忘れもの

リウクス

ある雨の日

 三人の女の子は幼なじみ。

 一人は優しくて、一人は内気で、一人は強気。

 幼稚園の年長から小学六年生まで、ずっといっしょでした。

 でも、三人で過ごした最後の夏休み、彼女たちのうち一人が、川の事故で亡くなってしまったのです。

 残された二人は、いっぱい、いっぱい、涙を流しました。

 つよく、鮮烈に、まぶたを赤くはらしながら。


 やがて涙がかれると、いつもと変わらないように二学期が始まって、いつもと少しちがう教室の景色に、二人は少しさびしくなってしまいました。

 始業式が終わって、放課後になると担任の先生は二人にこう言いました。

「あの子の分まで、二人でささえあいながら、長生きするんだよ」

 二人は「はい」とうなずきましたが、なぜかおたがいの顔を見る気にはなれませんでした。

 あの子がいなくなってしまってからというもの、二人は一度も口をきいていなかったのです。

 理由はちょっぴりふくざつ。

 優しい子が、おぼれてしまった内気な子を助けようとして流されてしまい、それを強気な子が「お前のせいだ」だと言ってしまったからです。

 もちろん、強気な子は内気な子のことを本気でせめているわけではありません。

 ただ、突然のことにびっくりして、反射的にせきばらいをするように、言葉を吐いてしまったのです。

 けれど、「そうじゃないよ」と言えるほど、二人は強くありませんでした。


 辛いとき。

 悲しいとき。

 だれかとケンカをしてしまったとき。

 あの子が優しくしてくれたから。

 三人は毎日笑ってすごしていました。

 そんなあの子がいなくなって、内気な子と強気な子は、どうしたらいいかわからないのです。

 本当はいつもみたいに、仲良しでいたいのに。


 それから三週間が経ったある日、強い雨がふりました。

 残暑もどこかにいってしまうような、冷たい雨です。

 大雨警報は出ていなかったので、各自気をつけて家に帰るように先生は言いました。

 しかし、内気な子は傘を持ってきていませんでした。

 こういうときは、先生に言えば前にだれかが忘れていった傘を貸出用として借りられるのですが、内気な彼女は言い出すことができなかったのです。

 そんなとき、ふと彼女の頭の中に、強気な子の顔がうかびました。

 あの子なら傘に入れてくれるのではないかと。

 でも、強気な子はもう教室にいませんでした。

 二学期が始まってからはいつもこうなのです。

 内気な子はため息をつきました。

 もしかしたら、これをきっかけに、強気な子と仲直りできたかもしれないと思ったからです。

 彼女はしかたなく帰るふりをして、下駄箱のある廊下までやってきました。

 すると見覚えのある後ろ姿が、玄関口でぼんやりと立ちつくしていました。

 強気なあの子です。

 どうしてまだ帰っていないのだろうと思いましたが、よく見ると彼女は手に傘を持っていませんでした。

 彼女も持ってくるのを忘れてしまっていたのでしょうか。

 内気な子は声をかけようとします。

 すると——

「ねえ、傘忘れたの? 入ってく?」

 と、同じクラスの女の子が、彼女に話しかけました。

 おそかったと思い、内気な子は思わずため息をついてしまいました。

 そうしたら、強気な子がチラリとこちらを向くと、「いや、いいよ」と首を横にふりながら答えたのです。

 内気な子がどうしてだろうと不思議に思っていると、強気な子がこちらにやって来て言いました。

「傘、持ってる?」

 内気な子はとつぜんのことにびっくりしてしまいました。

 なので、言葉につまりながらこう答えます。

「う、ううん。も……もってない」

 強気な子は「ふーん」と少し残念そうにしていました。

 でも、怒ってはいないようです。


 それから二人は、下駄箱の後ろにある階段下のうすぐらいところに、おそろいの水色のランドセルを下すと、ざらざらした壁にもたれて、湿った冷たい床にぺたりと腰を下ろしました。

 しとしとと、雨の音が鳴り続けています。

 みんなの帰っていく音がしました。

 しばらくして、最初に口を開いたのは強気な子の方でした。

「ねえ。あの日のことだけどさ……なんであんな遠くまで泳いだの。べつに泳ぐの好きでもなかったでしょ。そもそも川遊び行きたがってなかったし」

「それは……」

 内気な子はきゅっと両手をにぎりしめました。

「……私たち以外にも、クラスの子とかいっぱいいて、怖かったから……ちょっと、一人になりたかった」

 それを聞いた強気な子は、少し考えてから言いました。

「……言えばよかったじゃん」

「え?」

「言えばよかったじゃん。私たちに。怖いからいっしょにいようって。三人で遊ぼうって……」

 内気な子は一瞬彼女と目を合わせると、顔をふせてしまいました。

「……ごめん」

「……ごめんじゃないよ。なんであやまるの」

「……だって、私のせいで……泳げもしないのにあんな遠くまで行ったから……もう、三人で遊べなくなっちゃった」

 ひざをかかえて、涙をうかべながら、内気な子が言いました。

 すると強気な子は見えないように目をこすると、一息ついてから、彼女に声をかけました。

「……べつに、だれが悪いわけでもないでしょ」

「え……」

 内気な子が顔を上げて、強気な子の横顔を見ました。

「……お母さんたちは、ちゃんと見てなかった自分たちが悪いって言ってるし、先生たちはもっと学校で注意しておけばよかったって言ってる。みんながみんな、自分が悪いって思ってるんだよ。多分」

 それじゃあ、この子も本当は自分が悪いと思っていたりするのだろうか、と内気な子は思いました。

「……でも……でもね。私あのとき……人のせいにしちゃった」

 強気な子の声が震えます。

「……お前のせいだ、ってひどいこと言っちゃった。ぜんぜんそんなことないのに……なんでだろう」

 彼女はこらえきれないものをこらえようとしながら、必死に言葉をつむぎました。

「……私弱いの。自分がいやなとき、いつも人にいやなこと言っちゃう。私は悪くないんだって。苦しいのはいやだから」

 気が付くと、強気な子の顔は真っ赤になって、涙がほほをつたっていました。

「……だから、あの日もまた傷つけて……結局私も苦しくて……本当に……本当に、ごめんね……ごめんね」

 声を裏返しながら、肩を揺らしながら、彼女は何度も内気な子にあやまりました。

 それを見て、内気な子も泣きじゃくりながら、強気な子の手を必死ににぎりました。

「……ううん。大丈夫だよ……ありがとう。私、またこうやっていっしょにいられて嬉しいよ……」

 二人はしばらく肩をよせあうと、最終下校時刻のチャイムが鳴って、同時に顔を上げました。

「……そろそろ帰らなくちゃね」

「そうだね。でも、傘どうする?」

「職員室で先生に言ったら貸してもらえるみたいだよ」

「そっか。じゃあ私行ってくるね」

「あ、じゃあ私も……」

 二人は立ち上がって、スカートについたほこりをはらうと、すたすたと職員室に向って歩き出しました。

 そして、先生から傘を受け取りましたが、貸出用は一本しか残っていませんでした。

 先生は自分のものを貸すと言ってくれましたが、二人は顔を見合わせると、「大丈夫です」と答えました。

 もっと近くに、いっしょにいたかったから。


 それから、ぴったりとよりそいあって、玄関に立ち、二人いっしょに傘をさしました。

 すると——

「これって……」

 傘の中棒の部分から、ネームタグが下りてきました。

 ——そこに書かれていたのは、優しいあの子の名前でした。

 それに気づくと、二人はまた泣き出して、でも笑いながら、小さな手を重ね合わせて、きゅっとハンドルをにぎりしめました。


 悲しいのは、きっとこれからも変わりません。

 それでも今だけは、冷たい雨から守ってくれる優しさと、あなたがいるから。

 歩幅をそろえて、今日もいっしょに、歩いていけるのでした。

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