第9話 dance

 三門用に、追加のコーヒーをお茶汲み傀儡に頼んでいると、カイは車椅子の少女が気になるようだ。

 彼女の膝へと飛び乗ると、鼻先に肉球をあてる。


『寝てる……?』

「どう? 可愛いでしょ? 僕の妹の陽愛ひめだよ。もう3日になるから強制退院。他の要人の子が増えたからってのもあってさ。……ひどいよねぇ」


 埃っぽいラボには似合わない美少女だ。

 透き通るような白い肌に、夕日のような髪が肩に流れ、彼が創った傀儡だと言われても信じられるほど。

 私は三門を見る。

 三門も眼鏡をとればそれなりの顔なのだろうか。

 見てみるが、大ぶりの眼鏡が目の大きさを歪ませて、美男子には、全く、見えない!

 少し安心するが、あまりにぐっすり眠る陽愛が気なる。


『ゴハン』

「陽愛の?」


 うんと頷くと、三門は微笑んだ。


「ありがと。大丈夫。ちゃんと点滴は支給されるんだ。僕は君ほどじゃないけど傀儡が使えるから、介助も楽できるし。栄養補助だけだから、シールタイプなんだ。排泄関係は、まあ、言わずもがなって感じだけど……」

『お前が面倒みてんのか? 大変じゃね?』


 カイが彼女の膝で丸まると、三門は「大変でははいよ」とカイの頭を撫でた。


「両親も叔父もいないからね。面倒がみれるのは僕だけだし。……でも、僕はいいけど、妹が可哀想だなって……本当なら、母に看病してもらいたいと思うよ」


 優しく妹の髪を指ですく姿は、理想の兄の姿、それこそ家族の形のように見える。

 自分にも守ってくれる人がいたら、もう少し、違う人生もあったのだろうか。


「……ところで、梟、」


 続く言葉がわかり、私は目をそらす。


「明日だよ? 明日! パーティ、いくんでしょ? 早く陽愛のこと起こしてってば!」

『急げよ、梟』


 そうは言われても糸口があるようで、ないような。

 冷めたコーヒーを啜り、もう一度、資料に視線を落とす。


 三門は、ラボのなかでも日当たりのいい場所に傀儡を使って妹を移動する。

 そこはカイにとっても、寝るに良い場所だ。

 カイは妹の膝でお腹を出して寝始めた。

 三門はカイのお腹を撫でてから、昨日渡した女郎傀儡の修理を再開しだす。

 どのぐらい進んだかと見に行けば、ほとんどが治っているではないか。


『ハヤイ』


 私が声をかけると、三門は照れくさそうに笑う。


「すごい綺麗な子だからさ、夢中で治しちゃって……。なんか、梟に似てるよね、この子の綺麗な雰囲気」


 あまりに優しく女郎傀儡の頬を撫でて髪をすくので、私はなぜか見てられなくなる。


「どうしたの?」


 私は三門の声を無視し、元の位置へと戻った。

 視線だけで女郎傀儡を見る。

 ボディの修繕は終わっているようだ。

 彼が現在手をかけているのは発条の調整など、細かな部分なのがわかる。

 大きく開かれた彼女の内臓だが、遠目から見ても規則正しく発条が並び、血管のように蒸気管が張り巡ぐらされている。

 それらを丁寧に確認しながら、蒸気の圧力に合わせてシリンダー調整を施す三門は、とても手際がいい。


『あ、今日のパレード、中継すっかな』


 カイは思い出したのか、むっくり起き上がると、机に転がっていたリモコンを取り、蒸気テレビをつけた。

 すぐに映ったチャンネルは、建国記念日式典の中継だ。

 式典は碧霞高校すぐ外の広場で行われるようだ。

 だが雀と談笑した場所ではないようだ。


 すべて式典仕様に装飾され、倭国の央都であることを誇示するよう、倭国の古典装飾である菊菱柄の布が垂れ幕となって各所に下がる。

 高級な紫の毛氈もうせんも敷かれ、すべての雰囲気が一昔前の第一次蒸気革命のようだ。


『早く陽愛起こして、パレード見に行こうぜー』


 現在の時刻は気づけば9時を回る。

 式典は9時30分ごろからと、レポーターは丁寧な口調で話している。


 資料に目を通しながら、やはり、このおまじないが気になる。

 真剣な三門に声をかけづらいが、肩を突いてみた。


「……ん? どうしたの?」

『オマジナイ』『ナニ』


 三門はすぐにピンときたようだ。


「そんなものに頼る気?」

『チガウ』『ホウホウ』『オシエロ』

「はいはい」


 まるで兄のようだ。

 しょうがないな、という雰囲気がある。

 ちがう。そうじゃない。

 だが、言い訳をするのも面倒なので、無表情で彼の説明を待つ。


「このおまじないはね、万能らしいよ? 学業とか、恋愛とか、なんでも叶えてくれるんだって、噴水少女が」


 壁に指を向けるが、さらに先にある、あの庭園のことだろう。


「中央に噴水で、……あ、この動画、知ってる?」


 蒸気タブレット端末でフォログラムが立ち上がった。

 天使の姿をした少女が規則正しい音楽に合わせ回転している映像だ。


「これをね、噴水にある蒸気でフォログラム投影してお願い事をするんだって。それこそ、門限でかかる、あの音楽のとき。でも、誰にも見られちゃいけないってルールもあるから、かなり難しいらしいよ」


 タブレットの映像を眺めながら、三門はため息をついて、涙ぐむ。


「……陽愛もおまじないしたのかな……噂みたいに失敗したから、眠っちゃったのかな……?」


 答えない私に三門は続ける。


「聞いてよ、梟、陽愛ったら、おまじない効果があるって、黄色い粉砂糖も持ってたんだよ……女の子って、こういうの、好きだよね。……梟も同じだなんて、なんか、変な気分……」


 無理やり笑った三門に、私はうまく笑えなかった。

 振り返った陽愛は、首に巻いたタオルに顎をのせ、ぐっすりと眠り続けている。


 私は三門から渡された陽愛の行動リストを脳内で振り返ってみた。

 もしかして、彼女が眠ったのは……


『ヒメ』『ネタ』『ジカン』『イツ』

「そこに書いてある通り、だよ」

『チガウ』

「……え?」

『クワシク』


 私の視線がするどくなったからか、三門は目と鼻を乱暴にこすり、その日を振り返る。


「えっと、その、部活のあとに眠っちゃってて。……病院に搬送されたのが19時だから、19時になってる。でも、それより前だった可能性もあるとは言ってたけど、明確な時間はわからないよ」


 昨日の生徒の言葉は、

 第一発見者は生徒だ。

 複数回見つけている、または近しい人が見つけた話を聞いている可能性があるとすれば、眠る時刻は重なっている、ということになる。

 いや、眠る時刻が重なっているから、第一発見者に大きなブレがない。

 そうなれば、この昏睡状態の原因は薬じゃない。

 これは、“きっかけ”なだけだ。


 昏睡状態になった理由は────


 カイの肉球が私の目に突き刺さった。

 唐突な痛みに顔を抑えて床に転がり悶えていると、カイが私の上にジャンプしながら乗ってくる。


『梟、これ、ヤバいぞ。音楽が変だ。……映像も、なんか変だぞ』


 すぐに動画を止め、音を消すとカイはふんふんと顔を近づけ、首を傾げた。

 ちょんちょんと手で天使を再生し、また止める。


『音楽に聞こえるかもしれないが、かなり低音の周波数も混じってる。集中力が欠けたところに、サブリミナルで意識を差し込んでる。これなら、数分でも暗示にかかるぞ』


 止められた画面にあったのは、斑らにペンキが塗られた朱色だ。

 だがそれに文字があるわけではない。


 ……いや、書かれている。

 ペンキの陰影で描かれている文字は、糸を繋ぐように描かれていたのは、


 ──dance


 大きなサイレンが鳴り響いた。

 式典の開始合図だ。

 エコーが聞いたマイク音が窓を震わせる。


『──国歌斉唱』


 起立を促し、始まった国歌斉唱。

 メロディは、倭国らしく重低音の和音が響く。

 澄んだ女性の声が一番の高音を奏でたとき、それは起こった。


「……え? なに……?」


 最初に聞こえた悲鳴が、テレビと外から聞こえてくる。

 それでも国家斉唱は止まらない。

 緩やかなメロディに反するように、バタバタと人が倒れていく。


 カメラが捉えたのは、頭をうなだれ、警備兵が携帯している警棒を握った少年だった。

 いや、少年はその場にいるはずのない人物だ。


「……星、くん?」


 三門の声に、私は昏睡状態になった人間のリストを立ち上げていく。

 星とは、同じ1年の星悠平のことだ。彼は現在も眠っているはずである。

 だが彼は式典のために車椅子で出席をしていたようだ。

 丁寧に着せられた燕尾服で、見事なステップで華麗な円を描きながら、次々と人々を殴り倒していく。


 しかし、それは彼だけじゃない。

 他の要人の昏睡していた子どもたちも起き上がり、国家斉唱に合わせて、大胆な暴力を繰り出していく。



 私は画面の前で動けないでいた。

 これは、と同じ手口だ──



 ──4年前、20名以上の死傷者をだした事件。

 犯人は未だに捕まっていない。

 犯行声明の際の画像で使われたのがマネキンだったため、マネキン事件とも呼ばれている。


 彼の目的は『ダンスで死ぬ人が見たかったから』。

 それだけだ。

 思想もなにもなかった。


 操られた人は皆、交差点で青信号の間だけ鳴るメロディに反応して、人を殺し続けた。


 反射的に動き出した人間は皆、ブラッディ・マリオットというネット映画を狂信的に愛していた信者たちだったが、彼らはただ、音に合わせ動く傀儡のように、深い深い暗示がかけられていた。

 現在も暗示の後遺症が残っており、音がしない田舎暮らしを強いられていると聞く。


 そして被害者は、私の……─────



「……梟!」


 息ができない。

 視界が暗い。


 母と同じ目をして、

 孤児院の子たちと同じ目をした子が、

 仲間だった子が、


 同じスパイを目指していた子が、


 目の前で……────!


「……あぶなっ」


 床に突き飛ばされる。

 突き飛ばしたのは三門だ。

 陽愛の手にマイナスドライバーが握られている。


『起きろ、梟!』


 あの目だ。

 母の目だ。

 視界が狭まる。

 息が、詰まる。


 石膏で固められた私を、三門は唐突に抱き寄せた。


「ごめん、梟! 妹が……本当に、ごめん……!」


 守る気持ちと、妹に他人を傷つけさせない気持ち、それらが同時に彼の体を動かしている。

 薄い胸板のはずなのに、大きな安心感が背中を覆う。


 私は、私は、私は、


『梟っ!』


 カイの声に、私はとっさに蒸気鉛筆を太ももに刺した。

 痛みの勢いで立ち上がると、陽愛に蹴られて転がる電池が外れたお茶汲み傀儡を見つける。

 蒸気糸で無理やり繋げ、お茶汲み傀儡を起き上がらせた。


 前後にしか操作できないが、足の蒸気を一気に噴出し、陽愛の腹に頭突きをかます。

 よろけたところに、カイが押し出した車椅子に座らせ、棚にあったロープで身体を車椅子に縛り付けると、彼女の耳を両手で塞ぎ、カイに向かって唇で怒鳴った。


(テレビを消せ!)


 カイは素早くリモコンでテレビを消すが、この学園内にも曲が流れ続けている。

 そして、悲鳴もだ。


「な、んで……」


 戸惑いと焦りと恐怖で三門の体が震えている。

 まだ動きが止まらない陽愛の体を抱きしめながら、気の抜けた三門の胸ぐらを握りあげた。


(耳栓!)


 数回繰り返すと、私の唇が読めたのか、すぐに作業用防音ヘッドホンを私に投げてくる。

 彼女の耳にあて、ミュート機能を最大に回してやると、ようやく彼女の体から力が抜けていく。


『マジかよ。マネキンかよ……』


 尻尾をくるりとお腹に隠したカイを頭に乗せて、お尻を叩く。


 これからが勝負だ。

 萎れている場合ではない。


 だが、辺りの悲鳴、騒音、スピーカーの怒鳴り声に、どんどん思考が落ちてしまう。

 三門の瞳から光が消える。


「……本当に、陽愛、助けられる……?」


 もう、彼には明日の妹の姿が消えている。

 私は三門の頬を軽く叩いた。

 そして、天井に指を向ける。


『オンガク』『トメル』

「……それで助かる? 本当に!?」


 藁にもすがる思いだ。

 人形いじりしかしていない彼の手だが、私の肩を握る力が強く痛い。

 それでも私は静かに頷いた。

 私の視線の強さに、三門は落ち着きを取り戻していく。


「……わかった。うん。うん。……僕は何をしたらいいかな」

『コレ』『ドコカラ』


 再び音に指を向けると、三門は視線をぐるりと回す。


「たぶん、放送室……放送室だよ!」


 音楽の音もそうだが、この大音量の音の震えも動きのスターターになっているのは間違いない。

 リズムに合わせて彼女の足が揺れている。


『ココデルナ』『シヌ』


 私の無機質な指示が三門に伝わるが、それどころではない。

 逃げ惑う人たちが、このラボのエリアにまで入ってきている。

 悲鳴と走る足音の波が近い。

 唐突に壁が殴られる。


『うぉ! なんだよ! なんでこっちくんだよっ!」


 殴る音が微妙なリズム感がある。

 陽愛の膝が軽く揺れる。

 共鳴してる──!


『マジかよ。仲間集めなくていいって!』


 間違いなく操られている人間による仕業だ。

 操る人を集団にさせ、人を多く殺す気なのだ。

 ドアが大きく揺れ始める。

 蒸気ロックがかけられているが、突き破られるのは時間の問題だ。


 咄嗟にドアにしがみついた私を、三門が突き飛ばした。


「君なら天窓からでもいけるだろ! 僕がここを抑えてるから、早く、放送室に!」


 綺麗に並べてあった棚をバタンと倒すと、蒸気ロックの圧を上げ、扉のロックを強化する。

 さらに三門はまだ繋がっていた大型傀儡を使い、さらに棚を倒して、そのままドアを押さえていく。

 三門は再び叫んだ。


「その女郎傀儡、持っていって! 動くから! 絶対に役に立つからっ!」


 私は外套を脱ぎ捨てる。より動きやすくするためだ。

 カイを頭に乗せて手袋をはめ直すと、蒸気糸で女郎傀儡を両手につなげていく。

 カイは小指一本分しかつなげていないが問題ないだろう。


 ゆっくりと息をし始めた女郎傀儡だが、まだ着物がないのもあり、グロテスクな美しさがある。

 妖艶な視線を振りまきながら、幾つもの関節を鳴らし、両腕、両足、背中から蜘蛛の脚を展開。

 さらには顎が割れ、蜘蛛の嘴が現れる。

 彼女は粘着性の糸を天井に向かって吐き着けた。

 そのまま天窓まで吊り上げていってもらう。


 必死に扉を守る三門はこちらを振り向かない。

 揺れる壁、天井、怒声と悲鳴のなか、私は窓を突き破り、ラボの天井を走り出す。


『すぐ帰ってくるからなぁ!』


 カイの声が最後まで伝えられない。

 それほどに時間が惜しい。

 急がなければ。

 放送室を破壊しなければ。

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