第10話

 九月十五日の朝、皆が出社する前に武井は社長に尋ねてみた。

「社長、残り二週間で今月も終わりますけど、まだ僕の行先は決まっていないのでしょうか?」

「ん~、専務次第なんだけどなぁ、何も聞いていないなぁ。」

「そうですか。」武井は会釈して席に戻った。

 そして九月二十四日の午後。社長に呼ばれて八階の会議室へ連れて行かれた。

「武さん、来月の一日から後任が入社するから、一ヶ月間引き継ぎで動いてほしいんだ。」

「と言う事は九月末ではなく、十月末までと言う事ですか?」

「そうだ、ただし部長の肩書きは今月で解除するからな。」

「わかりました。」

「それから引継ぎで出張するとか必要であれば何でも言ってくれ。特に県内の営業部は主要な所は一応連れて行って顔合わせをしてやってくれ。あと、県内のグループ外の代理店もな。」

「県内の代理店はエリア長クラスとマネージャークラスで他法人は責任者クラスで良いでしょうか?」

「そうだな。」

 武井はその後、名前と年齢と気になる点を尋ねた。年齢は五十五歳で保険業界は初めてらしい。保険業界と言うより営業が初めてらしい。ただし、「地頭がいいから大丈夫だ。」と社長が言った。明らかに武井と比べて頭が良いと言いたいのだろう。

以前にも感じた事だが、どうやら保険業界の経験者が嫌いなようだ。武井の前任者は保険業界にいた人で、しょっちゅう社長とぶつかって、喧嘩して辞めて行った。その前の人も同じだったと聞いている。

「保険に関する事は私が直接指導するから武さんは引き継ぎに専念してくれ。」

「わかりました。それで十一月からはどうなるのでしょうか?」

「専務からはまだ何も聞いていないな。」

「いったいどうなっているんでしょうか?六月の下旬に、八月の更新時に転籍をとお願いし、専務と社長が了解されて、専務が自らCS課長に僕を引き受けてくれないかと動いてくれました。後は転籍のタイミングを社長と相談するようにと言われたのに、わずか十日程度で(八月二日)専務が激怒した理由がどうしても分からないんですけど。」

「もしかして、想像だけどな。武さんは営業の時に部下だった人間に対して、今でも横柄な態度で接していて恨まれたりしていないか?保険部門に来れば、元部下でもこちらがお願いする立場に変わるのに。武さんが変わっていないんじゃないか?それで営業からクレームが出たとか。」

「そもそも自分は部下に横柄な態度で威張る感覚は無いと思っていますけど。ましてやマネージャークラスには、年下でも丁寧に接していると思います。それにこのコロナ騒ぎで営業所にもあまり行っていないですし。」

「もっと上の人間かもしれないぞ。」

「上に立っている人間なら更に丁寧に接していますね。」

 もしかして若手の本部長クラスが専務に進言したとでも言いたいのだろうか。どこまでも知らない誰かが専務に訴えたと言いたいらしい。

 突然社長が雑談を始めた。めずらしい。

「専務は年配者を嫌う傾向があるよなぁ。」

「まぁそう言う所は昔からありますね。」

「本部長クラスも各部門の部長クラスも皆若手に入れ替わったよな。」

「そうですね、十年ぐらい前に会議の席で(私の代になったら全員若手で会社を動かす。)なんて言っていたのを覚えています。当然僕は外れるなぁなんて仲間と話していました。」

「その頃の人間はもうほとんどいないだろう、武さんと何人かだけだろう。主要なポジションはここ1~2年で見事に入れ替わったよな。特に県北のCSリーダーなんかもいきなり施行部門に移動させられて退職したし、その後本部の課長がCSリーダーに飛ばされて凄い減給だったらしいな。よく辞めないで居るなぁ」

「彼はまだ子育て中でなかなか難しいのでしょう。単身赴任で大変なんじゃないですか。」

「どこの出身なんだ。」

「隣の県です。通うのは微妙な距離ですよね。」

「通うのは無理だろう。よく辞めないでいられるよな。プライドとか無いのかね。」

 言いたい事は分かった。武井にも退職と言う選択を望んでいるのだろう。誰が見ても、武井の転籍願いは業績の低迷よりも社長との相性である事は見え見えだろうし、武井が転籍では無く退職であれば周りの見方は変わる。そして更に話しが飛んだ。同時にテーブルの上に置いてあったスマートフォンをいじり始めた。

「そう言えば、四階の総括部長も昔大きな事故やらかして交代劇が起きたんだろう?上手に生き残れているよな。」

 何を言いたいのだろう?手元のスマートフォンが気になる。ワイシャツのポケットにスマホを収めたが当然頭の部分が出ている。丁度カメラがこちらを向いている。それにポケットに収める時にタップするのが見えた。おしゃれに気を使う社長が大きなスマホをワイシャツのポケットに収める姿を始めて見たので違和感を感じた。

「あの、事故ってクラウンをぶつけられた件ですか?全損だったみたいですね。」

「そうじゃなくて会社の中で大きな事件だったらしいじゃないか。」

 武井には何の話か想像できた。しかし少し考えて別の無難な内容に持っていった。

「あれですかね、昔の部下が横領やらかした事ですか、百五十万円位でしたか。弁償させたみたいですけど。元上司としては気にしていましたね。」

「彼はそう言う半端な人間をかわいがる所があって結構ひんしゅくを買っているらしいじゃないか。」

「そうですか?」

 社長と総括部長は仲が良いはずなのに。この会話は武井に総括部長の悪口を言わせる誘導だろうと考えた。やはり人として信用できない。

「まぁ武さんも、もしかしたら有給休暇消化して職探しする事もあり得るな。」

「その時は更に延長して十一月に有給休暇の消化でも良いのですか?」

「あぁ、大丈夫だよ。」

「とりあえず、来月は迷惑を掛けないよう引継ぎに専念します。」

「そうしてくれ。」

 社長はなんとなく、機嫌良く席を立った。


 武井はその夜ずっと社長との会話を思い出して検証していた。そして翌朝決断した。このまま黙っていて退職ならば、どうころんでも同じ事。専務と直接話そう。

 九月二十五日は土曜日、休日だが専務が出社する可能性がある。スーツを着込んで会社に行った。事務所には監視カメラがあるので入室しないほうが良いだろう。廊下で専務の携帯に掛けてみたがお出にならない。もしかして折り返しがあるかも知れないので非常用ベランダで待機した。一時間程で折り返しの着信があった。

「おう、武さん。電話もらったかな?」

「はい、おはようございます。朝からすいません。実は昨日社長から指示をもらいまして、九月末の予定だったのが一ヶ月延長して後任の引継ぎをしてくれと言われました。」

「ほう、ずいぶん都合が良い事社長も言うね。」

「それで十一月からの私の行先を知らないようですので、専務にお聞きしたくてお電話しました。」

「それだけどね、はっきり言って私としては武さんを引き受ける気無いから。」

「えっ、それは何かあったのですか?」

「会社を批判するような人間雇う気ないから。武さんは大人気ないって言ってるの。なんで会社批判するような人間置いておくわけないだろう。」

「ちょっと待ってください。会社批判って分からないんですけど。」

「あぁ、もういい。とにかくこれ以上話す事ないから。」

 プツンと一方的に電話を切られた。武井は呆然としてしまった。「会社批判?」

 八月二日の激怒した電話からもうすぐ二ヶ月になろうとしている。一時的な怒りでは無い。全く心当たりがない。事務所に入ろうとしたが、監視カメラが社長のスマホに繋がっているので事務所には入れない。このまま帰ろう。

 もしかして、総括部長が何か聞いているかもしれないと思い、総括部長の携帯を鳴らしてみた。お出にならない。とりあえず帰ろう。

 その後、午後一番で総括部長から電話があった。

「電話もらった?」

「すいません部長。実は午前中に専務に電話したんですね。」

「どうしたの?」

「昨日社長から新しい指示で、九月末までの予定だったのが、後任との引継ぎで十月末までになったんですね、でもその後の事は知らないと言われたので直接専務に電話したら、僕はクビみたいです。」

「はぁっ、なんでそんな事になったの?」

「どうも僕が会社批判をしているって事になっているみたいなんですが、専務は全く聞く耳を持たないで電話切られたんです。何か聞いていませんか?」

「会社批判?武さんが?」

「そう言う事になっているみたいです。」

「なんかこの前、専務が会社批判してる人間がいるって言ってたな。武さんの事?」

「四十年も勤めていて今更会社批判もないですよ。おせち販売のノルマがきついとか、その程度の不満は言いますけど、会社批判を言ってるなんて今更ピンとこないですよ。それに専務に転籍願いを言いに行った時に、こちらが何も言わないのに、(社長と合わないかぁ)って言われた位ですし、その後専務が自ら動いてくれてCS勤務って決まったのに今になって会社批判で怒るのはどうも良く分からないです。部長何か聞いていないですか。」

「ん~、あの頃の専務は、武さんをCSに入れて、県内を二つに分けて競わせようなんて構想言っていたんだけどな。もしかして上司批判が会社批判に変わったか、社長が専務に何か不満を言ったのかもしれないなぁ。わからない。元役員とも相談してみるよ。」

 元役員と言うのは武井にとっては仕事上怖い存在であり一番信頼している人で、今は役員を降りている。ただ本体から離れた元役員に迷惑は掛けたくない。しかし、部長が繰り返し元役員とも相談してみるからと言われて「はい。お願いします。」と答えて電話を切った。

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