第13話 3名さまご案内
となると、シュガーパインに訪れる可能性があるのは早くて土曜日。しかし
しかしこれらは、萩原たちが来てくれるとの希望的観測に基づいての話だ。来るかどうかは本当に賭けなのである。しかし
萩原にチケットが届いているはずの土曜日、シュガーパインは平常通り営業中である。今はランチタイムも終わった14時半。茉夏はいつも通り仕事をこなしながらも、そわそわと落ち着かない様子を見せていた。
「まだかな、まだかな〜」
お客さまに聞こえない程度の声量で、注文されたミントティを用意しながら歌う様に呟いた。ポットに茶葉を入れ、ポットから湯を注ぎ、小さな砂時計をセットする。
「せっかちねぇ茉夏ったら〜。クーポン届くのは早くても昨日よ〜、そんな早くは
秋都がやや呆れる様に、しかし微笑ましげに言う。
「
「のんびり待ちましょうよ〜、急いてはことを仕損じるって言うじゃ無〜い?」
「そうかもやけどさ〜」
茉夏は唇を尖らせながらミントティの準備を済ませ、表情を接客用に切り替えると、お客さまの元に運んで行った。
「茉夏、落ち着きあれへんな。兄ちゃん、カルボナーラひとつ。食後にブレンド」
別のテーブルからオーダを受けた
「待ちきれへんみたいね〜。ま、気持ちは解らへんでも無いけど〜。カルボナーラ了解ね〜」
秋都は冷蔵庫から卵を取り出し、手際良くボールに割り入れた。
「僕も解らんでも無いけどな。さすがに今日は早いやろ」
「私もそう言ったんだけどね〜。ま、仕事はちゃんとやってくれてるから構わへんわよ〜」
言いながら、火に掛けたフライパンにオリーブオイルを引き、パンチェッタを入れる。徐々にぱちぱちと油が跳ねる音が立ち始めた。
「とばっちりが僕に来そうなんやけど」
「双子の
「はぁ」
文句を言いつつも、春眞は諦めた様に小さく息を吐いた。いつものことである、もう慣れた……と言いたい様な言いたく無い様な。
今日は土曜日なので、平日よりお客さまの入りは多い。先ほどカルボナーラを注文されたお客さまは、すでに食後のブレンドも空になり掛けていた。
ふと時計を見ると、15時半を過ぎたところだった。お客さまがお茶やスイーツを楽しむ中、その時は訪れた。
「いらっしゃいま、せ!」
春眞は驚きで、挨拶の末尾が不自然に強めになってしまった。しかし仮にも接客のプロ。表情には出さない様に
ドアを開けて最初に入って来たのは萩原。肩の下辺りまでまで伸びた黒色のストレートヘアは、以前ひとりでシュガーパインにレアチーズケーキを食べに訪れた女性だ。アンケートに答えてもらい、ケーキセット無料クーポンをお送りしたのだから、間違えようが無い。
ふたり目は恐らく垣村。3人の中で1番若く見え、
最後に入って来たのは、消去法で恐らく門脇。水曜日に長居公園で見掛け、秋都と茉夏が後を付けた女性だ。背中の真ん中ぐらいまで伸びた濃い茶色のウエーブヘアが目を引いた。
今日は会社などが休みなのか、全員私服だった。そうした彼女たちは仲の良い友人同士に見える。
「お席にご案内します」
笑顔を絶やさぬままの春眞が3人を案内したのは、カウンターに近いテーブル席だった。春眞たちにとって都合の良い席で、今日来る確率は低いと思いつつ、できるだけ空けておいたのだ。
3人はコートやマフラーを脱ぐと丸める様に畳み、それぞれが座る椅子の下に置いてあるカゴに入れ、バッグは背もたれに掛けたり背中の後ろに置いたりと様々だった。
春眞はお冷やを用意しようとカウンタに向かうと、茉夏の姿が見当たらない。休憩とは聞いていないし、手洗いにでも行ったのだろうか。と思ったら、カウンタの中からくぐもった様な不気味な声が聞こえて来た。
「……茉夏」
見ると、茉夏が溢れ出る声を堪える様に口を押さえ、カウンタの中でうずくまっていた。
「来たー! 来たでー! やったー!」
すっかり興奮している。この状態ではとてもお客さまの前には出せない。落ち着くまで放っておくしか無いだろう。横で秋都がパンケーキを焼きながら、やれやれと首を振っていた。
「春眞〜、お冷や出したら表のプレート替えて来てね〜。茉夏は
「はーい」
「うん!」
茉夏は中腰のまま、素早く事務所兼控え室に引っ込んで行った。春眞は3人分のお冷やと温かいおしぼりを用意し、萩原たちの元に向かう。3人はグランドメニューを囲み、ケーキメニューのあたりを指差したりしていた。
「ご注文はお決まりですか?」
言いながら、それぞれの前にお冷やとおしぼりを置いて行く。空いたトレイは左脇に挟み、バインダに挟んだ伝票を手にした。
萩原が口を開き掛け、しかし何も言わないまま、自身が座る椅子の背もたれに掛けたバッグの中から洋封筒を取り出し、そこからはがきサイズの紙片を出した。それを春眞に差し出す。先日茉夏が作ったケーキセット無料クーポンだった。
「あの、これ頂いたんですけど、使えますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
春眞が微笑んで言うと、萩原は
「ではクーポン頂戴いたしますね」
春眞はクーポンを受け取ると、伝票に挟んだ。
「それではケーキとドリンクをお選びください。ドリンクはブレンドと紅茶、紅茶はストレートにレモンとミルク、もちろんホットとアイスどちらでも。カフェオレやティオーレもお選びいただけます。申し訳ありませんがフレッシュジュースやハーブティなどは50円頂戴する事になってしまうのですが」
それはケーキセットの通常の値段設定である。メニューにもしっかりと記載されている。今回はクーポンを使用されるので、50円を頂くことになる。
「じゃあ……、私はプリンとホットストレートティ」
おや、萩原はレアチーズケーキでは無いのか。まぁ前回食べてから間も無いので、違うものをセレクトしてもおかしくは無い。
「私はレアチーズケーキとブレンド。ホットで。ふたりが美味しいて言うてたん食べてみたい」
門脇は確かにここではドリンクしか飲んでいないはずだった。
「私はどうしようかな〜。レアチーズ美味しかったけど〜、う〜ん……。よし! 今回はパウンドケーキにします。ドリンクはブレンドで」
垣村は悩みながらも、メニューを決めた。レアチーズケーキは先日持ち帰ってもらったから、今回は違うものを、と思ったのだろう。
「かしこまりました」
春眞は軽く一礼すると、メニューを通すためにカウンタに戻る。すると茉夏が戻って来ていた。頬はまだわずかに紅潮している様にも見えるが、ひとまず落ち着いた様だ。これでお客さまの前にも出てもらえるだろう。
「冬暉たちに連絡はしたんか?」
「うん。表のプレートもクローズにしといたで。黒板も畳んどいたからね」
「うん、サンキュ」
萩原たちが来店したら、それ以降はお客さまを入れない事にしていたのだ。春眞たちはこの場で片を付けようとしていた。
萩原たちの他に、お客さまは2組いた。それぞれケーキセットやドリンク、パンケーキなどで、プレートはほとんど空いているし、カップの中も残り少ない様なので、さほど長居はされないだろう。
春眞は注文を記した伝票をカウンタに置いた。
「ほな、後はよろしく」
「任せて〜」
「オッケー!」
春眞は小さく頷き、カウンタに入って言った。萩原たちが着いているテーブルの前辺りまで来ると、さりげなくしゃがみ込む。そして奥に立て掛けてあった折り畳み式の小振りな椅子を開くと、そこに掛けた。
春眞はすっと目を細め、神経を集中する。カウンタ越しに萩原たち3人の会話に耳を傾けた。
秋都からこの作戦を聞かされた時、春眞は異を
「それでもええやろうけど、あれ、盗聴器とか用意したらええやん。お冷や持ってく時に、テーブルの下にでも仕掛けたらさぁ」
しかし秋都は首を振って却下した。
「駄目よ〜、万が一、他に電波拾われたら大変だもの〜。それに用意するのもなかなか大変よ〜、盗聴器と受信機合わせたらそれなりに高価なものだしね〜」
「あー……」
その「高価」と言うものが
「それにどうせするなら、録音できるもんを仕掛けるわ〜。と言ってもそれも買わなあかんのやけどね〜」
それもそうだ。春眞は納得した。
なのでたった今、春眞はこうしてカウンタの中で聞き耳を立てているのである。
3人集まれば、そして彼女たちが田渕を手に掛けたと言うのなら、全くその話が出ないことは無いだろう。しかもここ数日、冬暉たち警察に接触されている。不安になってもいるだろう。
本当に萩原たちをカウンタ近くに案内できたのは幸いだった。お陰で他のテーブルからの声よりも聞き取りやすい。
「……楽しみやね。レアチーズ美味しかったから、他のもきっと美味しいで」
「私、ここのケーキ初めてなんよね。楽しみ」
「私この前、お店のご厚意でレアチーズ持たせてもろたんですけど、美味しかったですよ〜」
まずは他愛の無い世間話からスタートの様だ。核心に迫るまで辛抱強く待たねばならないだろう。予想はしていたことだ。いつ出て来るか解らないから、春眞の神経は休まらない。
「……のパフェも美味しいで。今度行く?」
「行きたいです!」
すっかりスイーツ話に花が咲いている。それでも春眞は集中し続けた。
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