第56話


「お待たせ」


 花音は空を見上げて少し不機嫌そうに見えた。


「うん」


「なんか怒っている?」


「たっちーがいない間にナンパされちゃったよ」


「え? 本当に? ごめん」


「まぁ、それは嘘なんだけど。たっちーが少し楽しそうに話していたから意地悪したくなっちゃった」


 それは嫉妬ってやつか? 嬉野とは同期とは言え友達みたいな感覚がある。

 それが花音の気に触ってしまったのだろうか。


「花音の心配するようなことは何もないから」


「うん。知っている」


「え?」


「私のこと自慢の彼女って言ってくれたじゃん。ちょっと嬉しかったよ」


「そっか」


 とりあえず機嫌は良さそうで安心した。


「年明けまで後、三時間もないね」


 時刻は二十一時を過ぎた頃。気温も下がり冷え込んできた。


「花音、そろそろ帰ろうか」


「いや、まだ帰らないよ」


「帰らないって言われても寒いでしょ」


「もう一箇所、行きたい場所があるんだけど、付き合ってくれる?」


「俺は別に構わないけど」


「ありがとう。せっかくの年越しだし、楽しなまきゃ損だからさ」


「それでどこに行くの?」


「あそこ」


 そう言って花音が示したのは山のふもとである。

 いや、山ではない。あそこは確か自然を取り入れた公園でアスレチックやハイキングを楽しめる施設になった公園だ。行ったことないけど。


「あそこの一番高いところから見る夜景は絶景だって隠れスポットになっているらしいよ」


「へ、へぇ」


「嫌?」


「そうじゃないけど、体力的に」


「良い若者が何を言っているの。それともこのまま帰ってもいいけど」


 帰ったら一生花音の機嫌が悪くなることと弄られることが目に見えていた。

 花音の希望には全力で答えてあげたい。


「行くよ」


「そうこなくっちゃ。行こうか」


 そう言って花音は手を差し出した。手を握ると花音の手は冷たかった。

 公園の駐車場には既に何台か車が停まっていた。


「皆、考えることは同じか」


「隠れスポットなのに?」


「地元民は知っているよ。だからクリスマスとか誕生日とかイベントにはここに来る人はいるみたいだよ」


「花音はどこでこの情報を知ったの?」


「地元の友達に聞いた」


 公園内にはカップルが何組かいた。

 街灯がなく一瞬、すれ違った人に全力で驚きそうになったが、花音が平常心だったことでなんとか冷静を保てた。


「山道を予想していたけど、しっかりと舗装された道で安心した」


「そうだね。まぁ、公園なんだから管理されているだろうし」


 遊具はほとんどなく最低限のものしかない。

 散歩やジョギングなどをメインとされた公園だった。


「ここから先が絶景のある道だよ」


「うわぁ。マジで明かりゼロじゃないか。これは進むの危ないよ?」


「スマホのライトを照らしながら歩けばなんとかなるでしょ」


 花音は逞しい。行かないという選択肢はなく行くためにどうするかという考えが強い。

 スマホの明かりを頼りに登り坂を進む。


「足元気を付けてね」


「うん。あ、一応手摺りあるよ」


 暗闇の中、手を繋ぎながら少しずつ前に進み、途中途中テーブルと椅子がある休憩施設が設けられている。

 だが、休憩はせずふもとを目指した。


「うわぁ。誰かいる!」


「ふもとから帰ってきた人でしょ。あ、こんばんは!」


 花音はすれ違った女性に挨拶をする。

 このような場面ではコソコソしたいものだが、花音は構わず挨拶ができるだけ尊敬する。女性は会釈をするだけで言葉を発しない。


「ん、んん?」


「たっちー。どうかした?」


「いや。何でも」


 今、女性から足音が一切なかったような。それよりも足がなかったような。 

 暗がりで見えなかっただけかもしれないが、花音が足元に照らしたスマホのライトには女性の足がなかった気がしたのだ。


「まさか……な。うん。気のせいだろう」


「たっちーはさっきから何を言っているのかな?」


 静かに俺と花音は登り坂を進んで行く。

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