あれから、兄妹は口数少なく、酒を飲み、どこぞの家庭の幼児の戯れに付き合ってみたり、奉納の舞を観覧したり、また少し喧騒から離れてみたりした。

 やがて日没が近づき、広大な園の至るところで、提灯の明かりが燈された。小さな炎の輝きが、薄紙の奥であたたかく揺れる。

 館へ帰れば、待っているのは変わらぬ日常。ならば、もうしばらく。といった思いが共通したものであることを、双子は言葉にせずとも理解し合っていた。

「ねえ、せっかくだし、少し高いところに行ってみましょう。ほら、社の境内あたり、ちょうどいいのじゃないかしら」

「社か。まあ、いいよ。行こうか」

 高台にあるスクナの大社までの石段は、ふたつある。新しい方は、幅広で、なだらかで、少々足腰が弱くても、気力があれば登りきれる。一方の古い方は、雨風に削られ、苔むして、幹の太い木々に囲まれて、日当たりも良くはない。健康であっても、登り切るにはいささか苦労するものだが、古さに趣を感じるという層には、むしろ好まれる。

 居たところから近いといった理由で、二人は旧階段を選んだ。こちらでも巨木の幹に結ばれた提灯が光っていたが、足元を照らすにはおぼつかない。

(ああ、きつい)

 あえて、サラよりも二、三段先を行くキラは、乱れそうになる呼吸を抑えつけていた。

(登りきって、疲れた、と言うのなら兎も角、まだ音を上げるには、早すぎる。本当なら一番、体力があるはずの年頃なんだから)

「やっぱり、登りにくいわね。新しい方に回ったほうが、よかったかしら」

 サラは幾分息を弾ませてはいたが、口を利くのが苦である様子ではない。だが、キラは一言の返事をすることもできなかった。


「ちょっと、大丈夫なの」

 ようやく石段を登り終えて、社の境内にたどり着くなり、キラは膝に手を置いて喘いだ。

「やばい。脚が攣りそう」

「そんなに、大変だったの」

「ほら、段の幅が、狭いだろう。おれの足だと、ずっとつま先ばかりに、体重をさ、ほら、だから、脚にきた」

 キラは息も絶え絶えに説明した。サラは心配げにして、兄の膝裏をさする。苔むした石段は滑りやすいし、キラのかかとを支えるだけの幅もない。

「たしかに、あなたは足も大きいものね」

 キラは脚が攣りかけたことを言い訳にして、心肺が求めるままに、繰り返し空気を取り込んだ。脚に負担を感じていることも、事実ではあったが。

「帰りは、新しい石段から下りましょう」

「うん」

 キラは背すじを伸ばして、深呼吸をした。

「歩けそうなら、お参りしましょうよ」

 拝殿を眼で示して、サラは提案した。日が暮れてもなお、スクナの社は参拝客で賑わっている。祭りの時期であるから、尚更であろうが。

「おれはいいや。梅園を眺めてるから、行ってきな」

 キラはサラの提案を断って、明かりの灯った夜の梅園を見下ろせる場所へと、ヨロヨロと歩いて行く。

 その後姿を、不安げに見つめて、サラはひとり、医療の神、街の守護神として祀られる、自身の祖先のもとへと向かった。


「キラ、これ」

 戻ってきたサラが差し出したのは、小さな護符だった。金糸がきらめく黄の布地に、桔梗色の縫い取り。

「延命息災、ね。シャレてるな。リンドウの刺繍なんか、なかなか綺麗じゃない」

「持っていてよ」

「いいよ」

 キラは差し出された護符を、突っぱねた。

「おれは、あんまり好きじゃないんだよ、スクナが」

「どうして」

「健康を祈願される神にもなった人が、健康にいわくつきの家系の祖先だなんて、笑えるじゃないか」

「そんな言い方、ないじゃない。それに、スクナ様の血は、関わりがないかもしれないし」

「まあ、そうだね。スクナのあと、数代分の記録の抜けがある。しかし、それを言っちまったら、そもそも、おれたちが本当にスクナの子孫かどうかも怪しいけれど」

 いつもと変わらぬ、飄々とした口調。だが、その奥には、不満や苛立ちがあることを、隠そうともしない言葉。

 キラの物言いに、サラは差し出していた護符を、そろりと引っ込めた。

「健康、長寿。ご利益がないとは言わないさ。これだけ信仰されるには、相応の理由があるんだろう。だが、そうだとするなら、スクナは自分の子孫の男から、それを取り上げて、他人様に渡してるんだろうさ」

「冗談でしょう」

「薬だって、タダでは渡せない。材料を買うために、おれたちは金を払ってる。その、おれたちが支払った分は、貰わなきゃ。じゃなきゃ、いつか破産して、結局だれにも薬をあげられなくなる。同じだろ。どこかからとらなきゃ、だれにも渡せないんだよ。スクナは、おれたちから徴収してるんだ。だから、おれはスクナに祈る気にはなれない」

「そりゃあ、人の世界では、そうかもしれないけれど」

「神様は違うってか。どうだかね。病気が良くなりますように、って願いに来て、いざいくらかでも良くなって。わざわざ、ありがとうございました、ってお礼参りに来るやつは、どのくらいいるのかな。礼を伝えに来ない連中にだって、善神は力を尽くすんだろう。でも、その力が無尽蔵かどうかなんて、それこそおれたち人間には判りゃしない。存外、神の世界も、人間の世界と似たようなものかもしれない」

「それでも、わたしは。ご先祖様は、わたしたちを守ってくださるって、信じてるから」

(だって、そうでもなきゃ。誰にも、頼れないじゃない)

 サラは、陰に塗られた兄の横顔を、見つめる。すがるように。

(あなたが隠したいのなら、わたしはまだ、気づかないふりをするけれど)

 受け取られなかった護符を、やわい胸元に押し付け、サラはスクナに祈る。

(わたしは、このひとと、生きていきたいのです。だから、どうか)

 キラは下方に広がる梅園を見下ろして、もうこの話に関心などないように、薄っぺらい調子で呟いた。

「そう。いいんじゃないの、おまえがそう思うなら、それで。おれの考えとは、違うけれどね」

 その口調は、なにかを突き放すようだった。


 しばらくして、また、どこかから聴こえはじめた、囃子の音。

「ハァ。だめだな。どうも、ピリピリした雰囲気を続けているのは、苦手だ」

 キラは居心地悪そうに、結い上げた髪が乱れるのも構わず、ガシガシと頭を掻いた。

「なあ、さっきは。いや、今日は悪かったよ。せっかく、楽しみに来たのにな。なんだか、たぶんさ、おまえに声をかけてるやつらを見て、羨ましくなっちまったんだ、おれ」

 サラは恐る恐る、顔を上げた。暗がりの中、遠くの提灯に照らされ浮かび上がる、美しい兄の顔は、先程までの不機嫌さをひそめて、いつもとなんら変わらない、穏やかな雰囲気であった。

「もう少し、こっちにおいでよ。せっかく高台に来たんだ。梅園を見下ろすのに、ここはちょうどいい」

 そうして、まだ葉もつけていない沙羅の樹の陰へ、キラは妹を手招いた。

 誘われるがままに、兄のそばにサラは近づいた。刹那。

「ま、待って。奥に、人が大勢いるのに」

 サラはキラの腕の中にいた。

「ごめんな」

(それは、なにに対する、謝罪なの)

 口で咎めても、サラは兄の腕の中から抜け出そうとはしない。トクリ、トクリと頬に触れる心の脈動に、ぬくもりに、サラは安堵する。

(毎晩、同じ布団で抱き合って眠っているのに、どうして、今日はこんなにも)

 薄い唇同士が触れ合う感触に、サラは恍惚として心身を委ねた。

(梅は光に照らしあげられて、人々は揚々として。周囲はこんなにも、艶やかで、美しいのに)

 木陰に隠れて抱き合う。この関係が、歪で、偽りにまみれたものであることを、理解しながらも。


 拝殿の奥、切り崩した山の岩肌の中に掘り込まれた洞窟の中に、スクナの本殿はある。

 キラは、姿の見えないスクナを、ジッと睨んでいた。

(見ていろ、スクナ。あんたがつくった、欠陥だらけの血筋がゆくところを。あんたの子孫の男たちが、未だ誰一人として成し得ていないことだ。おれは絶対に、命をつくる)

 杏の香りをまとわせた、つややかな黒髪に鼻をうずめ、自分よりもずっとやわく、華奢に育った、妹の背へと回した腕に力を込める。

(そうさ、やり遂げなきゃならない。こいつを巻き込んで、堕としたからには)

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