『碧霞蒸気技巧高等学園』潜入調査報告書 ~極光姫~

yolu(ヨル)

第1話 終わりは、始まり

 私の物語はいつもから始まる。

 だけど知っておいてほしい。

 少しの賢さと、諦めの悪さがあれば、絶望すら武器になるんだ────





 まるで時報だ。

 15時、蒸気管がカンカンといつものように鳴り出した。


 渓谷と渓谷の間に建てられたこの洋館は、朧月会が運営する隠密スパイ養成学校になる。

 日陰者が住んでいるからか、ここの夜は早い。

 9月初めでも、15時を過ぎれば渓谷と深い木々のせいで、室内に陽が入らなくなるのだ。


 気圧の調整で、廊下のあちこちから蒸気の噴出が聞こえてくる。

 シリンダーが軽快に動きはじめ、勢いよく歯車が回転。さらに小さな歯車が蒸気管を繋げ、瞬く間に廊下の蒸気灯に光が灯る。


 独特の青白い灯りが充満した廊下で、私は学長室のドアの前に立ち、自身の名を告げた。


「壱等調査官、秘匿名コード・ネームきょう、参りました」


 影がかかり、視線を横に投げる。

 音もなく横に立つが、180を超える高身長のため、私の視界だと顎先程度しか見えない彼も、ゆっくりと名を告げた。


「壱等調査官、秘匿名コード・ネーム黒松くろまつ、参りました」


「入れ」


 ドア越しの声に招かれ、私たちは学長室へと入っていく。

 学長室の古いシャンデリアにも可燃蒸気が流されていく。ぼおと音を立てて、じんわりと明かりが灯った。

 机の前に並んだ私たちを学園歴代の朧月会学長の写真が見下ろすなか、黒革の椅子に座る学長が、学長の椅子がゆっくりとこちらを向いた。


 最年少で学長となった秘匿名コード・ネームカクを持つ学長は、まだ30歳にも届いていない。

 端正な顔に表情を出すことなく、黒い手袋をはめた手で、鉛色の髪をかきあげる。


「4年もの間、壱等調査官が出ていなかったが、今年は2名もいる。この豊作の年に、僕が学長を務められたことを光栄に思う」


 彼が手を伸ばした黒塗りの机には、機密書類や資料が散乱する。

 今朝の朝刊だ。日付が9月2日とある。

 書類が崩れ、一面の文字が現れた。

 “極光姫オーロラ姫病再来か”と、白抜きの大文字が踊っている。

 その下から銀色のファイルケースを抜き取った学長は、音もなく立ち上がった。


 学長の背には、天使と天秤が描かれたステンドグラスがあり、さながら審判の神のようだ。

 いや、今、彼の手にあるファイルには、最終試験結果があるのだ。

 もはや、審判の神と言っても過言ではない。


 ──16歳になる壱等調査官のみが潜入できる碧霞あおがすみ蒸気技巧高等学園。

 隠密学園・朧月会おぼろづきかいからの任務として、生徒となって潜入する。


 重要な蒸気技巧はもちろん、歴史ある資料を違法に国外へ持ち出されないよう、監視、守り、そして一流の蒸気技巧を学び、今後のスパイ活動に活かすためだ。

 特に、同じく蒸気国家であるドルト国のスパイが現在活発化している。そちらへの警戒も大きい。


 私は朧月会に入ってから、『ママ』が通ったこの学園に潜入することを絶対の目標にしていた。

 寝る間も惜しみ、日々、必死に鍛錬を続けてきたのは、今日の結果のためだ。


 ただ一つ、気掛かりなことがある。


 今年になって、壱等調査官となった黒松くろまつと試験を受けることになったことだ。


 彼は冬北とうほく地区の朧月会から派遣されてきた。

 月白色げっぱくいろの肌に、陽の光に溶けるような金髪を襟足でまとめ、滅紫けしむらさきの目をしている。倭国と外国のハーフだそうだ。

 笑顔を絶やすことなく、物腰も柔らかく、ここへ三日前に来たにも関わらず、学園にしっかり溶け込んでいる。もちろん、たいへん女子にも人気だ。

 だがなにより、彼の隠密スパイとしての知識、技術は相当だ。

 試験の際身のこなしを見たが、しなやかさが私と全くちがう。

 私は無駄な動きがないように動くが、彼は流れるように動く。まるで、傀儡のように──


 今日の最終試験結果次第で、私または彼が、学園の代表として碧霞学園に行くことになる。

 だが、あいにく彼の左手は怪我をしている。

 指まで綺麗に巻きつけられた包帯が痛々しいが、一番重要な傀儡操作試験で間違いなく結果を出せていない。

 怪我は試験結果に考慮されないため、彼でも少なからずマイナス点を稼いでいるはずだ。


 私は肩を過ぎた黒紅色くろべにいろの髪を耳に掛け直して、制服である浅葱色のジャケットの背を引っ張り、ぐっと胸を張る。


「……最終試験の結果だが、学力筆記テスト、暗号解読において両者満点。話術試験では、学生壱等調査官・きょう、満点プラス。学生壱等調査官・黒松、マイナス3ポイント」


 私は黒松を視線だけで見ながら、緩みそうになる唇をぐっと結ぶ。

 もう私に決まったも同然だ。

 最後の結果は、蒸気傀儡操作試験結果になる。


「蒸気傀儡操作試験、学生壱等調査官・黒松、満点プラス。学生壱等調査官・梟、マイナス4ポイント」


 私は黒松を見た。

 彼の手には、変わらず包帯が巻かれている。


「よって梟は、第二重要高校である桃風ももかぜ蒸気技術高等学校へ。異動は入学式後の明後日、9月4日を予定。黒松は、第一重要高校である碧霞蒸気技巧高等学園へ。9月2日、本日23時に任務開始。以上だ」


 黒松は髪を手のひらでなで、学長に敬礼をする。

 ゆっくりと出ていく際、私を見た。


『みくびってくれてありがとう』


 唇が揺れる。

 彼の八重歯の端がゆっくりと吊り上がる。

 目が半月をかたどり、私を見下げた。


『あんたが女でよかったあ』


 たった7枚の万札を握り締めて、5歳の私を売ったあの母の笑顔と重なる。


 視界が狭くなる。

 腹の傷口がひきつる。

 裏返りそうになる意識を、私は無理やり踏みとどめた。


 私は息の仕方がわからぬまま学長室を出るが、そこで待っていたのはルームメイトの雀だった。


「……え、嘘……?」


 彼女の両手には小さなクラッカーが握られている。私の合格を彼女なりに祝おうとしていたのだろう。

 それを見て、私はつまる息をそのままに、無理やり背筋を伸ばし直した。


「明後日から、桃風だ。今から資料室で学校を調べてくる。眼中になさすぎた」


 雀はクラッカーを強く握り潰す。

 小さく炸裂音がする。

 頬にかかる桜色の髪が、大きく揺れる。


「あたし、鶴学長に抗議する……!」

「バカ、何言ってっ」


 とっさに彼女の腕をとるが、童顔の垂れ目顔に不釣り合いな大きな胸がたゆんと弾む。

 私を見る雀は、悔しそうに唇を噛むと、薄紅色の大きな瞳に涙を溜めていく。


「だって……! 梟はいつもみんなを小馬鹿にして、そりゃあ偉そうにしてるけど、誰よりもずっとずっとずぅーっと努力してたもん! あたし、知ってるもんっ!!」


 私とルームメイトになって4年、見てくれているのは感謝するが、調査官として気持ちで情報の比重を変えることは絶対にしてはならない。

 彼女はいつもここが欠けている。

 だから、最低ランクの伍等調査官なのだ。


「……その、誰よりも努力したって、報われないこともあるから」

「でも、」 


 雀の話を最後まで聞かないで、私は背を向けた。

 彼女は追ってこなかった。




 資料室は地下になる。

 3階の学長室から螺旋階段を降り、エントランスの反対側の扉に手をかける。

 岩盤をくり抜いたのか、歪な天井と石階段が地下へ続いている。

 凸凹した天井が蒸気灯をまだらに揺らし、足元は薄暗い。石壁もじっとりと湿っているので、足運びに注意する。


 蒸気石を蹴ったようだ。

 シュワシュワと泡を立てて転がり、小さく萎んでいくのを見つめながら、今頃、碧霞学園に行くのは黒松だと話が広まっている頃だと、想像する。

 あのクラスメイトたちなら、手を叩き、大笑いしているのが目に浮かぶ。


 だが、お前たちにこの秘匿名コード・ネームが背負えたのか?

 『ママ』が学生時代に与えられたこの名を、私は12のときから背負って、1番でいるよう踏ん張って……


「あ……」


 気づけば石壁を殴っていた。

 右手の鈍い痛みが現実を知らしめる。

 私は血の滲む拳でもう一度殴り、冷たい階段に座り込んだ。


 悔しさが涙になって落ちてくる。

 笑われるのは当然だ。

 自分の油断の結果なのだから。


「……足掻け、梟。絶望を武器にしろ……! 大丈夫……お前は、ママに負けないほどの賢さがあるんだ……大丈夫、だかっ……ら!」


 膝を抱えて、私は絶叫した。

 反響し、跳ね返る声が地下へと沈んでいく。




 資料をまとめ終えた私は、夕食も摂らず、シャワーにも入らず、ただベッドに潜った。

 夜中、黒松の見送りに数人の生徒が出ていく音を聞きながら、私はこれほどの人たちに見送られたのだろうかと思う。


 改めて蔑められたようで、目頭が熱くなるのを私は歯を食いしばって耐えていた。

 気づけば朝6時の鐘が聞こえ、ほとんど眠れなかった状況に舌打ちする。


 ベッドの隅にある猫型傀儡のカイを撫でてから、そばのカーテンを少し開いた。

 晴れていれば見える渓谷も、森林の温度差と蒸気灯の熱排出もあり、霧で辺りが満ちている。

 昨夜ならもっと濃い霧だったはずだ。

 スパイの門出として、とても素晴らしかったに違いない。


 ベッドから起きると、私の机にリンゴとクラッカーが置かれている。

 これは雀の気遣いだ。

 私は大口を開けて眠る雀を起こさないよう、リンゴをかじりつつ、身支度を整えていく。


 顔を洗い、制服に着替え、一度、姿見を覗いた。

 唯一気に入っている黄金色の目がぼってりと腫れ、さらに少しペタついた髪に苦笑いが出る。

 髪の毛を耳にかけ直し、元から顔色がそれほど良くないの青白い頬を数回揉んで血色を出す。

 少しは『ママ』に似た優等生らしくなるだろうか。


 軽い運動をしようかと思ったが、しばらく会っていなかったカイをことに決めた。

 雀の寝返りに合わせ、部屋を出ると、寮を囲む庭園へ向かう。


 灰色の長毛猫を模ったカイは、蒸気糸で操ることができる蒸気傀儡だ。朧月会に入ったときに『ママ』から貰った大切なプレゼントでもあるが、この土地の子どもなら誰もが一度は通る遊び道具でもある。


 いつも私が休むベンチに腰を下ろし、傀儡操者用の手袋をはめる。砂状にされた蒸気石を手の甲にセットすると、指先からしゅるしゅると蒸気の糸が伸び、カイに繋がった。

 静かに吹き出す蒸気の音が、彼の鼓動とリンクする。

 重たそうに、私と同じ色の黄金色の目が、ゆっくりと開いていく。


『……ふおあぁ。……あー、おはようさん』


 ふわふわの顔を持ち上げ、猫らしく背伸びをすると、カイは辺りを見回し、髭を揺らす。


『今日は蒸気がキツいな。オレ様の自慢の毛がぺしゃんこだぜ』


 ベロベロと毛繕いを始めたカイの頭を撫でてやると、気持ちよさそうに眼を細めた。

 はたから見ると、私がそうやってカイを動かしている、と思うだろう。

 だが、カイはどういうわけか自我がある。

 操者と繋がることで動き出す仕組みだが、私が起動スイッチなだけで、あとは彼が判断、行動し、会話をしている。

 昔は丁寧にこの仕組みを話していたが、ほぼ全員が不思議そうに、むしろ面白い冗談だと笑うため、カイとの会話は人のいないところでしようと、ずいぶん昔に決めたのだ。

 ただ雀は信じてくれている。

 もしかすると、私に『信じている』と思わせているだけかもしれないが。


『そうだ、梟、試験の結果どうだったよ?』


 詳しく答えたくない私は、首を横に振るだけにした。

 何か言えば100倍は皮肉にして返してくる猫だ。情報を与えたくない。


『マジかよ? ……まあ、オレ様を使えなかったからな。しゃーねぇ。切り替えてけ』


 カイなりに私の気持ちを汲んでくれたようだ。珍しく茶化してこない。

 とはいえ、彼にとっては、私が碧霞学園に行こうが行くまいが関係がない。これが一番の理由だろう。

 カイはベンチに二本足で立ち上がると、霧の奥をじっと見つめて、肉球をさした。


『あれ、鶴学長だな』


 カイの特技の一つだ。

 私にはただの木にしか見えないが、カイには判別できるという。見える理屈までは教えてくれないが、相棒としてはかなり優秀だと私は思っている。

 もちろん聴覚もかなり鋭く、音で相手の位置など簡単にわかる耳がある。


『鶴学長、頭に赤いベレー帽でもかぶりゃ、もっと鶴らしくなると思わね?』


 私はその言葉に頷かなかった。

 学長になった時点で、鶴という秘匿名コード・ネームが与えられる。

 鶴らしくしろというのは、かなり乱暴な気がする。だが、カイは名案だとばかりに腕を組んでご満悦だ。

 10mほど奥の学長の影を見ながら、私は3回、瞬きをした。


「赤いベレー帽とはどういうことだ、カイ」


 ベンチの端に腰を下ろしている学長がいる。

 鉛色の髪に乱れすらなく、優雅に足すら組んでいる。


『のわぁ! ななななんだよ! 座ってんじゃねぇよっ!』


 目も耳も良いカイだが、鶴学長の移動だけは見えない。

 今日もいつものように驚かされ、総毛立ててカイは跳ね上がった。

 ちなみに、私もこっそり驚いている。


「赤いベレー帽を被った方が、学長らしいってことか」


 カイは太くなった尻尾を振り回しながら、学長に肉球をビシッと突き出した。


『悪口じゃないぞ、提案だからな! だって、鶴だろ? 頭だけでも赤にしたら、めでたい感じになるだろ? な? な!』

冬北とうほくの丹頂のようだな。頭だけだが。いいかもしれない」


 蝋人形のように表情を変えず、鶴学長はカイの頬を撫でて、私に視線を向けた。 


「梟、おはよう」


 私はすぐに挨拶を返す。


(おはようございます)


 言ったつもりだった。

 なのに、音が聞こえない。

 いや、自分の声が、出ていない……?


 首元を押さえて戸惑いに目を泳がせる。

 ただ学長はふうんと頷き、そのまま去っていくが、自分の身に起きたことがわからない。

 どうやっても声が出ない。

 出せない。

 出るのは、ひゅーひゅーと唸る空気だけだ。


『梟、どうしたよ? いつもなら鶴にひでぇこと言い返すのに。つまんねーじゃん』


 そんなことは言わない、そう言い返したいのに!

 私がいつになく焦りながら、大きな口パクで(こえがでない)と言うと、カイの毛が再びボッと膨れる。


『は? はぁ?』


 カイは驚きながらも何かに気付いたのか、二本足で立ち上がり、ポンと肉球を合わせた。


『お前、一番の隠密スキル、話術だったよな? もう能無しスパイになったんじゃね?』


 ひとり爆笑するカイに、私は文字通り、

 原因を考えたいが、どれも自身の弱さを強調するようで、考えたくない!

 ため息混じりに頭を抱えたとき、カイの耳がピクリと揺れた。


『……誰か来たな』


 背後からの足音に私も身構えるが、……この足音は雀だ。

 だが、かなり焦った足取りに感じる。


「……梟、見つけた!」


 ベンチから振り返ると、雀がいつになく、胸を大きく揺らし、動揺している。


「梟! 黒松くんが……!」


 涙声で伝えられた言葉に、私は固まった。


 黒松を乗せた蒸気自動車が、移動中、崖から転落。

 運転手含め、全員、死亡したという。

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