第3話
多少仕事に慣れてきた頃、社長からチラシの作り直しを指示された。
「グループの営業部が保険を販売しやすいように今使っている簡易チラシをもっといい物にするように。」と言う指示である。
他県との共有チラシだが、各地区の状況と要望を加味したA3タイプの両面印刷のチラシである。
武井は他県の各地区責任者と連絡をとり、それぞれに取り扱っているパンフレットを取り寄せて、その内容と保険商品の融合を考えて印刷業者と打ち合わせを繰り返した。今まで使っていたチラシが基本になるので滑り出しは順調に構成が進んだ。
全体像が見えたあたりで社長に途中経過の報告をしたが、大幅な修正を命じられた。以前のチラシを基本にしていた所が、かなり修正された。全く新しい発想でチラシを作りたいらしい。武井は社長の指示に従い、更に修正を加えた。
ここからは武井と印刷業者の打ち合わせで進んでいく。印刷業者はこのあたりの変更は当たり前のように淡々と要望に応じてもらえるので助かる。
そして修正した原稿を社長に提出したが、更に別の箇所の変更が命じられた。再度修正作業。そして更に更に修正が命じられた。既に武井と印刷業者の発想はどこにも見受けられない。全て社長の意向で作られたチラシになっていた。
そして各県用五種類のチラシの原稿がほぼ完成された。誤字脱字の確認を何度も何度も繰り返した。そしていよいよ印刷枚数を地区別に提案するあたりで変化が生じた。既に一ヶ月の期間を費やしていた。しかし。
「このチラシは作らないから。」
「えっ。社長の指示でここまで作ってきたんですけど。理由をおっしゃってください。」
「悪いが、このチラシは作らない。」
「グループ本体の営業にとってはとても使いやすいチラシだと思いますけど。」
「それでグループ営業からどれだけの契約が挙がるんだ?」
「印刷会社の今までの手間はどうしますか?」
「請求書をだしてもらえばいい。」
「わかりました。」
とにかく我慢するしかない。中間管理職ではなく、代表取締役の意向なわけだ。武井は印刷業者に電話を入れてとにかくお詫びした。そして請求書を出してもらい、稟議書を作成した。その稟議書の理由の欄に「社長の気まぐれ」と書いてやりたかった。一ヶ月間、社長の修正・修正に翻弄されながら、やっと完成したチラシがお蔵入りになってしまった。当然各地区の責任者にもお詫びの電話を入れた。
入社して五ヶ月が過ぎた。武井は一つの提案を社長に持って行った。早朝で社長と業務次長のみがいる場面。
「社長、一つ提案なんですが。営業のスタッフが持っているお客様、それぞれ数百件の保険契約者に、紹介キャンペーンと称して、紹介をお願いして成約になったら三千円程度のQUOカードをプレゼント、なんて言うのはどうでしょうか?」
「武さん、何の為に歩合払ってるの?そんなもの自分の歩合の中から買って渡せばいいだろう、武さんは甘くないか?」
「そうですか、すいません。」
その時の社長の顔は覚えている。人を睨む顔だ。怒っている顔。なぜ?提案を却下するにしても怒る事はないと思う。言葉は穏やかだが、睨む顔は覚えている。
それから二ヶ月後。社長が立ち上がり。
「営業、みんな集まりなさい。」
社長が数枚のプリントを皆に配って説明を始めた。
「来月から紹介キャンペーンを開催する。皆が持っている契約者に紹介代理店登録をお願いして、お客様を紹介してもらう。契約になったら五千円のQUOカードをプレゼントする。どうだ、みんなのお客様を協力者として更に保険契約の業績アップを計る。武さんは紹介代理店登録の用紙を作成してくれ。」
「わかりました。」
「QUOカードは業務次長が仕入れて管理する。いいな。」
「わかりました。」
スタッフから。
「社長、すご~い、頭いい。これいけますよ。わたし早速3~4件は話せる人いるわ。」
大好評である。二ヶ月前に武井が似たような提案をしていたことを知っているのは次長だけだ。何も言わないでおこう。なんとなく、もやっとする気持ちはあるがスタッフもいる。スタッフのいない所で話す事もできるが、おそらく素直な回答は無いだろうと思う。また流すことにした。わずか半年の間にいろいろある人だ。
武井は営業の途中で大きなグラウンドの脇の県道を走っていた。グラウンドでは元気な老人会の人達がグラウンドゴルフに興じていた。百人位の人達が大会でもあるのだろうか、ちょうど終わったところだ。武井は車を駐車場に入れて様子を見ていた。
たしか、社長が県老連の事務局にアプローチを掛けていたはずだ。県の老人会のトップに営業を掛けているわけだが、発想は解るがアプローチが組織の上過ぎると思っていた。武井はもっと現場、各クラブに直接近づいたほうが現実的だろうと思っていた。正にその現場が目の前にある。
武井は居残り組が十人位になったところでテントに近づいていった。社名を名乗り名刺を渡し尋ねた。
「今日は大会だったのですか?」
「いいや、今日は合同練習ですよ。」
「大会のようなものもありますか?」
「年明けに新年の大会があるわよ。」
「うわぁ寒そうですね。その大会に企業が協賛するような事ってありますかね?」
「たまにあるわよ。景品が出たりするから嬉しいのよね。保険屋さんなんかも来たことあったわよ。来てくださいな。」
「そうですね。どなたと話したらいいでしょう?」
「会長さんに話せばいいんじゃない。でももう帰っちゃったかな。」
武井はグラウンドの反対側にあるスポーツセンターに行ってみた。予想通り大きな建物の一角に事務局があった。名刺を渡し、用件を説明したら以外にもすんなりとその会長さんの名前と住所を教えて頂くことができた。しかしまずは社長に話して予算の許可をもらってからにしよう。
会社に戻り、早速社長に報告した。二~三万円の予算で大会への協賛を提案してみた。会社名の入った○○賞なんて言うのを何個か用意して広告入りポケットティッシュを全員に配り、社名と商品を宣伝して、一日お手伝いをして顔が売れたらいいなと思った。健康で元気にスポーツに興じているご老人は、保険会社としては社長と同じ目の付け所なので絶対許可されると思っていた。
社長の顔色が瞬時に変化した。そして以前にも見た事のある怒りの顔で、睨むような顔。そして静かに言われた。
「武さん、そんな暇ないんだよ。これから県老連の仕事が忙しくなろうと言う時に、わかってるのか。毎日のように行く所が出てくるんだぞ。その時だれが行くんだ。」他にも色々言っていたが忘れた、そのくらい武井は腹が立った。瞬殺である。
「そうなんですか、すいません。」
武井もちょっとぶっきらぼうに詫びて話しを終わらせた。後で考えれば少し子供じみた態度だったかも知れない。
このころから武井は少し悩み始めた。営業部長としてこの人の下でやっていけるだろうか。無駄なプライドの塊を持った社長。武井には保険会社でのキャリアは無い。その分新しい発想も必要だろうと考えていたが、全て却下されてしまう。せめてもう少し筋の通った回答があればそこから別の発想も生まれるだろうと思う。
それから二ヶ月が過ぎた頃。武井達営業が雑談をしているところに社長が入ってきた。
「お~い、営業はもうちょっと頭使って仕事したらどうだ。老人会には色々なクラブがあるのを知ってるか?そう言う所に行って営業すれば元気なご老人とパイプができるんだ。そう言う事も少しは考えたらどうだ。お前たちはありきたりの仕事しかできないのか。」
さすがに武井はムッときた。
「以前社長に、僕がグラウンドゴルフの協賛の提案をしたら叱られましたけど。」
「それは会社のお金をあてにするからだよ。」
そう一言だけ言ってその場から離れていってしまった。そもそもあの時は社長が一生懸命通っている県老連の仕事が入ってくるからとか言って却下されたはずだ。もしかして忘れてしまったのか?その後何年過ぎても県老連の仕事は入ってこない。と言うか県老連の言葉すら出なくなった。県老連向けの大弾幕を作ったり、専用の景品も作っていたけど。あれはどうなったのだろう?自分の仕事にプライドがあるのは良い事だと思う。しかし見方を変えれば部下に対して発想の勝ち負けを意識しているのだろうか。武井はそんな幼稚な疑問を持ってしまった。
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