第30話


「ヘッ……プシュン!」


 俺の背中で花音は小さくクシャミをした。


「花音。大丈夫か?」


「うん。ちょっと身体が冷えちゃったかな」


 服は濡れたままだ。身体が冷えるのも無理はない。


「と、とりあえずこれを着ろ」


 俺は自分の上着を花音に着せた。


「ありがとう……」


 一時的とは言え、花音の身体は冷えていることに変わりはない。

 このままでは風邪を引く。


「花音。家までどれくらいだ?」


「電車と徒歩で一時間くらい」


 電車で濡れた姿のまま乗れば周りに怪しまれる。それを配慮したらこのまま帰すわけにはいかない。どこかで着替える必要がある。


「花音。俺の家に来い」


「へ? たっちーの家?」


「ここからなら二十分……いや、十五分くらいで行ける」


「いや、でも悪いよ。私のせいで部屋を汚すわけには……」


「気にするな。それよりもそのままでいる方が問題だ」


 ギュッと俺は花音の手を握って歩き出した。

 終始、花音の手から震えが伝わった。寒いのだろう。早く何とかしてあげたい。その思いから俺は早歩きになっていた。


「ここだ」


 俺は一棟のアパートに立ち止まった。


「たっちー。もしかして一人暮らししているの?」


「まぁ、家庭の事情で」


「高校生で一人暮らしかぁ。なんかカッコイイじゃん」


「別にかっこよくないよ。それより早く上がってシャワーを浴びてくれ」


「うん」


 ザ・男の一人暮らし全開で玄関から既にモノで散らかっていた。

 通るのがやっとで廊下の左側にあるバスルームに花音を誘導する。


「タオルと着替えは用意するから適当に使って」


「ありがとう」


 花音がシャワーを浴びている間に俺はタオルと着替えを用意して部屋の中を片付けた。片付けると言っても座れるスペースを広げただけで壁沿いにモノを押し寄せただけだ。


「ねぇ、たっちー」


 花音は身体にバスタオルを巻いたままの状態でリビングに顔を出した。


「お、おい。服着てから来いよ」


「えー。別に見慣れているんだからいいじゃない。それよりドライヤー貸してくれないかな?」


「ドライヤー? そんなものないよ」


「ない? じゃ、いつもどうやって髪を乾かしているの?」


「別に髪なんて自然に乾くだろ?」


「はぁ……男の人ってそう言うところあるよね」


「花音だって男みたいな短髪なんだからわざわざドライヤーなんて使わなくてもすぐ乾くだろ」


「そういう問題じゃない!」


 バンッと勢いよく扉を閉められた。

 また余計なことを言って怒らせてしまったらしい。俺のバカ。

 着替えを済ませた花音はリビングに戻ってきた。

 俺の服だから少しブカブカだが、花音が着ていてもあまり違和感はない。

 元々、身体つきは良い方なので男モノを身につけても変ではない。

 と、またそんなことを口にしたら殴られそうなので無言を貫いた。


「シャワーありがとう。服はまた洗って返すから」


「うん。身体、冷えていないか? ココアあるけど飲む?」


「うん。せっかくだから頂こうかな」


 俺はホットココアを作って花音に差し出した。


「ありがとう。それにしても散らかっているわね」


「女子を呼ぶ部屋としては不釣り合いです。あまり見ないで頂けると助かる」


「ここで小説の執筆をしているんだ」


 花音は俺の机に向かって手で撫でる。

 部屋は汚いが、机周りだけはしっかり片付けている。


「まぁ、気が乗らない時は図書館やファミレスで書いたりもするけど」


「見てもいい?」


「まだ見せられる状態じゃないからダメだ」


「そう。本棚見せて」


 俺の部屋に興味を示しているのか、それともただ単に本が気になるだけなのか。花音はじっくりと本棚にあるタイトルを目視する。


「まるで漫画喫茶だね」


「言うほどないよ。一軍のやつだけで二軍以降のものは実家に置いてある」


「へー。どれくらいあるの?」


「小説、漫画合わせて三千冊くらい」


「三千? じゃ、実家は漫画喫茶だ」と花音は大きな声で驚く。


 すっかり俺の部屋に興味を示してしまった花音は居座る気満々で腰を降ろして漫画を読み始めてしまった。

 俺の冴えない部屋にこんな美少女がいることが奇跡のようなもの。

 しばらくその姿を眺めるのもまた悪くないと漫画を読む花音の姿を俺は見守るように崇めていた。

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