第3話 門出と任務

 陽がのぼり、霧は朝より薄くなっていると思っていたが、山道に入ると、朝よりも濃い霧に包まれる。それでも車の速度は落ちることなく、ぐねぐねと走り続ける。


 黙りこくっていた雀が、彼らが落ちただろう場所で、私の右手を握ってきた。

 目尻をぬぐう雀の優しさが少し羨ましくなる。

 私は形式どおり、心の中で黙祷をした。


 濃い霧は、崖を過ぎて街の舗装に出るまで。

 街の入り口が見えてくると、今度は蒸気が街を白く濁らせている。


「先に降りるのは、雀からだ。頑張れよ」


 彼女が降りた高校は白雨しらさめ高等女学校だ。

 お嬢様の学校として名高く、蒸気工芸の技術継承が盛んな高校でもある。

 制服は白いワンピースで、白いタイツと白のベレー帽、赤いローファーがトレードマークだ。


『ここの制服、お前、似合いそうだな』


 私が思ったことをカイが言ってくれた。

 私も同意だと、雀に向かって眉を吊り上げて見せると、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがと。あ、これ、衛星携帯電話の番号。カイ、何かあったら連絡してね」

『おう、頼りにしてるぞ、雀』


 大きく腕を振ってくる雀に、カイも同じように振り返すが、私は見ることもしなかった。

 お互い潜入調査で入る身だ。遊びに行くわけじゃない。


 碧霞高校に近づくにつれて、工業地帯も近くなる。そのせいか、より蒸気対策がされていることに気づいた。


 真新しいビルが並んでいるが、どれも錆が広がらないようにレンガや石で建造されている。

 もちろん道路も石畳だ。

 伝統的な組亀甲の模様が描かれ、開発が進んでいるのもあって、蒸気管は視界に入らないよう、地面に埋められている。


 少し郊外に出れば、錆びついた蒸気管が家の壁に内臓のようにみっちりと詰め込まれているものだが、このポイントだけでも、央都おうとは、やはり首都なのだと思い知らされる。


『お、最新の蒸気バイクじゃん。かっこいー! 梟、あれ乗ろうぜ』


 窓にへばりつくカイを引き離したとき、緩やかに停車した。


「着いたぞ」


 碧霞学園は、黒く沈む。

 浅い霧がかかり、暗い群青色の制服が石畳に反射し、まるで影が歩いているようだ。

 私が荷物といっしょに降りると、運転手が優しく微笑んだ。


「厄介な奴が多い。心してかかれよ」


 肩を叩かれる。

 私はそれに背筋を伸ばした。


 間違いなく彼はただの運転手ではない。

 特級調査官だ。

 彼もここへ潜入した卒業生なのだろう。

 たった短い言葉だが、とても重い。

 私は深く会釈をし、学校に向かって歩き出す。


『でっけぇ学校だなぁ』


 学園の門は開かれていたが、迷路のような庭園を挟んで学園がある。

 四角く囲むように学舎があり、虫の触覚のように男子寮、女子寮が伸びている。

 さらに各ラボがあり、蒸気機械設計士、蒸気傀儡操縦士、蒸気航空設計士など、多種多様にわたり、最新の研究をする施設がある。


『梟、見ろよ。タコスに鯛焼き、クレープのキッチンカーもある。お前、クレープ、好きだよな? あとで食いにこよーぜ』


 庭園にはあちこちにスペースが設けられ、くつろぐ生徒が見受けられる。

 噴水も見え、街に出なくてもこの敷地内で十分、充実した生活が送れそうだ。


 唐突な背後からの気配に、私は身をずらした。

 目の前を細い男がすっ飛び、地面に転がっていく。


『なんだ?』


 来た方向に視線を向けると、大型蒸気傀儡がいる。

 まるでゴリラだ。

 いや、ゴリラをモチーフにした傀儡か。

 どちらにせよ、とてもじゃないが美しいとは言い難い。

 操者もゴリゴリした男だ。

 傀儡と兄弟のように見えなくもない。


 一方、地面に突き飛ばされた彼の胸の中にも傀儡がある。

 腕から覗いた着物の柄から、珍しい花魁型なのがわかる。

 華やかな着物はもちろん、ちらりと見えた傀儡の顔には、きめ細やかな化粧が施されている。

 とても美しい花魁傀儡だ。


 彼は真っ先に花魁傀儡の着物の埃を払い、頬の土埃をぬぐい、乱れた髪を撫でて整え直す。


「いいから、三門みかど、それ、最優秀操者の俺が使ってやるって言ってんだろ」

「やだよ!」

「貸せって。国展優勝した古典傀儡を、この俺が、使ってやるっていってんだよっ!」

「絶対に、渡さないっ!」


 橙色の髪をした細長い彼は、色白の頬を紅潮させて叫んだ。

 大ぶりの丸眼鏡にヒビがはいっているのに、彼自身は泥に塗れているのに、彼は戦わせるべき傀儡を抱えて背を向ける。

 ゴリラ傀儡はやる気のようで、より蒸気を満たし、傀儡の筋肉を跳ね上げていく。


『見てらんねーよ』


 私の肩から降りたカイは、地面に丸るまる細長い彼をちょんちょんとつついた。


『お前、傀儡あんのに戦わねーの? 戦えよ』

「……猫が…しゃべ……え、あ、傀儡!?」

『そいつ、戦うために生まれてんだぞ? 使ってやらねーのは、傀儡の本懐じゃねぇ』

「僕じゃこの子を生かしきれない。粉砕されるくらいなら、僕は守る……!」

『なら、粉砕されなきゃいいんだな。梟、頼む』


 久しぶりのお願いだ。叶えてやらないわけにはいかないだろう。

 私は左手で彼の傀儡の頬を撫でた。

 これだけで蒸気糸が花魁傀儡に結ばれる。


「え、ちょ……!」


 傀儡は優しく彼の腕を解き、ふわりと浮かび上がった。

 彼の花魁傀儡は、幽雅と表現するにふさわしい傀儡だ。華やかながら奥ゆかしさが見える。

 彼女の人生を思い描きながら創りこんだのは間違いない。


「片手で? え? 鬼面の操作まで……。本当に君、僕の傀儡、初めて……?」


 驚き続けているが、単純な傀儡の変化は片手でも事足りる。ただ全ての機能を平行で操作することができないのが残念だ。

 彼が言った通り、美しい顔が鬼面に変化することで傀儡の蒸気ブースターが唸り出す。瞬間スピードは相当ありそうだ。

 何より攻撃パターンが、口、腕、足と多彩なのが素晴らしい。


『霧に映えるな、朱色の着物は』


 カイが長い毛をなびかせ、二本足で地面に立つと、腕を組んで見守ってくれる。

 長引くかと楽しみにしていたが、三回の呼吸で決着した。


 ゴリラと同時に飛び出した花魁傀儡だが、舞うように身を翻すと、ゴリラの背後につく。

 突進するゴリラを彼女の腕を蛇腹に伸ばし、首をくくる。

 途端、ゴリラの足が勢いで振り上がる。

 逆立ちの要領で空を蹴るゴリラ傀儡向かって、彼女はそっと振り返った。


 瞬間、彼女の蛇腹の腕から幾本もの刃が伸び、瞬く間にゴリラの太い首を掻き切っていく。

 熱い蒸気がゴリラの首から吹き上がり、それは頭を簡単に粉砕した。

 風船のように吹き上がった体は、蒸気熱により、爆音と共に飛散。


 だがゴリラの制作者も馬鹿ではなかったらしい。

 爆発は真上に向かって上がり、周囲への迷惑はごくわずかにとどまった。


『もっと骨のあるやつならよかったのによぉ』


 私は改めて花魁傀儡の頬を撫でてから、三門と呼ばれた彼に手渡した。


「えっと、……あの」

『三門っていったか? お前、すげー傀儡創れるんだな! 今度オレ様のこともメンテさせてやるよ』


 カッコよく手を振っているが、所詮猫だ。

 ふわふわの猫が格好をつけても猫にしかならない。

 二本足で歩きだしたカイに、私は小さくため息をついて見せたが、カイは不満げだ。


『なんだよ。梟だって、花魁ちゃん操作できて楽しかっただろ? オレ様だって、お前じゃないもっと器用な傀儡技師に手入れしてもらいてぇの!』


 肩をすくめて同意したと見せかけるが、人が割れるように避けていく。


 ……余計なことをした。

 今後の生活態度は、ごくごく大人しくしなければ。


 私はぐっと影を濃くし、存在を薄めていく────




 学生門から校舎まで、一直線にレンガ畳の通路が導いてくれる。

 やはり蒸気技巧のトップレベル校だ。

 全ての生徒が何かしらの技巧を持っている。

 各々の得意分野を磨くべく、切磋琢磨しているのを肌で感じる。

 それこそ、傀儡での試合はもちろん、蒸気石の加工の方法や、デザインやデッサン、さまざまな蒸気技巧に関し、ここの生徒たちはトップとなって進んでいく人材たちだ。

 一つじゃない。複数の技術、知識を兼ね備えた生徒ばかりだ。


『でっけぇ校舎。梟、迷わねぇで行けんの?』


 私は肩に移動したカイに頷くと『キモい』と言われてしまった。

 だが昔からこの学園を目標にしていた私は、それこそ、隅から隅まで調べてある。

 校舎の図面はもちろん、柱の位置や、水道管、蒸気管の配置すら頭に入れてある。


『シャンデリアないんだなぁ。蒸気蛍光灯ばっか。おしゃれじゃねぇなぁ』


 確かにカイが言うとおり、芸術的な雰囲気もあった朧月会の校舎とは正反対だ。

 ここは単に学舎なのだろう。

 学び以外の無駄を排除した雰囲気さえある。


 私はそのまま学長室へ挨拶に向かった。

 二階建ての学舎は横に長く広い。

 ただ直線を歩くだけで景色の変わらない教室をいくつも抜けて、学長室へと辿り着いた。


 重厚そうな扉に、碧霞学園のモチーフにもなっている蓮の花が繊細に描かれ、その隙間をノックする。

 見た目とは裏腹に軽々しく扉が開きだす。


「ようこそ、当学園へ! 僕はここの学長をしている池満いけみつ鈴鳴すずなりと言います。よろしくね」


 軽快な音楽でもかかりそうなほど、明るく楽しげな学長が豪華な椅子から立ち上がった。

 盛大に迎えているよ、というように、両腕を広げ、満面に優しい笑みをたたえている。


 私は小さく膝を折り、スカートをつまみ、頭を下げる。

 この学園の挨拶は優雅で美しくがモットーだ。

 特に今年から引き継ぎをした池満学長は、伝統に厳しいという。


 しかしながら、37歳とモノクロ写真とともにプロフィールを見ていたが、実物は20代前半といっても通じるほどだ。

 だが可愛らしい笑顔の奥で、野心が燃えて瞳から炎がこぼれている。

 池満学長は笑顔を崩さずに話を続ける。


「実に4年ぶりだね、朧月の人が来るのは」


 答えない私を気にかけることなく、高級な革靴をカツカツ鳴らして歩き回る。

 深緑色の燕尾服で動く姿は、ゆるい金色の髪も相まって神話のエルフに見えなくもない。


「国から派遣される君たちをちゃんと受け入れるよう、国からも先代からも、言伝を受けているよ。……ただ、ここでのルールは守ってほしいんだ」


 一歩踏み出した足が、私の革靴の先に触れる。

 見下ろす彼の柔らかな髪が、私の鼻先にかかる。


「生徒には正義ポイントがある。君は今年から入学だから、持ち点は0ポイント。マイナス10ポイントで退学になる。本来なら校門付近で行ったはマイナス3ポイントだけど、今日は見逃してあげるよ。……せいぜい、迷惑をかけないようにお願いね……」


 鼻息が頬にかかる。

 長いまつ毛と翡翠色の瞳が、私の中身を覗き込むように、より近づいた。


『おっさん、めっちゃ近いぞ』


 カイの肉球が池満学長の鼻先を押し出した。

 お互いに強かったのか、学長の鼻先に肉球のスタンプが押されてしまう。


「……これは、君のボディガードかい? とても手強そうだ。はい、これが君の部屋の鍵だよ。明日から学校が始まる。ぜひ、楽しんでくれたまえ」


 笑顔で握らされた鍵を持ち、私は小さく会釈を返して部屋を出た。

 目の前で鍵をぶら下げ、異常がないか見つめる私の肩で、カイは一人ぷんすかしている。


『なんだあいつ。ちゅーでもする気だったのか? あぁ? お前の初ちゅーはオレ様を倒した男だけだかんな!』


 なんだそれは。

 つっこみたいが声が出ない。

 確かに側から見れば、そう見えたかもしれない。

 だが、そんななことじゃない。

 あのとき、気づいたときには動けなかった。

 金縛りのように動けなかった。

 あの程度、いくらでも身をかわせるし、なんなら背後にすら回れる。


 学長の瞳の能力なのか、近づかれたことによる作用なのか、彼なりに私に細工をしようとしていたのか……

 なんにせよ、カイのおかげで助かったのは間違いない。


『梟、一人部屋か? だといいなー! オレ様、ずっとお前についてなきゃいけないからなっ』


 カイがうるさいキャラだと今更気づいてしまった。

 彼がこれほど話しかけてくるタイプだったとは、忘れていた。

 おかげで考えがまとまりきらない……!


 中央の校舎から渡り廊下を歩いていくと、女子寮のエントランスが広がった。

 来客用のロビーとあわせてカフェも併設。さらには、朝と夜に使う食堂やシャワールームもここから行けるようだ。


止水しすいきょうさんね。寮母のベルジュです」


 後ろからの声に振り返ると、神経質そうなおばさまがいる。

 歳は50代にさしかかったぐらいだろうか。

 格好はメイドの服装に近く、足首までの黒のワンピースに、白いフリルをあしらったエプロンをかけている。

 ブロンドの髪は綺麗にまとめあげられ、彼女の肘から下げられているカゴには、手紙や小包が詰まっているが、どれも丁寧にまとめられ、生真面目さが窺える。


「ルールは、寮生のルールブックを読んで頂戴。あと動物は」

『オレ様は、猫の傀儡。動物じゃねーよ』


 ベルジュは眉を吊り上げると、そのまま無言で踵を返していった。

 寮母という肩書はあるが、見た感じ、雑用係、といったところだろう。


 私は部屋に続く廊下へと向かう。

 全寮制ではないため、部屋は空いた順に割り当てられているようだ。

 3年生の部屋がしばらく続いて、ようやく与えられた部屋番号へと辿り着く。


『お、角部屋でいいな』


 蒸気鍵を差し込むと、鍵穴に蒸気が充満。歯車が回りだす。数回、音が聞こえ、すぐにロックが外れた。


『狭いなぁ』


 カイが入ってすぐにいうのもわかる。

 広さは今までの部屋の3分の1程度しかない上に、ベッドと机はくっついてあるし、クローゼットは2着もかければ満杯になりそうなほど小さいものだ。

 唯一良かったのは、窓が南側に位置しているところ。

 学園を囲む森が一望できる。


 私は鞄をベッドへ投げ、窓を開けた。

 甘い花の香りが部屋に満ちていく。

 花の名まではわからないが、朧月で嗅いだ松の香りではないのが新鮮だ。


『ベッド、ふかふかだぞ!』


 さっそく毛布を揉み始めたカイを放置し、部屋の中を確認していく。

 盗聴器や監視カメラがないことを調べて、荷物をほどきに取り掛かる。


 大きな段ボールには、これから着る制服と教科書類が詰め込まれていた。

 ノートとペンを机に転がし、さらに段ボールに入れられた手紙を持って、椅子に腰を下ろした。


『もう、任務かよ』


 カイを肩に乗せて、朧月会のマークである月と雲が泳いだ封蝋をはがしていく。

 封筒のなかには、カードが1枚入っていた。

 銀色の厚手のカードを机にそっと乗せた。


『なんだこれ、ミミズにでも書かせたのか?』


 特殊な暗号文字だ。

 糸がのたうちまわったように見えなくもない。



親愛なる梟へ

 “指輪”へ潜入

 “王女”を護衛

 敵は“赤鼻”



『おい、梟、なんて書いてあんだよ? 任務なんだだろ?』


 私は机に転がしたノートに書き込んだが、カイはクエッションマークを浮かべている。

 机に並べてある『学園のしおり』と書かれた冊子を取り出した。

 年間行事と書かれたところを開いてやる。



9月6日 高等部:約束の黒指輪の会(※12月、2月の実施は9月の会員人数により判断)



 その文字を指でなぞる。


『これが潜入先か? なんだこれ』


 さらに横を指差した。


・指輪の交換をした相手と入場すること

(※相手の性別は問わない。ただし年齢は同じであること)


・指輪は学園から支給するものを使用すること

(※改造は認められない)


・学園外の人間は交換不可

 以上、ルールを守れない者は退学と処す



『なんだこりゃ』


 私が追加でノートに書き記したのを、カイが読み上げていく。


『え? 高校生の社交会、人脈作り、要人の生徒は必ず所属。……あー、陽キャってやつか。好き者同士のアピールの場ね。ちがう? で、赤鼻は、盗賊団の天狗党。王女は?』


 冊子の写真に指をあてた。

 ひと塊りの蒸気石から削り出されたという、繊細なデザインと天然石をあしらったとてつもなくゴージャスなティアラだ。


『めっちゃ歴史的価値すらあるじゃん、これ。は? 前年のクイーンがつけんの? え? 学生だよな? 危なくね? つーか、今日は9月3日だよな? あと2日で、指輪の交換の相手を探すってことか!? はぁ?』


 カイは自分で言って、ひとりで大笑いする。


『そら、無理だな。喋れないんじゃパートナーすらできねぇな! はは!』


 書き込んだノートの紙を鉄バケツで燃やしながら私も鼻を鳴らす。

 それでもまだ、やれることは、ある──!

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