第7話 レアチーズケーキさま
ランチタイムが終わり、一息着いたカフェ・シュガーパイン。
今日のランチメニューは、魚料理はこんがりと焼いた
今日1番多く出たのはパスタだっただろうか。女性客が多いシュガーパインだからかも知れない。ちなみににんにくを多く使うペペロンチーノなどの時には数が減る。
この時間からディナータイムまでは、お茶やスイーツを注文されるお客様がメインとなり、
シュガーパインでは食器洗浄機は使用していない。引き上げた食器類はシリコン製のヘラで大まかな汚れを落とした後、水と洗剤を溜めたシンクに浸け、隙を見つけては春眞が上から洗って行く。
ランチタイムは秋都は調理で手いっぱいになり、
さて、またお客さまを迎えたりしている間に、壁に取り付けている時計の針が15時を指した。
「春眞〜、そろそろ休憩いいわよ〜」
「ん」
フロアを見ると、お客さまはカップルが1組とおひとりさま女性の計3人。休憩をするなら良いタイミングだろう。
その時ドアが開き、ベージュのスーツを着こなす髪の長い女性がひとり顔を
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ」
春眞はお客さま歓迎しながら、グラスにお冷やを注ぎ、温かいおしぼりとともに丸形のトレイに乗せる。
女性のお客さまはきょろきょろと店内を見渡し、空いている席のうち、レジに近いテーブルに掛ける。手にしていた重たそうな黒色のビジネスバッグは横の椅子に置いた。
「春ちゃん、ボクが持ってくから休憩行っといでよ」
「これだけ運んでから行くわ。サンキュ」
春眞は左手でバランス良くトレイを
もう提供時間は終わっているので今は出さないが、ランチメニューは日替わりなので、ポストカードサイズの特殊紙にインクジェットプリンタで印刷する。こちらも茉夏のお手製だ。
「いらっしゃいませ」
言いながら女性の前にグランドメニューを置き、続けてお冷やとおしぼりを置く。
「ご注文が決まりましたら、お声をお掛けくださ、い」
さっそくメニューを見る女性の顔を見た春眞の声が、一瞬途切れた。そのまま平静を装いカウンタへと戻る。わずかに心拍数が上がっていた。トレイを持っていない右手で、そっと心臓を押さえる。
「春ちゃん? どうしたん?」
「今入って来たお客さま、あれ、
「……っ!」
「あら」
茉夏が大声を上げそうになったのか
「ほ、ほんまに?」
口から手を離した茉夏が、ひそひそと小声で訊く。
「うん、多分間違いあらへん。あぁ、びっくりした」
春眞の心拍数はまだ上がり気味で、落ち着かす様に何度か息を吐いた。もう休憩どころでは無い。
「春ちゃん驚き過ぎやで」
「いや、せやかてびっくりもするやろ。まさか来はるなんてさぁ。つか茉夏も驚いとったやろうが」
「えへ」
「まあねぁ〜、彼女にとってこのお店は嫌な思い出しか無いでしょうからね〜。
「それもそうか」
茉夏はなるほどと言う様に頷く。
「春眞、バックからアンケート用紙取って来て〜、お客さまの人数分ね〜。あ、ペンもね〜」
「何すんの」
「いいからいいから〜」
春眞は首を傾げながらも事務所兼控え室に行くと、ひとつしか置いていない事務机の、1番下の引き出しにしまってあるアンケート用紙の束から、今いるお客さまの人数分4枚と念のための予備を1枚、計5枚を抜き出し、1番上の引き出しからアンケート用に用意してあるノック式の黒ボールペンを5本取り出した。
「兄ちゃん、持って来たけど」
「ありがと〜。ほな、お客さまにお配りして来て〜」
「いつものアンケートの感じでええん? 抽選で割引券送るって」
「そうよ〜」
「春ちゃん手分けしよう。ボク例の女性のとこ行きたい」
「ミーハーか」
「それ、何かちょっと違うわねぇ春眞ったら〜」
春眞は呆れながらも、アンケート用紙1枚とボールペン1本を茉夏に渡した。
茉夏がアンケート用紙とボールペンを手に例のお客さまに声を掛けるのを見て、春眞も他のお客さまの元に向かった。
「お客さま、失礼いたします。お時間がありましたらアンケートにお答えいただけませんか。抽選で当店の割引券をお送りしております」
このアンケート用紙に印刷されている設問は簡単なものばかりだ。店内の雰囲気、接客、商品などの善し悪しを、非常に良いから非常に悪いまでの5択で選べる様になっている。
そして1番下には氏名や住所を記入していただく欄になっている。抽選でシュガーパインの割引券をお送りするためのみに使用し、その
女性は割引券などが好きである。そのお陰でアンケート回収率はそこそこ高い。
シュガーパインでは月の末日にアンケート実施日を設けていて、その回答はもちろん接客などにフィードバックされている。
しかし今回の目的はそれでは無いだろう。首を傾げた春眞であるが、それぐらいは判る。
「で、兄ちゃん、何しようって?」
2組のお客さまにアンケート用紙をお渡しした春眞がカウンタに戻り、秋都に訊く。
「そうねぇ、
「あ」
なるほど、と春眞は手を打った。隣で茉夏も目を見開いている。
「夕べの掲示板の書き込み
「元刑事の血ってやつ?」
茉夏がからかう様に言うと、秋都は「ほほほ」と笑った。
「そんなんじゃ無いわよ〜。私は善良な一般市民よ〜」
善良かどうかはともかく。冬暉と
「すいません」
件の女性が軽く手を挙げて店員を呼んだ。
「はーい」
茉夏が伝票を手にいそいそと女性の元に向かう。女性がメニューを指しながら茉夏に注文を伝えると、茉夏は「お待ちくださいませ」と小さく頭を下げてカウンタに戻って来た。
「レアチーズのセット、ホットのブレンドで」
「あ、レアチーズ気に入ってくれはったんや」
「どゆこと?」
春眞の何気無い言葉に、茉夏が首を傾げる。
「前来てくれはった時も、レアチーズのセットやったから」
「あ、そういえばそうやったね! レシートにあったやつ」
「俺コーヒー煎れるから、茉夏、ショーケースからレアチーズ出しといて」
「はーい」
春眞はコーヒーカップの上にドリッパーを置き、ペーパーフィルターをセットする。コーヒー粉を入れ、ポットからゆっくりと湯を注いで行く。まずは蒸らしから。
茉夏はショーケースからレアチーズケーキを取り出し、白いプレートに置くと、秋都に手渡す。秋都はレアチーズケーキの脇に自家製のブルーベリージャムを置き、ケーキの上に青々としたミントの葉を添えた。
ブレンドが入るのを待って、茉夏はふたつをトレイに乗せ、運んで行った。
「お待たせいたしました」
さっそくフォークを手にする件の女性。女性はジャムをまとわせたレアチーズケーキを一口放り込むと、顔を綻ばせた。
この女性が既に騙されていたのなら、確かにこのシュガーパインは嫌な思い出しか無い店だろう。それでも来てくださったと言うことは、レアチーズケーキを気に入ってくださったからなのかも知れない。
騙される前、まだお茶や食事をするだけの仲だったのなら、女性は被害に遭っていないと言うことなのだから、何の問題も無い。純粋にレアチーズケーキを味わっていただきたい。
件の女性が席を立ったのは、それから30分ほどが経った頃だった。その頃にはカップルのお客さまもおひとりの女性のお客さまもすでに席を立たれていて、今は違うお客さまがお茶やスイーツを楽しまれていた。
「伝票お預かりします」
茉夏がレジに入った。その間に春眞はテーブルの片付けを始める。お渡ししたアンケート用紙は、レアチーズケーキが盛られていたプレートのそばに伏せて置かれていた。そっと表にすると丁寧に好意的な回答が記されていて、春眞は希望に目を見開いた。視線を下に
よっしゃ! 春眞は拳を握り締めた。
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