第42話 母親


 違う。

 そう言った花音の発言にまだ交際までいかない何かを感じた。

 俺がその不安を取り払ってあげないと花音はその先に踏み込めない。


「言っただろ? 俺に対していくらでも迷惑を掛けろって。何か引っ掛かっていることがあるなら今言ってくれ」


「引っ掛かっていること……か。待ってもらっている立場として申し訳ないけど、今のままでは彼女らしいことはしてあげられないって自分の中であるんだ。現地集合現地解散。おまけに時間もそんなに長くいられない。そんな状況が続くって考えるとやっぱりたっちーに悪いとさえ思う。そもそも私が忙しくしているのは自分で望んだことだから余計に収拾がつかない。あれもこれもって手を出しすぎたことは分かっているけど、それは別に後悔はしていない。意識高いって言われるかもしれないけど、私は世間体から見て恥ずかしい大人になりたくない。今できることは全力で努めたい。だから少しでも勉強して知識も体力も身に付けたいの。私の言っている意味が分からなければ付き合っていくことはオススメしない。それでも付き合いたいってまだ思える?」


 淡々と花音は自分の思いを口にした。


 最後は俺に決断を求めるように言う。


「お前の気持ちはよく分かった。だが、俺からも言わせてもらう。俺はお前じゃなきゃ嫌だ。例え、時間がなくてもない中で会いたいし、一緒に居たい。そこは変わらないよ」


「まぁ、そこは揺るぎないか。分かった。ただ、付き合うのは一つ、大きな重荷が外れた時にしよう。それまでは付き合おうとは言えない」


「大きな重荷?」


「私の親だよ」


 花音の親。以前病院で見掛けた母親を思い出した。


「私のママ、どう思う?」


「どうって言われても普通の親だと思うけど」


「それが違うんだなぁ」


 花音はどっと深くソファーにもたれ掛かる。一気にシリアスな展開から冗談を言うような和やかな顔をする。


「違う?」


「表向きで見れば普通のお母さんだと思うよ。でもその内心はそうではない。パパ……お父さんは真っ当で尊敬できる人なんだよね。地方公務員で安定している。真面目で寡黙な人だから面白みはないんだけど、家族のために一生懸命働いている。どっちつかずってところかな。問題はママ」


 母親の話に入ろうとした途端、花音は頭を抱える。


「母親として好きだけど、人間として嫌い。あーいう人間……と言うよりあー言う女にはなりたくないって思うのよ」


「なんか聞くのが怖くなってきたな」


「まぁ、聞きなされ。ママは私が生まれる前までは正社員で事務員をしていたんだけど、まともに働いたのはその期間だけ。私が生まれてからずっと専業主婦。今でもそう。それってどうなのって思う。勿論、昭和とかの昔の在り方なら分かるけど、今は時代も進んで専業主婦は古い。一日中家事をするわけではなく家でずっとのんびりしている。それに自分で働いているわけでもないのに贅沢しているから。勉強しろとは言いつつも言うだけ。じゃ、勉強教えてよって言ったら何も答えられない。専業主婦がゴールだと思ってその先は何もしない。人として成長が見込めず、期待できない。それが私のママなんだよ」


「な、なるほど。それが普通といえば普通かもしれないけど」


「全然普通じゃないよ。ただ何もしたくない言い訳を見つけて生きているだけ。それってただの無職じゃない? 私ならそんな妻だったら離婚するわ」


 ズガズガと花音は言いたいことを言う。


 花音の言うことは何も間違っていない。むしろ正論すぎて言い返せないくらいだ。だが言いたいことはよく分かった。


「話は戻るけど、花音は母親をどうしたいんだ?」


「ママが私に唯一大口を叩けるのは母親という立場だけ。それ以外は全て私に見劣りしていると言ってもいいくらい。つまりママをギャフンとさせた時、私の負担が一気に減る」


「要は母親をざまぁするってことか?」


「そんなところね」


「具体的にそれはどうギャフンというかざまぁさせればいいんだ?」


「そこは色々考えている。ママが言う進路ではなく私の進路を認めさせた時、それがざまぁになるのよ」


 進路と聞いて俺は現実を見ることになる。

 そういえば花音ってかなり勉強しているけど、将来はどうなりたいのだろうか。付き合う上で知っておくべき重要な内容だった。


「ママは名が知れ渡っている有名大学に入れって言うだろうけど、私はそう言った部類の大学に行くつもりはない。勿論、学歴では就職で重要な項目の一つかもしれないけど、それは上っ面よ。結局は個人のスキルが重宝される世の中。私はその先駆けで専門学校に行こうと思っている」


「専門学校か。確かに個人のスキルは充分に伸ばせると思う。それでどこの専門学校だ?」


「医学部のあるところ。もしくは看護学校って考えている」


「お前、医者になるつもりか?」


 俺は女医姿の花音を想像した。眼鏡を掛けたらそれっぽく見える。


「えぇ。簡単になれるものとは思わないけど、将来ずっと重宝される資格だし、無くなることはない仕事だと思っている。大学を出て一般企業に入るよりかは良いと思うからさ」


「理屈は分かるけど、現実的にどうなんだ?」


「今のところB判定。そしてパパも了承済みよ」


 花音の勝ち誇った顔が鼻につくが、これなら母親を納得させる武器としては充分すぎるものであった。

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