下
漆
変わらぬ日常に、双子は帰った。
数ヶ月、数年と診療をして馴染んだ顔ぶれとの、毎度限られた時間の中で花咲く、世間話。あるいは、風邪や、食あたりのためにやってきて、一度の診療でそれきりの、顔も名前もすぐに忘れてしまう、一時の関係やら。
あちらこちらと具合を悪くしがちな、とある壮年の男は、今日は腹痛を訴えてやってきた。
「軽い下痢が、ひと月。それだけ続くんじゃあ、変なものを食ったせいじゃあ、なさそうだ」
「胃のあたりが苦しくて、食欲が出ない」
「たしかに。顔はなんだかゲッソリしちまったくせに、腹は出てるよな。ちょっと、手を見せてくれ。あぁ、むくんでるね。水は飲んでるんだな」
「喉が渇くんで。でも、胃の具合が悪いからか、飲むと気持ちが悪くなっちまう」
「飲まないより、いいよ。下痢が続いてりゃあ、体から水が出ていくからな」
「水の飲み過ぎで、腹を下してるのかなぁ」
「巡りが良くないんだよ。体に溜まってる水が出ていかないから、飲んだ水の方が、そのまま出ていくしかないんだ。今、他に薬は飲んでいたっけ」
「今はなにも」
「そうか。じゃあ、タクシャで組むかね。ゴレイサンって、使ったことあるよな」
「何度かあるよ。下痢にも効くのかい」
「あんたみたいな水気の多い体質の人には、わりと万能に効くよ。なんなら、ずっと飲んでいてもいいかもしれないぞ」
「そうだなあ」
キラと患者のやりとりを隣で聞きながら、サラはゴレイサンの調合を始める。
二十日分の薬を作り終えたとき、玄関から「ごめんくださぁい」と、若い女の声がした。
「見てきますね」
「ああ」
サラは擂り鉢をキラの方に寄せて、客を迎えるために、静かに立ち上がった。
玄関には、品の良い雰囲気で佇む妙齢の女性と、その背後に隠れるようにしている少年がいた。
「どうも、ようこそ。いかがなさいましたか」
「はじめまして。息子を、診ていただきたくて」
痩せた少年は緊張した面持ちで、母の陰からサラの顔をジッと見つめる。サラは、少年に笑んで返した。
「お上がりください。お話を伺いますので」
「ありがとうございます。さ、ミノリもご挨拶して」
促された少年は、かすれた小声で、「よろしく」と言った。
キラが診察をおこなっているのとは別の部屋に、サラは母子を通した。柔らかな座布団に二人を座らせて、彼女は茶器を温める。
(ミノリ君というのね。この子のやつれた顔立ちと、なんだかぎらついた瞳を見れば、なんとなく分かる。これはきっと、簡単に解決するものではない。充分に時間を使って、お話を聞かなければ。あちらが落ち着いたら、キラも来るでしょうし)
「あら、あら。お気遣いなく」
茶器を温めるサラに、少年の母が言った。サラは微笑んで、急須に茶葉を入れる。
「初めての場所で、緊張もされるでしょう。ゆっくりとお話がしたいけれど、途中でのどが渇いてはいけないですもの。あとでお茶菓子も用意しますから、まずはお寛ぎくださいな。どこからいらしたんですか」
「隣町からです。南の」
「まあ。それじゃあ一日がかりでしょう。どこかにお泊りになったんですか」
「ええ。昨晩は、この近くの旅籠に」
「お住まいのそばの、お医者様には、診ていただいたんですか」
「もう、何件も。けれど、なんだかよく分からないらしくて。この子の父方のほうが、同じような具合で、昔からあちこちで診てもらっていたようなんですが。こちらの医館が、いいらしいと耳にして、来てみたんです」
「それは、大変でしたね。アラ。いけない、申し遅れてしまった。わたしは、サラといいます。兄のキラと、このスクナ医館を仕切っております」
サラは茶器を一旦、脇へと置いて、畳に指先をついて挨拶をした。少年の母は慌てたようすで、同じように畳に指先をついて頭を下げた。
「アッ、カヲリと申します」
「ミノリです」
少年はペコリと、頭だけを少し下向かせる。ギラギラとした大きな瞳は、サラをじっと見つめて離れない。彼の声は、やはり少しかすれていて、小さい。
「あの、お若いとは聞いていたのですが。本当に、想像以上にお若かったので、驚きました」
「ええ、父母がおりませんもので。三年前に祖母が亡くなってからは、わたしたち兄妹しか、うちには残っていませんから」
「お幾つなんですか」
「ふたりとも、今年十九になったばかりです。兄とは双子なので」
「まあ」
カヲリはやや落ち着かなげに、短い相づちを返した。
(わたしたちが若すぎるから、不安なんだわ。そうでしょう。きっと、経験豊富なお医者様のところに、何箇所も通ってきたんでしょうから。わたしたちの年齢は、どうしようもないけれど、この医館に蓄えられた知識があれば、役に立てるはず。まずは、信用していただくところからね)
サラは視線を少年へと向ける。身を固くして、落ち着かなげに、体を揺らしている。
「ミノリ君は、何歳なの」
「七歳」
「ご飯は、しっかり食べられているの」
「たくさん食べるよ」
「なにが一番好きかしら」
「お母さんがつくってくれる、おむすび。おばあちゃんのも好きだよ。少し、塩辛いけど」
「すてきだわ」
息子の好物を聞いたカヲリは、嬉しそうに口角を緩めた。
「いつも、お腹を空かせているので。すぐに用意できるものとなると、どうしても、おむすびになってしまうんですよね」
カヲリはどこか恥ずかしそうに言った。サラは母親を安心させるように、強く頷いて見せた。
「お米を食べてもらうのは、良いことだと思いますよ」
(けれども、この痩せ方。栄養が、ほとんど身になっていない。身にならないから、体が必死に栄養を欲しがって、いつもお腹が空いてしまうのね。背丈は、特段小さすぎるということはないけれど、肉付きが、まったく釣り合っていないわ)
「ミノリ君は、今、なにが一番つらいと感じるの」
「友達と遊べないこと」
「どうして、遊べないの」
「すぐに疲れちゃうから。歩くと、脚が動かなくなるし、心臓がドクドクして、苦しくなる」
「そう。お外に、あまり出られないのね」
「寝付きも良くないんです」
カヲリが口を挟んだ。どうしても、気にかかって仕方がないといった様子だ。
「小さな音で、すぐに目が覚めてしまうし、夢見も悪くて、寝ても疲れがとれないどころか、却って疲れてしまうみたいで。本当に、見ているだけでも、つらいです」
ミノリが小さく頷く。やはり、睡眠に支障が出ていることも、苦であるようだ。
「それは、たしかにつらいでしょうね」
(身体的にも、精神的にも疲弊しきっているのでしょう。グッタリとした感じではないけれど。むしろ、グッタリとできればいいのに、といった具合かしら。初めての場所で、緊張している、というよりも、たぶん、いつもこんな感じで、緊張しているんだわ)
サラが考え込んでいると、彼女の正面の襖が開いた。
「ヨォ。終わったから来てみたが。あぁ、やっぱり、初めましての人だな。具合が悪いのは、子供の方かい」
「あ、キラです。兄の」
「アッ、どうも。カヲリと申します。こっちは、息子のミノリで。ええ、この子を診てもらいたくて。驚いた、とても背が高いから」
カヲリは、背後から突然現れた長身の青年の姿に、本当に驚いたようだった。
「悪いね、ビックリさせちまって」
「キラ、お茶菓子をとってきてちょうだいよ」
「ん。妹と一緒に、話を聞くよ。ちょっと、待っていてくれ。羊羹だっけか」
「見れば、なにかあるはず」
キラは開けた襖を閉じて、消えた。彼の足音が遠のいてから、カヲリは若干ばかり声をひそめて、サラのほうに身を乗り出し気味にした。
「双子のお兄さん、なんでしょうけれど、ものすごく似てらっしゃいますのね」
「ふふ。よく言われます。けれど、見目だけですよ」
サラは、花がほころぶように笑んだ。嬉しさを、その美しい顔ににじませるようにして。
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