白を描く
物部がたり
白を描く
モーリスの願いはただ一つ「母に愛して欲しい」という、子供なら当然の願いだけだった。モーリスの母シュザンヌは奔放な女性で、多くの男たちと浮名を流した。
「あれはおまえの父親だよ。ほら、あっちの男もおまえの父親だ」
シュザンヌは関係を持った男たちを、モーリスの父と呼んだ。
いったい誰か本当の父親なのか、モーリスにはわからなかった。
モーリスは常々「母はいつか自分を棄てて、男とどこかに消えてしまうのではないか」と不安な毎日を送った。モーリスは自分から母を奪う男たちを恨み、自分より男を選ぶ母を恨んだ。
モーリスが七歳になったとき、モーリスの存在を何人目かの父親が認知し、モーリスは、モーリス・ヴァラドンからモーリス・ユトリロに変わった。
通常なら人生の内で無条件に愛を与えられ、世界から肯定されるべき時期に愛をもらえず、世界から否定されたモーリスは、外的要因・内的要因双方から容貌は歪み、子供のものとは思えない光を瞳に宿していた。
モーリスは十代前半にして、不安を紛らわせるための酒を覚えた。
飲むと言葉にできない漠然とした不安から一時的に解放され、自分の存在を肯定されたように感じた。
だが酒で得られるやすらぎなど一時的なものに過ぎず、モーリスは日に日に酒の量を増やし、酔いつぶれては眠り、酔いつぶれては眠りを繰り返した。
モーリスは中学の最高学年に進学したものの、問題を度々起こし退学になった。その後、知り合いの紹介でいくつかの仕事に就いたが、どれも長続きはしなかった。
何をやっても上手くいかず、酒に頼る頻度は比例して増えていく。飲まないとイライラして血潮がうずき、眠っていた野生の血が暴走を始めて暴力を振るった。
モーリスは酒がないと、生きることのできない体になっていた。
世間体を気にしたユトリロ氏はモーリスの治療のために、パンソンの丘にある小さなブドウ畑を買い、一家は転居することにした。
そのころから、モーリスは絵を描くことを始めた。母であるシュザンヌはそれなりに名の知られた画家であり、息子が絵を描き始めると様々な助言を与えたが、モーリスは耳を貸さずに独自のスタイルで絵画制作を続けた。
しかしアルコール依存症は思ったほど改善されず、とうとうモーリスを精神病院に入院させられた。そのことを知った母シュザンヌはユトリロ氏に激怒し、二人の間には溝が生まれた。
シュザンヌはモーリスを愛していないわけではなかった。
他の誰にもわからない、彼女なりの愛をもってモーリスを愛していた。
* *
ときがながれ、精神病院から出て来たモーリスはアルコール依存症から立ち直り、画家として生きることを決めた。モーリスは憑りつかれたように絵を描いた。
彼の描く絵は、路地や教会、運河などの風景画ばかりだった。
寂しい色彩は、彼の心情をそのままキャンバスに投影しているかに思われた。絵を描き始めて、モーリスは母に抱いていたもう一つの感情をやっと発見した。
性に奔放であった母だが、モーリスはそんな母を尊敬していた。
母は他の誰もできないことをした偉大な画家でもあったのだ。
母としては赦せずとも、一人の人間として、一人の先輩として、モーリスは母を赦そうと思った――。
白を描く 物部がたり @113970
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます