第29話


「ヨッと!」


 花音の足から靴が飛ばされた。

 頼む。奇跡よ、起こってくれ。と祈る俺は気が気ではなかった。

 花音の足から飛ばされた靴は遥か上空へ舞う。

 本来であれば横向きで飛ぶはずが縦に向かって大きく飛ぶ。

 上空へ十メートル以上飛んだ靴はそのまま直角に落下して落ちた。

 記録はゼロ。花音の負けである。


「あちゃー。上に飛んじゃったよ。これじゃ意味ない。私の負けた」


 負けを宣言し、片足でケンケンしながら自分の靴を取りに行く。

 靴を履いてこちらを振り向いてニヤリと花音は口元が笑う。


「花音……。お前、もしかして……?」


「わざと負けたかって? さぁ、それは想像にお任せします」と、花音は小悪魔っぽく微笑んだ。


 もしわざとだとしたら最初から俺に気持ちを伝えるつもりだった?

 それに今の関係で終わらせるつもりはなかった?

 だったら何故そんな無駄な勝負を提案したのだろうか。

 全ての意図が俺には分からなかった。


「それより靴、取りに行ったら?」


「あぁ、そうだな」


「そのままでいいよ。私が取りに行くから」


「あ、ありがとう」


「いえいえ。ちょっと待ってね…………は?」


 花音は俺の靴を取りに行こうとした直後、その場で固まってしまった。


「どうした?」


「あ、あれ」


 花音はあるものに指を差しながら言う。


 そこには野良犬と思われる痩せ細った茶色の犬の姿があった。

 そしてその口元には俺の靴が咥えられていた。


「あ! 俺の靴」


 そう思った矢先、犬は驚いたように走り出してしまう。


「ま、待て」


「たっちー。私が取り返してくるからそこで待っていて」


 そう言い残して花音は走り出して行く。


「花音」


「大丈夫。ちゃんと取り返すから」


 俺はブランコに腰を下ろした。

 花音のことだから大丈夫だろうと俺は任せた。

 身のこなしで言えば犬より花音の方が優れているはずだ。

 いや、悪い意味ではなく純粋に花音に任せればきっとやってくれると言う信頼だ。




「遅いな……」


 花音が犬を追いかけて三十分が過ぎようとしていた。

 すぐに戻ってくると思っていたが、思いのほか時間が掛かり過ぎている。

 律儀に待っている俺もどうかと思うが、流石に心配になった俺は電話を掛けるためにスマホを取り出す。

 その時である。おもむろに花音が姿を現す。

その手には俺の片靴が握られていた。


「たっちー。お待たせ!」


「花音。遅かったじゃないか……ん? どうした? その姿は」と俺は花音の姿に驚く。


 花音は離れる前と違い、服がずぶ濡れになり全体的にドロドロな姿だった。

 ただ俺の靴は花音の姿とは違い、綺麗な状態である。


「えへへへ。ドジっちゃった。面目無い。犬を追いかけていたら排水溝にハマっちゃってその後、細い道を通られてそしたら配管の上を綱渡りのように歩いていくからそれを追いかけていたら落ちちゃってこの有様。でも安心して。たっちーの靴は守り抜いて取り返したから」


 花音は笑みを浮かべながらそう言った。

 俺は居ても立っても居られず、全力で花音を抱き寄せた。


「バカ。何でそこまでするんだよ。安物の靴でここまで自分を汚すことないだろ。何を考えているんだ」


「靴がなかったら困るでしょ」


「無くてもいいよ。裸足でも何でもいい」


「たっちー。私、汚いから服、汚れちゃうよ?」


「構うものか。諦めて戻ってくればいいものをお前は……お前は……」


「たっちー。もしかして泣いている?」


「泣いていねぇよ。バカ」


 俺の肩が震えていることで泣いていると思われたらしい。

 実際、俺の顔は濡れている。こんな姿を花音に見せるわけにはいかない。


「どっちでもいいけど、私にまず言うことがあるんじゃない?」


「ありがとう。靴、取り返してくれて」


「違うよ。私のこと、もっと好きになっちゃった?」


「好きにならない方がおかしいだろ」


「ふふ。素直じゃないな」


 そう言って花音は俺に抱きしめ返した。

 お互い、もう離れないと言うばかりにギュッと抱きしめていた。

 濡れているせいか。花音の身体は冷たく感じた。

 ただ、身体は冷たいが心は温かかったことは確かだった。

 公園の中心で俺たちは気が済むまで抱き続けた。

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