第8話

 その後、CS課の課長と会話する事があった。CS課では人員不足で人材派遣会社から数人雇っている状況らしい。武井は現在の自分の状況を話した。まだ決定とは言えないが、上では了解されたようだと。まだ行先は決まっていない事も伝えた。課長は「もしCS課となれば大歓迎ですよ。」と言ってくれた。

 その後正式に専務自らCS課の課長に武井の受け入れに付いて依頼があった。課長は大歓迎ですと即答したと聞いている。そして給料などについては課長に任せると。各部門の給与規定などはさすがに専務も把握はしていないだろうから当然だ。

 その後武井は役員室に呼ばれた。

「正式にCS課で武さんの移動は決まったから。移動のタイミングは社長と相談してCS課と連携して進めてくれ。それでいいかな?」

「ありがとうございます。お手数をお掛けして申し訳ありませんでした。」

 これで正式に行先も決まり一安心だ。その後頻繁にCS課に足を運んだ。移動のタイミングより、行った先での給料・勤務地・仕事内容が気になる。もしかすると順番が逆かも知れないが、武井にとっては切実な問題な訳で、どうしても足を運んでしまう。

 CS課の課長は武井が突然訪ねても快く対応してくれた。給料は四割ダウンでプラス歩合制だと言う。歩合の部分は不確定要素が大きいが長年営業の世界にいたので左程抵抗はない。ただし仕事内容が新しい仕事なので自分の能力が見えない分、歩合に対しては不安がある。最低の基本給だけだとしたら、貯蓄を切り崩す生活になる。それで四年間持たせなければならない。家のローンは終わっているし、車のローンもない。しかし成績によっては家族に迷惑を掛けることになる。そろそろ妻に話したほうがいいかもしれない。どこからどこまで話せばいいか迷う。仕事の事はほとんど妻には話さないので、こんな時に妻への営業が必要になるのだろう。間違いなく今のまま我慢できないのかと言われるだろう。


 日々の仕事は淡々とこなして時間が過ぎて行く。社長は武井に何一つ話しかけてこない。まぁ怒っているのだろう。当然だ。針のむしろに寝ていると言う言葉はこんなときに使うのだろう。もともと寡黙な人で余計な会話の無い人だが、またちょっと違う。社長と直接会話をすれば、回りの人間に転籍が知れる事になるので皆の前ではまだ話せない。彼は社長宛にメールを送信した。「現在の仕事を周りの人間に割り振る方法か、それとも後任が来てからと言う考え方なのか、社長のお考えを教えてください。」ざっとそんな内容のメールを送信した。

 一日・二日・三日が過ぎても無回答。これでは自分の移動時期の目途が立たない。しかし数日後、専務から内線が有り役員室に呼ばれた。行ってみると、社長と専務がテーブルに向かい合って座っている。何事かと思い、社長の隣の椅子に腰掛けた。専務が武井に。

「武さん移動の事なんだけど、後任が来るまでちょっと時間もらえるか、先方にも都合があるからハイ明日からって言う訳にもいかないからな。」

「はい大丈夫です。なるべくご迷惑にならないようにと思っています。」

 専務は笑いながら。

「なに言ってるの既に迷惑掛けてるんだよ。」

「恐縮です。」

 その後は少し雑談をして席を外した。それにしても社長は、武井の質問に対してどうして直接回答しないで専務を介して伝えるのだろう。そんなに直接話すのが嫌なのだろうか。それよりも専務の発言に微妙な変化を感じたのが気になる。

 とりあえずCS課の課長には状況を伝えたほうが良いだろう。事務所を訪ねると快く時間を作ってくれた。八月・九月の移動は難しいだろうと。十月ごろになるかもと言った話しで受け入れ態勢を整えるように準備しようかと言う事になった。そしていつものように雑談をしていたら。

「このあいだ、社長がフラッと事務所に来たんですよ。」

「なにか用事があって来たの?」

「いやぁ、特に何も話さないんですよね。ただ黙ってるのも変なんで保険の成績が振るわなくてすいません。なんて言ったら、そんなのいいよって言うし。武井部長の話かとも思いましたけど、こっちから振る話しじゃないからどうしようかと思っていたら、急に話し始めたんですよ。移動を邪魔して手元で生殺しにしてやろうかと思っているんだよって。びっくりしましたよ。」

「なにそれ、やっぱり相当怒ってるんだ。まぁ当然って言えば当然だけど、すげぇ腹立つな。移動邪魔するって言ったってもう決まってるのに。」

「まぁ最後には本人の希望は叶えてやらなくちゃなって言ってましたから、冗談だと思いますけどね。」

「いや、冗談って言っても腹のどこかに怨みがあるから、本音だったりするんじゃない。」

「まさか、もう決まってるのに今更それはないでしょう。」

「まぁそんな事できないにしても、そうしてやりたい位の気持ちはどこかにあるから出た言葉じゃないかな。離れられればもうスッキリするからいいけどさ。」


 それから数日後。

八月二日、訪問の帰り道。専務から突然電話がきた。

「はい、武井です。」

「武さん、こんな成績で移動の話しなんて無いよな。」

 目標の半分の業績である。コロナ騒ぎ以降、一年以上低迷したままの業績。しかし毎月社長が専務に報告に行っている。いつもは月末二十七日過ぎである。先週その報告は既に終わっているはず。なぜこのタイミング?しかし明らかに怒っているのがわかる。

「武さん聞いてる?」

「はい、申し訳ありません。」

「申し訳ありませんって言いながら、移動願いなんてあり得ないだろう。業績しっかり作って移動するのが筋じゃないのか?会社なめてる?移動は無いからな。」

 電話を切られた。そうとう怒っていた。

 武井は色々と想像してみたが、何も思いつかない。最近の動きは、社長に転籍願いを出す。専務に報告して了解を得る。転籍先を専務が探してくれた。転籍のタイミングを少し待つように専務から言われる。そしてこの電話。なにも思いつかない。

 武井は転籍先のCS課長に電話した。

「はい、私も今専務に呼ばれて役員室に行ってきた所です。そうしたら、武さんはCSに行かせないからっていきなり言われたんですよ。(保険部門の)社長が一緒にいましたよ。どうも社長と二人で話していたみたいですね。」

「二人で?どう言う変化だろう。何か思い当たる事ない?」

「いやぁ、私も突然でビックリしているんですよ。ついこのあいだ、武井部長頼めるかって専務から言ってきたのに、この変化は私もわからないです。」

「社長がいたんだ。」

「えぇ、二人で向かい合っていましたよ。」

「社長が何か専務に言い含めたのかな、まぁ想像してもしょうがない。課長迷惑かけてごめん。」

「いやいや、大丈夫です。また何かあったら言ってください。」

「ありがとね。」

 武井は電話を切って想像してみた。一連の流れの中で専務の気持ちを変化させた社長の手法はなんだろう。どんな裏技を使ったのだろう。しかも専務は相当怒っていた。成績の事だけなら先週既に報告しているわけだから、今日になって激高するとは思えない。今日、何かを専務に言い含めたとしか考えられない。そんな方法があるだろうか。どうしても思いつかない。手品でも使ったか?

 

 武井は何も無かったように淡々と仕事をしていた。次の日も次の日も。

 八月五日の朝。出社と同時に、社長が声を掛けてきた。

「武さん、ちょっといいか?」

「はい。」

 武井は社長と一緒に1Fのミーティングルームに入った。

「武さんは私が移動の邪魔をしていると思っているかもしれないが、私はそんな事していないからな。それより私が人から聞いた話だと、初めっから、CS課長と話しを合わせて移動しようとしていたんじゃないのか?」

「社長それは違います。初めに僕が転籍願いを出したら社長は、私には関係ないから専務と話しなさいって言われたので僕は専務に報告しました。専務はわかったと。後は社長と話すからとおっしゃったんです。その後お二人が了解されたわけでしょう。行先としてCS課長には専務自ら打診してくれたんですよ。僕は一言もCSに行きたいなんて口にした事はないですし、行先の希望を言えるような立場じゃないじゃないですか。」社長は何も言わない。武井に話させる姿勢のようだ。

「だいたい転籍願いなんて出したらもういらないなんて言われる可能性だってありましたから、僕は悩んで悩んで本当に悩んで転籍願いを出したんですよ。なんでそんなに悩んでまで転籍なんて答えをだしたかお分かりになりますか。それは社長、この二年間、給与改正とか紹介キャンペーンとか色々提案しましたけど全て即刻却下されました。他にもいろいろな事を却下されてきました。その後結局全て実施していただけましたけど、私には理解できないんです。・・・・・老人会への営業だって却下しておきながら、後でなんでやらないんだとか言っておられました。」

「それは武さんの提案力の問題だろう。企画書も出さないで何を言っているんだ。」

 武井は思った、口頭で打診の段階で顔色変えて反対されたら企画書云々ではないだろう。

 しかし、言い負かしてはいけない。上司と口論して言い負かしてはいけない。その位のサラリーマンの常識は最近わかってきた。他人から見れば言うべきことは言ったらどうかと思われるかも知れない。「素直」の教えはどうした。と。

 実のところ、武井は度胸が無いのかも知れない。今、彼はまな板の鯉だ。社内の駆け引きに負けて、来月どうなるかわからない。人事権のある専務は激高している。グループから放出されるかもしれない。武井は黙ってしまった。

 すると社長がとんでもないノルマを口にした。

「とにかく九月から十月の二ヶ月間で三百件の契約を挙げる企画書を作りなさい。懸賞として三百万円使って三百件挙げるように。それから武さんは九月末まではしっかりうちで仕事してもらうからな。」

「はい・・・・・」

 とてつもない数字だ。先月一ヶ月間の実績は過去最低の五十件に満たない。過去数年間の実績からは到底夢のような数字だ。ましてコロナ騒ぎでどん底の成績だ。先月の三倍。月間百五十件。もしかしてこれは、お金を使ってやらせたが営業部長として能力が足りないのでできなかった。だから排出したいと言う既成事実を作る為?本当に武井は生殺しの憂き目を見るのかも知れない。しかし最後に気になる一言。九月末までと言われた。しかし、行先は無い。

 そして一つの仮説を思いついた。社長が三日前に専務の部屋にいた。そして専務が怒って武井に電話をかけてきた理由。

 武井がCS課長と事前に打ち合わせをした上で転籍を願い出たと?社長がそんなことを専務に言い含めたとしたら。そう、専務が激高するのは当たり前だ。それが事実ならば武井とCS課長で絵を描いて、専務を踊らせた事になる。こんな上司をバカにした話はない。更に成績の低迷を持ち出してそこから逃げようとしているだけだ。などと付け加えたら。もしそんな作り話を、悪意をもって画策したとしたら相当な悪だ。頭のいい人には敵わない。

 ただ、もしかしたら周りの人の勘違いもあり得る。それは専務の了解を得た後は頻繁にCS課長の所に行って、給与・勤務場所・仕事は誰のレクチャーを受けるかなんて事を最低でも四回はCS課の事務所に行っている。そのタイミングが専務の了解を得た後か、了解前の動きかなんて事は他人にはわからないだろう。それに話しの内容も皆には分からない。

 悪意か勘違いかは分からないが、今後の武井のサラリーマン人生は終わるかもしれない。四十年間勤めたグループを円満退社できないかもしれない。改めて、決定権者とのパイプの太さによって、白でも黒になる恐ろしさを痛感した。

 しかし、事実はこれとは全く関係の無い、更に悪意のある進言であったと気づいたのは更に一ヵ月後の事である。

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