスポーツブラは? ポリエステルのボトムは?
ナイトテーブルの上からメガネを取る。ぼやけた景色が象を結ぶ。裸の女の子が布団の中にいた。長い髪に整った顔立ち。どう見ても
夢ではなかった。何もかもが本当に起きたことだったのだ。
安らかに眠るあざれの横顔を
抵抗する間も与えられず、あざれに押し倒された。屋上の床面に散らばる
――それからキスよりももっとすごいことをした。
思い出すと今でも身体が
それから杏菜とも黒江とも、アダムとも同じようなことをしたのだった。
ドアをノックする音が聞こえた。
「お姉ちゃん、起きてる?」
花鈴とはノックの返事を待たずにお互いの部屋に行き来する仲だ。今この部屋を見られるのはまずい。ものすごくまずい。体の芯が凍りつく。
「おはようお姉ちゃん」
ドアが開けられた。花鈴は凛音の一糸まとわぬ姿、それからあざれの真っ白な尻も、長く繊細な髪の毛がその背中の上で扇形に広がるのにも目にしたはずだ。
「おはよう、花鈴」
花鈴は小首をかしげた。いぶかしげに眉をひそめ、視力2.0を誇る両目を指でこする。
「どうしたの花鈴、ボーッとして」
「あ、うん」花鈴はハッと我にかえる。「あのね、お母さんが今帰ってきたところだから一緒に朝ごはんを食べようって。早く着替えてリビングに着てね」
「分かった。じゃあ今行くね」
花鈴は一瞬だけ目にしたはずだ。全裸の姉と、全裸の見ず知らずの女がベッドで
幻覚の呪文がうまく作用した。花鈴にうまくかかってくれるかは賭けだったが、思い通りになった。
ほっとした。凛音はワードローブから下着の上下と紺ブレザーの制服を取り出して、身に付けた。これで落ち着いて朝食の席に座る事ができる。
あざれはというと相変わらず凛音のベッドで寝息を立てている。朝食の前に彼女を起こして服を着せて、こっそり家に帰らせなくてはいけない。
あざれの服はどこだ? 水兵服はあの場から回収してきたのだろうか?
それを言えば、凛音のレザーはどこに置いてきたのだっけ? あのレザーはお気に入りだ。ないと困る。失くしたら元の持ち主の
ワードローブの中を、クローゼットの中を探しまわり、ベッドの下を探しまわり、学習机の中を探しまわった。何もなかった。
最後に見たのはいつだっけ? スマートフォンをなくしたときや靴下の片方をなくした時にいつもする自問。
記憶をさかのぼると、この部屋に戻るまでは確かに身につけていた。儀式中のテンションそのままに、水兵服姿のあざれと抱き合いながら空を飛んできた記憶がある。何が楽しいのかは忘れたが、ずっと笑っていた。
家につくと早速服を脱ぎいちゃいちゃしつつ、しゃべり倒したあとで、そろそろ寝ましょうかと言った。その時凛音は服をなくしてはいけないと隠しておいた。その場所は……。枕の下だ。
案の定そこにあった。あざれのものもあった。
――ん?
安心して着替えにかかれる。リボンタイを結ぼうとした時、ベッドが
リビングの方から話し声がした。母と花鈴とあざれの声だった。泊まりに来た友人が家族にあいさつをするのは別にいい。それはある意味当然のことだ。例え奇妙な出会い方をした友人といえども。
――ちょっと待って!
問題は、あざれが身に付けるべきのものの一切が凛音の部屋に置かれたままだったことだ。
凛音の開いたドアの風圧で廊下の壁かけカレンダーがまくれ上がる。床にそろえたスリッパを蹴散らして、リビングに向かった。
食卓には
「おはよう、凛音」と母。
「お先してたわよ」とあざれ。トーストをかじる。「これおいしいです」
「気に入ってくれた? そのマーマレード私の手作りなの」
「そうなんですか? とっても美味しいです。メトロポリタンホテルに置かれていてもおかしくないわ」
「まあ、お上手ね。そう言ってくれてうれしい」
母親はにっこり微笑んだ。
「卵焼けたよ〜!」と花鈴。花鈴が運んできたフライパンの上には目玉焼きが四つに、焼色のついたソーセージが八つ。オリーブオイルと
「それどうなの?」
凛音は一糸
「なんのことですか?」。あざれは声をひそめて言った。「ああ、これ。だって着るものがないし、面倒臭くて」
「水兵服あるでしょ?」
「あれは夜に着るものですよ」。あざれは紅茶のカップに口をつける。「オレンジペコーね、すてきな香り」
言うまでもなく、あざれは幻覚を使っていた。自分の全身にまるで衣服があるように見せかけているのだ。母と妹はまんまとだまされている。
「凛音、お友達が泊まるのなら最初に言ってくれればいいのに。いやだわ、大したおかまいも出来なくて」
「ごめんなさい」
凛音はグラスにオレンジジュースとミルクを半分ずつ注いだ。
「三枝さんってお母さんとこの院長先生のお孫さんなんだってね。すごいなあ、お姉ちゃんどこで知り合ったの?」
「えっ、そうなの?」
「凛音は知らなかったの?」
母親は眉をひそめた。
「知らなかったと思います。話す機会がありませんでしたから」とあざれはすまし顔で言った。
あざれは母親の勤める病院の院長の孫だったのだ。あざれがこれだけ悠然としているのと、母親があざれに気づかわしげにしている理由をこの時悟った。
「時間だわ」とあざれは席を立つ。「私そろそろ失礼いたします」
「また遊びに来てください。次は腕によりをかけてお食事を用意するわ」
「まあ、とっても嬉しい。ありがとうございます」
あざれは廊下に出て凛音の部屋から水兵服を小脇に抱えて出てくる。丁寧なお辞儀をしてアパートを後にしたあざれの背中を追いかけ、玄関の外に出る。
「ちょっと、あざれさん。その格好で行く気なの?」
「ええ。近くに迎えが来ているところだから」
「その格好だよ?」
「いいのよ。誰も気づかないわ。あなただっていやしくも使徒なんだからそれぐらい知ってるでしょう」
「体を守るものがないからケガとかするかも」
「ケガなんて」あざれは笑った。「凛音さん、自分の手のひらに釘でも打ってすぐ引っこ抜いてみなさい。当然血が吹き出すでしょうけど、立ちどころに治りますよ。あっという間に傷がふさがります。私たちの体はそうなっているのです」
大した人だ、凛音は思った。かといって絶対に真似をしたくはないが。
「ところで知ってたの、お母さんのこと?」
凛音はきいた。
「ええ。病院で何度か顔を合わせていました。部屋を出てみたら
「気をつけます」
「お父様はいないの?」
「五年前に母と別れたの。今は隣町に新しい家族と住んでる」
「あらそう」
裸の背を向けて、エレベーターホールへと向かうあざれを凛音は呼び止めた。
「ねえ、ちょっと待って。私はこれからどうしたらいいの? アダムは私たちに何を求めているの?」
「昨晩聞いたはずでしょう? あなたの欲望の火を燃やす。燃やして燃やして燃やしまくる。それだけよ」
それは知っている。知っているが、その返答では具体性に乏しく凛音には不十分だった。
「何か用があれば向こうから召集がかかります。まあ、それまで好き勝手にやってればいいのよ」
今度こそ立ち去ろうとするあざれを凛音は再度呼び止める。
「えっと、あなたと私のこと。次は――」
凛音はほおが熱くなるのを感じる。念頭にあるのは昨晩のこと。あざれと凛音が繰り広げた素敵なでき事。今も心さわぐ秘め事。
「――次はいつ会えるの?」
あざれはその端正な顔に苦笑を広げた。
「一度寝たぐらいでもう恋人ヅラですか? そういうの困りますね」
キッパリ言うと、むき出しの尻をぷりぷりいわせながら立ち去って行った。
――あれ、私フラれた?
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