第14話 対峙

「……ねぇ、ところでさ、私のとこに警察が来たんよね」


 門脇かどわきからそんなひそひそ話が出だしたのは、春眞はるまが聞き耳を立ててから20分ほどが経ったころだった。それぞれに注文したスイーツとドリンクが運ばれ、胃の中に収まりつつあるころだった。


 それまでは、やれどこそこのケーキも美味しいだの、レアチーズ美味しーい、このパウンドケーキも美味しいで、ほなひと口交換しよかだの、そんな微笑ましい会話が繰り広げられていたのだった。


「私んとこにも来たわ。田渕たぶちと付き合うてるみたいやけどって」


「私んとこにも来ました。はぐらかしましたけど」


 今までも集中していたつもりだったが、春眞はそれまで以上に精神を研ぎ澄ませた。


「大丈夫ですよね? だってちゃんと考えましたもんね?」


 垣村かきむらの声に焦りが混じる。


「大丈夫や。ドライアイスで2時間以上はずれとるはずやし、その時間のアリバイは作ったやん。薬も闇サイトで買うたから、足は付かへんはず」


 自信を感じさせる萩原はぎわらの声。


「そうやんね。自殺のていを装ったし、実際ニュースでは自殺やて言うてた。警察かて自殺の心当たりとか、そういうんを訊きに来とったと思うし」


 門脇も同意する。


「ですよね? うん、私ら、完璧にできましたよね?」


「うん、私らがやったなんて判らへんよ。警察に田渕と付き合うて云々うんぬん言われた時にはちょおびっくりしたけど、詐欺のことがばれへんかったら、付き合うてた以上の接点は無いもん。表向きはただの画廊なんやから。大丈夫や」


 ……ここまで聞ければ大丈夫だ。春眞はふっと気を抜いた。それまで明瞭に聞こえていた萩原たちの声がやや遠のいた。


 春眞は椅子から腰を浮かし、その椅子を畳んで奥に立て掛けると、中腰のままでカウンタ内を移動する。


「……兄ちゃん、確定やわ」


 秋都あきとのところまで辿り着くと、小声で伝える。


「は〜い。控え室に冬暉ふゆきらがおるから、伝えて来てちょうだ〜い」


 春眞が聞き耳を立てている間に、冬暉と夕子ゆうこが戻って来ていた様だ。ふたりの面が割れていなければ客としてテーブルに着く事もできただろうが、萩原たちに接触した警察が紛れも無い冬暉たちなのだから、それはできなかった。


 秋都を通り越し、カウンタの切れ目からフロアをのぞくと、お客さまは萩原たち以外に1組が残っていた。パンケーキのプレートもグラスもすでに空だが、話に夢中になっている様だ。


 さらに首を動かして萩原たちを見ると、スイーツのプレートは空いていて、ドリンクのカップにも手を付ける気配が無い。もう空になってしまったのだろう。このままだともう1組のお客さまより早くに席を立ってしまうかも知れない。


「……兄ちゃん、萩原さんらを最後に残したいんよな?」


「そうよ〜、なんでそろそろドリンクお代わり提供の頃合いかしら〜。チケット特典で無料でいけるって事にしようと思って〜」


 さすが秋都。春眞よりもよほど心得ている。春眞は安堵あんどし小さな息をひとつ吐いて、事務所兼控え室に向かった。


 ドアを開けると、冬暉と夕子は事務椅子に掛けてコーヒーを飲んでいた。それぞれのカップからは湯気が上がっていて、到着してから間も無い事が見て取れた。


「お疲れ、春眞くん」


 夕子がマグカップを傾けながら、空いていた手を上げた。


「お疲れです。話聞けましたよ」


 さっそく本題に入る。


「どうやったよ」


 冬暉がマグカップを事務机に置きながら訊いて来る。


「うん、確定や」


「よっしゃ」


 春眞が返事を与えた途端、冬暉は勇んで、音を立てて立ち上がった。


「焦らんて。まだ他のお客さまおんねん。萩原さんらだけになったら知らせるから。ああ、それと、やっぱりドライアイス使つこてた」


「うん、充分やで春眞くん。そこ重要やんね。まだコーヒー煎れたとこやし、のんびり待つわ」


 夕子が言い、笑顔を浮かべた。余裕を感じさせる。向かいでそわそわしている冬暉と対照的だ。そんな冬暉を見ていると、春眞にも余裕が生まれる。


「焦んなや冬暉。大丈夫やって」


「わぁってるっての!」


 冬暉は自身を落ち着かせる様に大きく息を吐くと、椅子に座り直した。まだまだ若い証拠か。微笑ましい。春眞はつい夕子と顔を見合わせて、口角を上げた。


「ほな、また後で」


 そう言い残し、春眞はフロアに戻った。




 もう1組のお客さまが退店されるまで、それから10分ほどだった。思ったより短くて助かった、かも知れない。


 そのお客さまが席を立たれるまで、茉夏まなつはフロアと事務所兼控え室を行ったり来たりしていた。落ち着かなかったのだろう。それを見ながら春眞は溜め息を吐くしか無かった。秋都は堂々としたもので、カウンタの中で悠々と構えていた。


 さて、今現在フロアにいるのは、従業員以外は萩原たち3人だけだった。自分たち以外のお客さまが途絶えている事に気付いているであろう萩原たちがぽつぽつと交わす会話は、職場や学校などの当たり障りの無いものになっていた。時折笑い声なども上げながら。


 つい先ほどまで人殺しの話をしていたとは思えない様子で、春眞は薄ら寒さを覚えた。女性とはこういうものだろうか。それともそれぐらいの神経で無いと、人を殺すなんて事はできないのだろうか。どちらにしても理解はできないなと思ってしまう。


 さぁ、そろそろだろうか。


「……そろそろ頃合いかしらね〜」


「かな。冬暉ら呼んで来る?」


「ボクが行くわ!」


 茉夏が待ってましたとばかりに言うと、素早く事務所兼控え室に飛んで行った。




「こんにちは。先日はありがとうございました」


 柔らかな声色こわいろで言いながら、夕子は萩原たちに接触する。冬暉は黙したまま夕子の斜め後ろに控えながら、小さく頭を下げた。


「……あ、こんにちは」


 先ほどまで浮かべていた自然な笑顔が、一瞬にして引きつった。その表情が後ろ暗いことがあるのだと告げている。夕子は微笑を浮かべ、隣のテーブルの椅子を引きずり出し、萩原たちに向かい合う様にして掛けた。その横で冬暉も椅子に着く。


 夕子は戸惑う萩原たちを順に見渡し、ゆっくりと口を開いた。


「実は、田渕さんが亡くなられた事で、いくつか判った事があるんですよ。それを聞いていただけたらなと思いまして」


「え……なんで私らに? 私ら関係、無いですよね……?」


 萩原の声は微かに震えていて、明らかに動揺していた。


「とりあえず聞いてみてください。関係あるかどうかは、それからっちゅうことで」


 穏やかな態度を崩さぬまま、夕子はにっこりと笑った。


「まず」


 まるで授業でもするかの様に、夕子は人差し指をぴんと立てた。


「自殺に見えました。確かにぱっと見は自殺に見えました。でも、実は遺体はドライアイスで囲われとったことが判ったんですよ」


「え……何で」


 門脇がついと言った様子で口に出す。その「何で」が、「何でそうされていたのか」から出たものなのか、それとも「何で判ったのか」から出たものなのか。恐らく後者だろう。門脇の表情の変化を見れば判る。ショックを受けたかの様な顔。このアイデアを出したのは門脇だったのかも知れない。


「警察の科学力もなかなかのもんなんです」


 実際には春眞の人間離れした嗅覚きゅうかくの成せる技だったのだが。


「と言うことは、死亡推定時間が実際のものとずれる可能性が出て来ます。検死の結果は深夜の2時から4時と出ましたが、そうですね……実際は2時間ほど早かったんかも知れません」


 萩原たちは黙ったまま、しかし表情を微かに歪ませ、夕子の話を聞いていた。


「なんで、実際の死亡推定時刻は深夜の0時から2時の可能性が出て来ました。それはともかく」


 夕子は両のてのひらをぱん、と軽く合わせた。


「そんな細工がされとる時点で、自殺では無いちゅうことなんですよね〜」


 夕子は軽く明るい調子で言う。それに反比例する様に、萩原たちの表情は徐々に陰って行く。関係無いのなら、興味深げに聞けとまでは言わないが、そんな様子には陥らないだろう。


「そこで私らは、田渕さんは自殺では無く、殺害されたんや無いかとの疑いを持ちました。警察の公式発表は自殺になってまいましたけど、少しでも疑念があれば、私らは調べちゃうんですよね〜」


 夕子は少しおどける様にして首を傾げた。


「そんで調べてるうちに、田渕さんがデート商法に手を染めとったっちゅう事実が判明しました。そこで私らは、その被害者に目を付けたんです」


 夕子が目をすっと細める。優しくしていられるのもここいらがリミットだろうか。


「恨みを買うとるやろうと思いました。クズみたいな商品を本物もしくは公式な複製やと偽って、高額で買わされるわけですからね。なんで顧客こきゃく名簿なんかを見たかったんですけど、それはこちらの事情で叶わんでですね……闇サイトを見る事にしたんですよ」


 闇サイト。そのワードが出た途端、萩原たちはぴくりと肩を震わせた。


「そしたら見事に出て来ましたよ。くすのき画廊の田渕さん、ああ、詐欺師にさん付けが嫌になって来ました。田渕を恨んでいるであろう人間の書き込みが」


 夕子はにやりと口角を上げる。


「IPアドレスで書き込んだ人間の情報を割り出しました。あなた方でした」


 その瞬間、萩原の口元が微かに歪み、門脇は目を閉じ、垣村は俯いた。三者三様の反応ではあるが、そのどれもが「書き込んだのは私たちです」と白状している様なものだった。


「復讐してやる、やなんて不穏な内容でしたね。もちろんどんなやり方をしようとしたんかまでは判りませんけどね。チャットまでは覗けへんわけですから。でも放ってはおけませんでした。実際田渕は殺されてしもうたわけですからね」


 夕子は一旦言葉を切り、小さく息を吐いた。


「闇サイトを覗けるんやったら、そのルートで青酸カリを入手するんも簡単でしょう。薬局なんかで買うんと違ごて足は残りませんから、確実です」


 夕子は萩原たちの顔を見渡す。それぞれ渋い表情は崩れない。


「あなた方がデート商法の被害に遭うてたんなら、あなた方の誰かひとりが巧く呼び出せば、ほいほい会いに行くでしょう。買うた絵が良かったからまた絵が見たいとか、また会いたいとか猫なで声で言われたりとか、それで会うてもらえるっちゅうことは、まだ詐欺の被害に遭うてるっちゅうことに気付かれてへん、即ちまた商品を買うてもらえるかも知れへんわけですからね。深夜に長居公園に呼び出すなんてことは、わけも無かったんでは無いですか?」


 夕子が問う様に言うが、萩原たちは何も応えない。夕子も答えを期待していた訳では無かったので、話を続ける。


「あなた方のどなたかが呼び出した田渕を、青酸カリ入りのビールを飲ませて殺害した。そして身元の判るもんを抜き取り、遺体をドライアイスで囲んで現場を後にした。その後田渕のマンションに行き、抜き取ったもんを置いた。これは自殺説を有力にするためやったんか、それとも身元確認を遅らせるためやったんか判りませんが。後者やと確かにその効果はありましたけどね。でも前者は微妙でしたかね。捜査員の中には「覚悟の自殺やったんやから、必要なものは全部置いてった」なんて言う者もいましたけどね。確かに遺体の状況だけ見たら、自殺に見えましたからね。でも私らは何者かが介しとるから抜き取られたって思いましたし」


 夕子は言いながら苦笑する。萩原たちはすっかりと表情を無くしてしまっていた。


「そしてあなた方は解散して、ファミレスやバーでアリバイを作ったんです。……さあ」


 夕子は萩原たちの顔を見渡しながら、やや強く声を上げる。


「いかがでしょう。私らの捜査は間違ってへんと思うんですが。ただひとつ、判らへんことがあるんですが。垣村さん」


 夕子の視線が俯いたままの垣村に注がれる。


「あなた……、田渕の実の妹さんですよね?」


 そう言った途端、垣村が弾かれた様に憔悴しょうすいした顔を上げ、萩原と門脇が驚愕きょうがくの表情で垣村に視線をやった。

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