第10話 マネキン
二人を助けるためにも急がなければならない。
走りながら、私は自分の推理が間違っていたことに唇を噛んだ。
マネキン事件を思い出していたのに、だ。
なのに、“天狗党員らしい”と言われだけで、すっかりそう思い込んでいた。
どちらの線も追うべきだったのに……!
自分の推理が絶対に正しいとたかを括っていたせいで、全てが後手に回ってしまった……!
『梟、後悔するのはあとな』
私の表情から読み取ったカイの声に、私は噛んで血が滲む唇をぺろりと舐める。
──まだ諦めるときじゃない。
屋根を蹴り上げ、走り続けるが、轟音レベルのメロディが辺りを包んでいる。
そして、見渡す限り、今日の式典は最悪だ。
数人は取り押さえに成功しているものの、他はまだまだ捕まえられていない。
要人の子だけあり、傷つけるわけにもいかない。
半ば手強い相手になっている。
『うわぁ、めっちゃ、混沌じゃん。ははっ!』
カイの笑い声に呆れながら、私はラボの壁、屋根、窓枠を伝いながら、校舎に向かう。
女郎傀儡のサポートがかなりありがたい。
彼女の蜘蛛の脚はしっかりと壁に張り付き、私をぶら下げても移動が可能だ。さらに、彼女の蒸気噴出でジャンプ力も上げられる。
彼女の蜘蛛糸、蒸気糸、それらを駆使し、壁伝いにスイングしながら移動していく。
空中ブランコのように飛び上がると、頭にしがみつきながらカイが叫ぶ。
『梟、どこが放送室かわかってんのかー?』
小さく頷いて見せる。
東棟の3階の中央だ。
校舎の屋根に着地をするが、蒸気に濡れて滑りやすい。
それを女郎傀儡でサポートしながら、丸みを帯びた屋根を走りぬけ、目的の東棟へと辿り着く。
『息切れてんぞ?』
カイの声に私は深呼吸で応える。
肩の揺れが落ち着いていく。
放送室は庭園に向けて窓がつけられている。
屋根に女郎傀儡をしがみつかせ、彼女の糸を腰に巻きつけて窓に飛び込む作戦で行こう。
イメージ通り、糸を腰に巻きつけると、軽く弾むように飛びあがり、窓に向けて踵を突き出した。
が。
『防弾ガラスかよっ!』
ガラスがたわんだ程度で、ヒビすら入らない。
跳ね返えされた瞬間、ガラス越しに人が見えた。
窓がすぐにスライドする。
──
ゼロ距離でぶち込まれる寸前、女郎傀儡を屋根からはがし、窓枠下に張りつき、難を逃れる。
まさか待ち伏せされているとは思っていなかった。
いや、想定が甘かった。
放送室を介しての音楽放送かと思っていたが、違う。
ここが拠点になっていたんだ──!
空に向かって伸びていくロケットランチャーを見送って、追加の弾の装弾音がしないのをカイに確認させる。
問題ないと視線で受け取り、私は逆上がりの要領で部屋へと乗りこみ、身構えた。
室内は意外と広い。
放送機材も並んでいるが、空間がぽっかり空いて、椅子が一脚だけ置いてある。
対峙する男は椅子を壁へと転がし、空のロケットランチャーを床に落とすと、楽しそうに肩をすくめた。
「あんた、反射いいわねぇ」
顔にはマネキンの面がつけられ、ボイスチェンジャーのせいで可愛らしい女の子の声がする。
だが、ドルツ国の軍人、いや、……スパイだ。
黒い軍服に、銀色の刺繍が、特殊部隊を表す妖精の刺繍がある。
距離を取る私とは違い、マネキン男は、私を見て、大袈裟に驚いた声を上げた。
「そのピアス……! まさか、朧月がでてくるなんて! でも、ここで殺せるならラッキーかしら……」
ナイフが飛ばされる。
180を超える大柄の男なのに、しなやかさが異常だ。
まるでダンスをするように、どこからともなく数々のナイフが投げ出される。
私はそれを上半身の動きで交わしつつ、背後に隠していた女郎傀儡を跳ね上げた。
完璧な蜘蛛型に変形した彼女は、奇怪な動きをしながら、機敏に男に近づいていく。
「これ、きもいんだけど!」
ナイフが女郎傀儡へと向くが、それをかわせるスピードがある。
この傀儡の最大の特徴は、素早さだ。
蜘蛛のように壁を伝い、天井を走り、蒸気を噴出しながらジャンプで移動を繰り返していく。
マネキン男の腕が、女郎傀儡を交わそうと、小さく揺れたのを見逃さない。
女郎傀儡で網を吐く。
が、突き破ったのは、小さなナイフだ。
鉄の棚から扉を破って出てきたのは、可愛らしい少女を模した西洋人形だった。
彼女の口、手のひらから、ナイフが噴出。
それらを傀儡を使って交わしていくが、マネキン男の指がピアノの演奏でもするように機敏に動く。
「こっちのほうがずっと可愛いでしょ? あんたも可愛い傀儡、使いなさいよ」
少女の口から一気にナイフが噴出した。
低い天井に合わせて弧を描く。
『おー! たくさん飛んできてんぞーっ!』
カイは私の背中に貼り付き、身を守る。
私も女郎傀儡の腕を伸ばし、傘のように振り回わし、降り注ぐナイフを弾いていく。
だが、交わし切れないナイフがある。
右肩、肋、左腕にナイフが落ちてくる。
肋は刃物を防ぐベストのおかげで服が破れた程度だったが、肩は深めの傷が、腕にはナイフがつき刺さる。
私はすぐに抜き取り、止血粘土を貼り付けるが、効果が少ない。
ナイフに抗凝固薬に似た薬が仕込まれていたのか、血液がうまく固まらず、流れ続け、血が皮膚を伝っているのを感じる。生暖かく冷たい感触が気持ち悪い。
「あら、しぶといのね」
首筋に向けて飛ばされたナイフをどうにか交わしたとき、奇妙なコードを見つけた。
複雑なルートを伝いながら、機材へとつながるが……
視線のながれで気づいたのか、男は可愛い声で笑い出した。
「あら、今頃気づいたの? ……この電源はあたしの心臓よ。あたしを殺さないと、死のダンスは止まらないの」
男は胸元を大きく開いた。
心臓部に小さいながらも取り付けられているのは、起爆装置だ。
心音に反応しているようで、チカチカと豆電球が光っている。
「迂闊に触ればドカンよ? ダンスも終わらないし、みーんな死ぬの」
視界に星が走る。
呼吸が浅くなる。
膝が床についてしまう。
血の流れと、究極の状況に、体と心がチグハグになる。
だが、まだ諦めない。
まだ、勝機がある。
考えろ。
考えろ。
考えろ、梟。
「そうね、もう少し頑張った方がいいかも」
男は天井に下がった蒸気モニターの電源をおもむろに入れた。
そこには、外の映像が映し出された。
かなり高いところから見下ろすように見える。
ドローンの映像だが、いくつか飛ばしているようで、エンターを押すたびに画像が切り替わっていく。
4回目で、三門が映った。
「あー……この子、早くしないと死んじゃうかも」
傀儡を使って、扉をどうにか抑え込む三門が見える。
妹はかろうじて部屋の端へと置いているが、いつ暴れ出してもおかしくはない。
ドアに穴が開く。
もう扉が機能していない。
横倒しにした棚が唯一の扉になっている。
時間が、ない────
「……ねえ、あたし、あなたみたいな子、欲しかったのよ」
カイは猫らしく威嚇するが、戦えない傀儡だ。
ひと睨みされて、すぐに私の背中に張りつき直す。
マネキン男は浅い息になった私の顎を人差し指で持ち上げた。
黒い革手袋に、顎から流れる私の血が染みこんでいく。
「これは交渉。降参するなら助けてあげる。どう?」
『どうするよ、梟!?』
私は深く呼吸をする。
絶望はチャンスだ。
最悪の結果が生まれるのなら、その原因もすぐそばにに、絶対に、ある────!
「さあ、あたしの可愛い子、一緒にこっちにこない?」
私は、両手をゆっくりとあげた。
「……あら、もう降参? え、うそ! つまんないじゃないっ!」
彼の蹴りが私の顎をつきあげる。
喉を爪先で蹴り上げられなかっただけマシだ。
鼻にツンとした痛みが登ってくる。
さらに左頬が蹴られた。
鳩尾、左肩、右肺を硬い革靴で蹴りつけ、両腕を放り投げ、仰向けで倒れた私を強かに踏みつけた。
「もっと抵抗してくれなきゃ! ぜんぜんあたしが考えたシナリオとちがーう。ぜんぜん面白くないじゃないっ! ……やっぱ、女の
もう1発蹴られながらも、私は倒れた体をゆっくりと持ち上げた。
準備は整った。
私がニヤリと笑う。
マネキンが首を傾げる。
私が強く拳を握ったとき、女郎傀儡が分解した。
鬼面を宿した手のひらほどの蜘蛛となって、散り散りに走りだす。
床に残ったのは、体の殻と頭のみだが、それすらも体に融合し、頭から脚の生えた蜘蛛となる。
「……は!? キモいって!!」
慌てて体勢を整えようとするマネキン男に、私は折られた歯を吐き捨て、仔蜘蛛で妨害していく。
西洋人形は粘着性のある糸で固め、遠隔攻撃は不可能にする。
次にマネキンの首元、足元に仔蜘蛛を潜らせ、噛みつかせる。
今回、毒を仕込んでおけなかったのが残念だ。
「……マジかよ」
噛まれたマネキン男の素の喋りだろうか。
余裕のない焦りの声とともに、解毒剤をポケットから取り出そうとした瞬間、私はがら空きの男の懐に身を縮めて入り込み、鳩尾に一発。右肺に一発。肋に一発。
「え……あ……」
よろけたところで、左肩に向かって踵落としを決める。
「……く……そ………」
肩からの強い痛みに、男の膝がようやく折れる。
カイが用意した椅子に腰を下ろさせ、さらに両手両足を糸で身動きを固めるが、彼の口はまだ健在だ。
「早く……殺しなさいよ……」
私は彼の胸部を大きく開く。
確かに心臓部と蒸気糸がうまく繋げられ、さらにはそれを動力として音楽がかけられている。
『梟、こ、ここここコルスのか?』
口すら回っていないカイをどかし、私は仔蜘蛛を彼の心臓部分へ集結させる。
「……きも……い!」
私もそう思う。
さっきの画面を一瞬見上げた。
三門の限界が近い。
もう侵入はすぐそこだ。
マズい。
呼吸をしろ。
大丈夫。
絶望は武器だ。
私は2体の仔蜘蛛を使って、彼の心臓部と仔蜘蛛をつなげていく。
男の鼓動を支えているのが蒸気コアであり、これが音楽の動力源でもある。
これを止めれば音楽は止まり、彼も死ぬ。
だが私の任務は、曲を止めることだ。
男を殺すことではない。
「……あたしを殺すのが正解。早くしてよ!」
観念したのか脱力とともに怒鳴られる。
まだ叫びたそうな男の顎に、カイが頭突きをかました。
石頭の一発は強烈だ。
マネキン男の頭が落ちると同時に、口元だけ面が崩れ落ちる。
男の血色悪そうな薄い唇が現れるも、唇は動かない。静かな呼吸音に、完全に意識がないことを私は悟る。
『梟、いけんだろ?』
私は頷く。
蒸気コアの構造は実は単純だ。
心臓を模していて、動力の回転数、そして流れさえわかれば、つなぐことは簡単なのだ。
私は息を止め、繋いぎ、切り替えていく。
蒸気を抜き、爆発を遮る。
そして、蒸気コアを停止させ、彼の心臓を仔蜘蛛で代用すれば────
『梟、音楽、止まった……止まったぞ! 止まったぞぉ!』
まるで赤いコードと青のコードを選ばされた後のような達成感だ。
記憶が曖昧だ。
だが、目の前の男の心臓は動いている。
呼吸もある。
画面の三門も生きている。
みんな、生きている。
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