第7話

 その後リモートでの営業を強化する為に、内勤営業社員を募集する事になった。電話による営業強化である。

 武井は「募集広告を出しますか?」と尋ねたが、「広告は出さない。」と言う。確かに保険会社の募集広告はあまり見たことがない。でも人を採用しろと言う。

 武井は職安に広告を出す事だけは許可をもらった。

 早速数名の問い合わせがあり、三人目の応募者からメールが届いた。武井は応募方法をパソコンがある程度使える人が欲しいと思い、メールでの応募に限定していた。

 その人はパスワードを付けて送信してきた。正直、あまり意味は無いとは思うが、多少パソコンを使っている人でないとパスワードでセキュリティーをかけたりしない。そして大手の保険会社でコールセンター勤務九年と書いてあり、応募動機を読んでも保険に対する考え方がしっかりとしていた。年齢は五十一歳、武井達営業四人の中で一番若い年齢になる。今のスタッフは全員五十五歳以上である。まぁ大した違いはないが。早速プリントアウトして社長に提出した。面接だけでもオーケーが出るものと思っていたが。

「武さん、悪いがこの人は採用できない。」

「社長、経歴とか文章を読んで頂けますか。いい人材だと思います。今、うちの会社で欲しい人材にピッタリじゃないですか。即戦力になると思うんですが。面接だけでも如何でしょうか?」

「いいや、悪いが採用しない。」

「なぜでしょうか?」

「五十歳以上は採用しない。」

「えっ?」

 戸惑いながらも「わかりました。」と返事をした。そして渋々お断りのメールを返した。

 翌日、だれかの紹介で面接者が会社を訪れた。社長が自ら一階の面談室に赴いて面接を行った。帰ってきた社長に武井は尋ねた。

「社長、面接は如何でしたか?」

「あぁ、採用した。」

「履歴書、見せてもらっていいですか?」

「おう。」

 入社すれば武井の部下になるわけだ。彼は履歴書を見て唖然とした。高校中退でアルバイトの経験のみ。正社員で働いた経験が一度も無い十九歳の女の子。高校中退に偏見があるわけではない。実際に知り合いでも、若い頃やんちゃなやつが立派に会社を興していたり、どこそこの会社の部長だったりと、しっかりしたやつもいる。しかし、十九歳の女の子に保険の営業が勤まるとは思えない。

「社長、十九歳の高校中退ですか?」

「高校中退って言ったって、しっかりした人間はいくらでもいる。」

「そうですけど。」

 結局その女の子は事務職ならいいけど営業はできないと言って断ってきたらしい。

 まぁ当然の結果だと思う。武井は職安の応募を取り下げた。この会社に入社するのは可哀相だ。自分も近いうちにこの事務所を去るだろうし。


 月末になり、いつも通り営業報告書を提出した。前月の二十七日から当月の二十六日が一ヶ月の業績で報告書を作る。二年間そうしてきた。そして提出して程なく。

「武さん、この数字違うんだけどな。」

「え、どこですか?」

 武井は社長の手元を覗き込んで。

「ちょっと待ってください。」

 自分のパソコンでデータを見直したが間違いではない。

「社長、間違ってないと思いますけど。もう一度見せてください。」

 武井はもう一度社長の手元を覗き込んだ。社長がパソコンを操作して「ここが違うだろう。」と言う。

 理由が分かった。データの引っ張り方が間違っていた。

「社長すいません、ここの期間のところ、前月の二十七日からの設定でなく、今月の一日からになっています。」

「一ヶ月って言うのは一日からだろう。」

「そうすると前月の二十七日から末日の三~四日間の数字が繁栄されなくなりますけど。」

「それは翌月の累計で調整できるだろう。これからは一日からにしなさい。」

「わかりました。」

 どう考えてもおかしな指示だ。事務所の全員がそのやり取りを聞いているが誰も言葉を発しない。社長が言い出した事だ。プライドがあるだろう、言い返さないでおいた。

 そして二年間で初めて一日から二十六日までの報告書を書いた。

 そして翌日の朝。社長に呼ばれた。

「武さんは、私が間違った指示を出してもそのままやるのか?」

 社長は怒っている。あの睨む顔。武井は何を言っているのか飲み込めないでいた。しかし黙っているのも変なので。

「気を付けます。」と返した。

 武井はこの件と面接の件と大型代理店契約解除の件。立て続けに起きた不思議な社長の言動に転籍の気持ちが決定的になった。


 ある日、総括部長の所に雑談でもしようと思って四階に行った。すると、間もなく専務が入ってきた。

「やぁ武さん。頑張ってるか?」

「お疲れ様です。」

「ん~、武さん何か言いたい事あるんじゃない?」

 いきなりの質問に少し驚いた。もしかして、総括部長が何か伝えたのかもしれない。ただ、あからさまに上司批判をするわけにもいかない。突然でちょっと困ったが、差し障りのない物的な事だけ言っておこう。

「言っちゃった方がいいよ。何かあるんじゃない。」

「専務、保険部門の事務所には社員を監視する監視カメラが付いているんです。あのペットを監視する小さいやつですけど。みんな嫌がっていますし、ちょっと困っています。」

「監視カメラかぁ、金融業界の特徴じゃないの?」

「お客も来ないし、お金を触るような業務でもないのですが。」

「まぁ、保険部門って言うのは我々にはよく分からないことも有るんじゃないのか、社長に任せているからなぁ、上手にまわしてよ。」

「はい。」

 専務は総括部長と話があって来たのだろう、早々に退散した。

 翌日、突然専務が事務所に現れた。ちょっと世間話程度の話しをして、ぐるりと事務所を一回りして一~二分で帰ってしまった。おそらく昨日の話を確認に来たのだろう。もしかして改善されるかも。しかし、何も変わらなかった。

 それよりもこの一連の流れから、武井は自分が社長から離れたいと思っている事を専務が気づいていると判断した。


 いよいよ武井は腹を括ることにした。本当に悩んだ。悩んで悩んで悩みぬいた。六十五歳まであと四年。収入は役職手当が無くなるだろうから三割ダウン。もしかするとそれ以上に減額になる可能性はある。貯蓄で持ちこたえられるか、家族の理解は。それより、会社がそんな事を許可するかどうかさえ分からない。もしかして職を失うかもしれない。しかしこのままこの事務所にいたら本当に病気になるかもしれない。ふてぶてしく給料だけもらって四年間いたら良いのかもしれない。

 武井は転籍願いを封筒に入れて社長に渡した。

 翌日の朝、改めて。

「社長、昨日の書類の件ですが、よろしくお願いします。」

「私には関係ないから、専務に相談したらいいだろう。」

「わかりました。」

 一般的には、「どうした?」と聞くと思う。そして本音で話せるかどうか、会話を試みる。この時の社長は話す気さえないようだった。部下と向かい合って会話をするのが嫌いなのかもしれない。確かに社長と膝を交えて会話をした記憶は少ない。長距離移動の車の助手席に乗せてもらった時にも、ほとんど雑談もなく寡黙な人なんだなとは思っていた。

 早速役員室に足を運んだ。専務の車があるのは確認したのでいらっしゃるだろうが、仕事の都合はわからない。イチかバチかノックして入室すると在室していた。

「おう、武さんどうした。」

「お疲れ様です。実は相談がありまして。」

「どうした。」

「あと二ヶ月で僕は六十一歳です。一年更新の専務面談になるのですが、僕の希望を突然ではご迷惑かと思いまして今のうちに伝えたいと思いまして。」

「あぁいいよ。」

「実は保険部門からどこか別の部門に転籍したいと思っています。」

「社長と合わないのか?」

 どうやら多少は聞いていたようだ。

「すいません。」

「社長には話したのか。」

「はい、専務と相談するように言われました。」

「わかった、取り合えず武さんの事は保険部門に預けているわけだから、私が社長と話してみるからちょっと時間をくれるか。それから武さん、武さんはこの会社にずっと居たいと思う気持ちはあるのかな?それとも田舎に帰りたいとか思う気持ちでもあるのかな?」

「いいえ、できれば六十五歳までは、この会社で終わりを迎えたいと思っています。」

「わかった。それならわたしに任せてくれるか?」

「はい、お手数をお掛けして申し訳ありません。」

 それから数日後の事である。偶然ロビーで専務とお会いした。専務から声を掛けられて。

「社長とは話したから、武さんは私が預かることにした。行先はちょっと待っててくれ。」

「ありがとうございます。」

 専務と社長の話がまとまれば話しは早いだろう、八月か九月かと言ったタイミングになるだろう。

 数日後、武井は総括部長の所に顔を出した。部長がなぜかにこやかだった。

「部長聞いてます?」

「武さんの移動の事?」

「それなんですよ。僕の行先聞いていません?」

「専務の頭の中ではもう構想ができてるみたいだよ。」

「そうですか、どこですか?」

「専務がまだ言っていないのに私が言えないでしょう。直接聞いてください。」

「まぁ、そりゃそうですよね。」

「でも移動できることが確かなら、ちょっと安心しました。」

「我慢できなかったのか?」

「まぁ、病気になりたくないですからね。」

「そんなに?社長、いい人だと思うんだけどな。」

「ん~立場の高い人か低い人かによって対応が違うんだと思いますけど。」

「そうなの?」

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