第5話 レザーをまとった女(2)

 呼び声に導かれるままに降りたったのはビルの屋上だった。

 廃ビルに違いない。繁華街の真っ只中にあるのに、壁はひび割れ、ツタが絡みついていた。屋上には干からびて縮んだゴムのシートや赤くびついた鋼材こうざいなどが捨て置かれていた。

「新顔だな」

 給水塔の前に先客がいるのを凛音りんねは見とめた。鋼材をベンチ代わりに何者かがあぐらをかいて座っていた。

「その服装。ふざけてんの。パジャマとか」

 その女は言った。――暗闇のただ中で自分のことが見えている。凛音と同じく夜目やめがきくようだ。

 凛音は近づいた。

「そんなんじゃアダムは振り向いちゃくれないね。アダムはしっかりめかしこんだ女が好みなんだ」

「アダムって誰」

「アダム・ディレンジド。きっとあんたが欲望してる男さ。アタシが欲情している女でもある」

 女は凛音より一歳か二歳は年上にみえた。ベリーショートの髪、両耳には大きな金の輪のピアスがぶら下がっている。ワインレッドの丈の長いレザージャケットをはおり、下半身をおおうジーンズはところどころ裂け目が入っている。上着は身につけているものの、シースルーのビニール素材なので視覚的にはほとんど着ている意味がない。大きな胸をレザーのトップスがおおっていた。

「アダム――彼はそういう名前なんだ」

「そういうアンタはなんて名前、新入りちゃん?」

「見上凛音」

「わたしはしゅう黒江くろえ

 黒江は鋼材に腰を下ろしたまま手をさし出してきた。凛音も手をさし出し、二人は握手した。いい人だ。凛音は思った。

「本とはどこで会った?」

 凛音は説明した。

「あの古い学校か。古い場所にはそれだけいろんなものがウロついてるからな。そういうこともあるんだろう。ちなみにわたしはこの廃墟ビルで見つけたよ」

 凛音は辺りを見回した。他には誰もいないようだった。

「アダムはどこ? ここにいるはずだよね。あなたも彼に会いにきたんでしょ」

「そう焦るなよ」

 黒江はジャケットのポケットからタバコを取り出し、口にくわえ火をつけた。悪臭が広がった。

「彼女がくるのは面子めんつがそろってからだ」

「面子って?」

「すぐに分かる。そんなことより、服を調達してこいよ。さっきも言ったけどそれじゃアダムの気に入らない」

「服を買うだけのお金がない。私の家はそんなに裕福じゃないし、だいたい今一円だって持ってはいないよ」

「ならさ」黒江は言った。「奪ってくればいいじゃないか。そこらじゅうにたくさんあるぜ」

 黒江は親指でビルの下を指した。凛音は見た。深夜にあっていまだ眠らぬ繁華街の一角。着飾った酔客がふらふらと通りを歩いている。彼氏ないし彼女たちの着てる服は夜の都会にふさわしい派手さがあった。

「盗めってこと?」

 黒江は返事をしなかった。タバコのフィルターを吸い上げる。紫煙しえんを吐き出す。毒素を含んだ煙がたないて消えていった。

「それって悪いことじゃない?」

「善人じゃないよ私は。アダムだってそうさ」

「黒江の服も盗んだものなの?」

 ハハッ、黒江はかわいた笑い声を上げた。

「盗んではいないね。ちょっとダーティな行為で稼いだ金であるのは確かだけど。この服はアタシのオキニのブランドなんだ。デザイナーのセンスに敬意を表してるから対価は払いたいし、ショップのねーちゃんたちとは良好な関係を築いておきたいし。

「なあ、凛音。アタシは親切心から言ってやってんだよ。アンタが何着てようが結局のところアタシには関係ない。それでも、アダムのためにめかしこんでこいとだけ言いたいのさ。まあ、盗むのが嫌ならくりゃいいじゃないか」

 別の誰かが屋上に降り立った。もしかしてアダムだろうか?

「何をレクチャーしてんだい、黒江先生。アンタは相変わらず新入りに優しいよね」

 アダムではなかった。別の女だった。チョコレート色の肌。髪は頭の高い位置で団子型にゆわれていた。鼻梁びりょうの高い日本人離れした顔つきで、身長は凛音より少し高いぐらいだった。

杏菜あんな。よう。この子は凛音。個性的ですてきなお物してるだろ?」

「よろしくね、新入りさん。善川よしかわ杏菜だ」

 善川杏菜は片手をさし出してきた。ここに集まる人たちはみんないい人たちだ。凛音も片手をさし出した。

「ドレスコードの話か。格好は別に何でもいいんだよ。下着だろうが裸だろうが、その気になりゃ着ぐるみもカクテルドレスでもいいんだ。アンタが気に入ってるならそのすてきなパジャマでもね」

「ヒップホップ・ファッションとかな」

 黒江が口をはさんだ。

「アフリカ系を見ればすぐにヒップホップとか言いやがる。私はヒップホップは選んじゃいないよ。黒江。その髪型なんだよ、アンタのママにバリカンで刈ってもらったのか?」

 黒江は笑った。その笑いに嫌味がなかった。どうやら仲の悪い関係というわけではないようだ。

「私が言いたいのは、何を着てもいいけど、それがアンタを興奮させるものじゃなきゃダメってこと」杏菜は言った。「つまりはアンタにとっての戦闘衣装じゃないとダメってことさ。アダムは興奮してる私たちを見て興奮するのさ」

 杏菜はオリーブグリーンのタンクトップに迷彩柄のジーンズ。シンプルだが筋肉の発達した体つきにとってはこの上なく魅力を引き出す衣装と言えた。腰には軍用ベルトのようなものを巻いていた。

 凛音は二人に背を向ける。飛び上がって、屋上を囲む金網フェンスのてっぺんに両足で立った。風がコットンパジャマのすそをなびかせた。

 街を見下ろした。

 ビルの前の通りはちょっとした飲み屋街になっていて、深夜にあって多くの人でにぎわっていた。

 一際ファッショナブルな男女が出入りする場所があった。堅牢けんろうな打ちっぱなしコンクリート壁の建物。禿頭とくとうの肩幅の広いボディガードが抜かりなく入場者を見張っている。

 あそこにしよう。きっといいものが見つかるはずだ。

「どこに行くんだい?」

 飛び立とうとする直前に杏菜がきいた。

「きっと洋服のレンタルだよ」

 錆びついた金網のフェンスの上から飛び降り、凛音は夜闇の中に潜り込んでいった。

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