第2話 卒業
朧月会が極秘運営するスパイ養成学園は、崖を越えて街へと向かう。
昨夜も濃い霧が出ていたのは間違いない。
霧は身を隠すためのカーテンの役割があるのに、そこで運転を誤り落ちるとはどういうことか。
百合の花びらを模った真鍮スピーカーから、軽やかなメロディとともに呼び出し放送が流れてきた。
『壱等調査官・梟、学長室まで来るように』
事務員の女性の声が、高らかに庭園に響く。
ショックを隠せない雀といっしょに、私たちは学長室へと向かっていく。
「あのね、もう、落ちたところもわかってて、それこそ、学園に到着していないってなって、探索したらゆるいカーブの崖から……もうペシャンコなんだって……。なんでこんなことなるのかな……だって運転手もプロの調査官だし! でも梟が乗ってたかもしれないって思ったらとっても怖かったんだ。それに」
聞いてもいないのに、雀はよくしゃべる。
それこそ私は話術だが、雀は学園内、いや、この街全体の秘密を全て網羅しているのではというほどの情報通だ。
「……ね、梟、聞いてる?」
私が声で相槌を打たないことに疑問を抱いたようだ。
『雀、いきなりこんな話だしよ、梟だって、あんまし頭が動かねぇんじゃないかな? なぁ、梟?』
カイが私の頭をふわふわの手でぽすぽす叩く。
笑いながら暴露するかと思ったが、そうでもないらしい。
彼の真意はわかりかねるが、黙ってくれているのはありがたい。
味方だろうと弱みを握られると厄介だ。
それこそ、今、壱等調査官からランクを下げるわけにはいかない。
『だってよ、雀もびっくりだろ? プロ集団が、転落、なんてよ』
雀は素直にそうだよねと繰り返す。
「あたしもびっくりしたもん……」
黒松との接点は少なかったはずだが、雀にとって仲間の死は衝撃だろう。
……そう、衝撃だ。
私は無理やり前を向き直り、呼び出された意味を考える。
間違いなく、そういうことだ。
余計に感情が複雑になる────
学長室の前でドアノックをつかんだ私に、雀は手のひらで涙をぬぐって、一歩下がった。
私は声が出ないかわりに、バラと蔦を模ったドアノックを3回叩く。
昨日と同じく「入れ」と端的な声がする。
だが奥からの声に私は返事ができない。
しようとするが、声が出ない。
戸惑う私の動きを読んでか、雀が前に一歩出た。
「……あの、雀です。壱等調査官の梟を連れてきました」
雀は私に目配せしながら、ドアを開けてくれた。
学長室に入ると、鶴学長はステンドグラスを見つめたまま私の方に向く気はないようだ。
「……黒松が死んだ。繰り上げで、梟、お前が碧霞学園へ潜入しろ。1時間後に出発だ。任務は追って伝える」
声の出ない私は、無言で敬礼をした。
肩に乗ったままのカイは『おー、やったな、梟』お気楽に感激の声をあげ、不謹慎にもほどがあると、カイの髭をひっぱろうと腕をのばしたとき、椅子が半分だけ回った。
学長の右眉が釣りあがる。
「おめでとうと、いうべきかな」
私はそれには頷きも瞬きすらも返さなかった。
この結果を笑って喜べるほど、私は黒く堕ちていない。そう思いたかった。
学長室から出ると、扉のそばに雀がいる。
誤魔化しているが、間違いなくドアに密着し、耳をそばだていていた。頬にドアの木彫りの痕が残っている。
相当くっつけていただろう顔で、私の前にずいっと踏み込んだ。
「……ね、聞こえたんだけど」
嬉しさの混じった雀の声に、私は素直に頷いた。
雀の顔が、ぱあっと明るくなる。
「早く荷物の準備しよ!」
私の腕をとり、鼻歌混じりに歩き出す。
運動音痴の彼女のステップはリズム感がまるでないが、大きな胸がふわふわと蝶のように舞っている。
「あたしね、碧霞学園と同じ市内の学校にいくことになったの。一緒に任務とかできるかな?」
女心と秋の空、なんて言葉があるが、ここで使うのは間違っていても使いたくなるほどの変わりようだ。
自分の心臓には剛毛が生えているとカイは言うが、きっと雀には羽毛が生えている。
「ね、梟、なんでずっとしゃべらないの? 話、長かったら途中で切り返してくるじゃない。こんなに反応がないの、なんか変」
もうすぐ私たちの部屋となって、雀がくるりと振り返る。
カイが身を乗り出し、私の代わりにと声を張り上げた。
『いやー、たまには聞きたいタイミングもあんじゃねーかな』
カイの頭をむんずと掴み、
「カイは黙ってて。梟、すごくおかしい」
雀は、じっと私の顔を見つめてくる。
私は今の状態を説明できない。
なので、そのまま表情を変えないことにした。
すると雀は私の腕をつかみ、駆け足で部屋に引き込むと、後ろ手でドアをそっと閉じる。
ぐっと声をひそめ、私の喉を指さした。
「……梟、もしかして、声が、出ないの……?」
頷き返すこともしなければ、視線を動かすこともしなかった。
白状するのも、難しい。
私だって、心では雀を信じたいと思っている。
だが、スパイは裏切るのが仕事だ。
現状を話すことで、これからの任務の枷となることは避けたいのが本心だ。
だからこそ、知られたくないし、知られた場合、どうすべきかを考えなくてはならない。
ひたすら葛藤を続ける私に、雀はそうかと、呟いた。
「……梟は、根がすっごく優しいから完全無視は絶対にない。なら、単純に喋れない、ってことだね」
結果はあっているが、理由が違う。
私は優しくないし、相槌を打つ方が話が続くから打っていただけ。
……そう、言い返したいのに、言い返せない!
ただ、弱みを握られたこの状況はまずい。
どうすべきだ。
財産を差し出す、脅す、怪我をさせる、どれも良い解決策とは言い難い。
……ここは懇願が最適解。
そして、友情を盾に──
ちらりと揺れた私の眉を見て、雀は吹き出した。
「今、弱みを握られたとか思ったでしょ。梟が計算してるの、すぐわかるんだから」
彼女はくるりと体を回して小さく跳ねる。
私の5倍はあるだろう胸が、ばうんと揺れた。
これは何か思いついたようだ。
「あたし、梟のサポートする! しばらく任務ないし。同じ市内だし! やった! あたしでも梟の役に立てる時がきたーっ!」
正直に眉をひそめる私に、雀がまた笑う。
「梟なら声がでなくてもできちゃうと思う。でも、どうしてもって時もあると思うから。その時は遠慮なく声かけてよ。……あ、喋れないんだもんね。それなら、カイが電話かけてくればいいじゃない」
彼女はそれだけ話し、雀自身が入れそうな大きな旅行鞄をベッド下から楽しそうに引っ張り出す。
「ほら、梟も荷物まとめよ?」
のんびり屋だが、彼女は長女というだけあって、こういうところの面倒見はいい。
鼻歌まじりに荷物をまとめだした雀におされ、私もカイを頭に乗せて荷物をまとめていく。
まとめるといっても、机の上に並べた資料を鞄に流し込み、蓋を閉めれば完了だ。
「梟はそんな鞄、1つだけ?」
雀の言い方はどうだろうと思うが、人によっては一泊分の荷物が入るかどうかの鞄だ。
一方、雀の鞄は三週間は滞在できるほどの大きさがある。
「梟、閉じるの、手伝って……あぅっ!」
荷物を押し込む雀とお互いの体重をかけてなんとか閉じたが、懐中時計を見ると、時間が近い。
鞄を引きずるように歩く雀を手伝いながらエントランスに着くと、すでに私たちを運ぶ蒸気自動車が到着していた。
運転手が手を上げる。
「壱等監査官の梟と、伍等調査官の雀だな。荷物は荷台へ。席は後部座席へ」
雀の鞄を荷台に詰めるが、大きさはぴったり。
私はいつもどおり、自分の膝に鞄を乗せて、後部座席に腰を下ろした。
雀がごめんごめんと繰り返し、私の隣に座るのが一連の流れだ。
運転手は蒸気を溜めるペダルを数回踏みつけ、キーを回した。すぐに熱い蒸気が車のエンジンを回転させていく。
白い蒸気をたっぷり吐き出したあと、滑らかに走りだす。
「……卒業だね」
式典もなにもないが、高校へ向かう車に乗った時点で卒業になる。
いつものやり取りだったはずなのに、これが最後になるのだ。
もっと感慨深くて、忘れ難い始まりになると思っていたが、問題が山積みすぎて浸ることすら難しい。
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