第49話
花音と交際してから三年が経った。
二十歳の冬。俺は高校を卒業して就職していた。
新卒として入った石油工場でそれなりの毎日を送っている。
「おはようございます」
更衣室で作業着に着替えて事務所に入り先輩たちに挨拶を交わす。
工場ということもあり、俺の職場は口数の少ない人ばかりだった。
ただ、工場で決められたルール通りに仕事さえすれば特に問題ない。
だが、そんな環境の中、工場勤務に似合わない人物もいるわけで。
「立川くん。おはよう。今日、私とペアだって。よろしくね」
俺に気安く声を掛けるのは
癖のない真っ直ぐの黒髪で身長は百五十三センチと低め。
オシャレとか女っ気がなく童顔で少し男みたいな女の子だ。
俺と同期入社で唯一、職場内で気兼ねなく喋れる相手だった。
「嬉野とか。まだマシだな」
「それどういう意味よ」
「いや、嫌な先輩にあたるよりはマシってこと」
「あぁ、○○さんとか?」
「言うな。聞かれたらどうするんだ」
「それより点検内容。はい。これ見といて」
嬉野は雑に点検報告書を俺に渡した。
男社会の職場に嬉野みたいな女性の新卒は珍しいらしい。
入ったとしても事務員としての採用がほとんどだが、ガッツリ現場部署に入る女性はなかなかいない。
だが、嬉野は工業高校の出身なのである程度仕事の勉強はしてきたのですんなり入れてくれたようだ。
嬉野の設備の点検を回っている時である。
「ねぇ、立川くん。もしかして小説書いていたりする?」
その問いに俺はギクッとなってペンを落としてしまった。
「な、な、なんで?」
「何を動揺しているの?」
「いや、別に動揺していないし」
「たっちーってペンネーム。それと SNSで偶然見かけてそうなのかなって」
見透かしたように嬉野は俺を直視した。これはもう完全にバレている。
「頼む。このことは誰にも言わないでくれ。特に職場には誰にも言わないでほしい。バレるわけにはいかないんだ」
俺は頭を下げて必死に頼み込んでいた。
「ちょっと待って。私、そんな言いふらしたりしないよ。それよりやっぱり立川くん作家だったんだね。凄いね」
「凄いって言っても専属じゃないし、結局は副業の領域でしかないよ」
そう、俺はあれから何作品かネットに上げたが、そこまで話題になっていない。勿論、書籍化した作品はあるがまだまだ三流作家でしかないのだ。
それでも俺は仕事をしながら書き続けている。いつか作家だけで食っていけると信じながら。
「それでも凄いよ。こんな近くに小説書いている人がいるなんてビックリ。私、結構小説読む方なんだよ。立川くんの作品、読もうかな」
「あまり期待しないほうがいいと思うけど」
「なんで自信ないの。書籍化までしているのに」
「自分が面白いと思って書いているわけじゃない。読者が面白いと思って書いているだけだから正直自分ではなんとも」
「皮肉だね。まぁ、小説家って皮肉じゃないと書けないって言うしね」
「お前は俺を貶したいのか」
「どうだろうね。でもなんで今まで教えてくれなかったの」
「別に言うようなことじゃないし」
「そういえば立川くんって自分のことあまり話したがらないよね。同期の私にも話してくれないし」
「別に自分から言わなくても聞かれたら話すよ」
「じゃ、もっと教えてよ。今日、仕事終わったらご飯行こうよ。ね? いいでしょ?」
「まぁ、いいけど」
断って関係を悪くするのも面倒だと思って俺は承諾した。
唯一の同期なので仲良くするべきだろう。困った時に助けてくれるだろうし。
点検業務を終えて報告書を作成したら定時の時間になっていた。
「立川くん。終わった?」
「うん。今終わったところ」
「そう、それじゃ行こうか。私、焼肉食べたい」
工場を出て近くの焼肉店に行くこと。
嬉野とは職場では仕事のことや世間話でよく喋る間柄だが、職場の外で会うのはレアだ。勿論、全くないわけではないが、それでも数えるくらいしかない。
「それじゃ、お疲れ様ということで乾杯」
お互い車通勤ということで持っているのはジュースだが、それっぽく乾杯した。
「か、乾杯」
「そういえば、昼休み中にチラッと立川くんの作品。小説サイトで見たよ。ラブコメが好きなの?」
「別に書きやすいジャンルで書いているだけだよ。俺、ゲームはあまりやらないからファンタジーのセンスないし、消去法でラブコメを書いているだけ」
「ふーん。ちょっとしか見られていないけど、立川くんの作風。私、結構好きかも」と、嬉野は素直な気持ちでそう言った。
俺は自分が認められたようで少し気持ちがホッとしていた。
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