赤い振袖

増田朋美

赤い振袖

三寒四温とはよく言ったもので、冬と春が交互にやってくる季節だった。そんなわけだから体調を崩してしまう人もいるが、そんな中でも一生懸命生きているのが人間なのである。

そんなある日。

「こんにちは。今日も仕入れに参りました。着物の出物はありませんか?」

富士市内でリサイクル着物屋を営んでいるカールさんが、ある職人の家を訪ねてきた。カールさんにしてみれば、重要な仕入先である。リサイクル着物の仕入れは、店に持ち込んだ着物を買い取るばかりではない。こうやって職人の家を訪問して、買い取ってくることもある。というか、着物は今需要が無いので、こういう職人の家を訪れても、結構安い値段で手に入るものでもある。

「ああそうだっけ。今回は、一枚しか無いけど。」

玄関先にやってきたカールさんに、市川正男さんは、そう応答した。ちなみに、正男さんといえば、富士の和裁業の間では、かなり評判のいい職人の一人だった。

「そうですか。一枚ですか。できれば、もう少し欲しかったけど、もう作ることはできないものですかね?結構今、着物を着たがる若い人たちも増えているんですよ。女の人ばかりではありません。少しずつ、着物を愛好する男性も増えています。」

と、カールさんが言うと、正男さんは、カールさんを眺めて、こういうのだった。

「カールさんや。もう、廃業しようかと思ってさあ。」

「廃業?」

カールさんがそう言うと、

「そうなんだ。もう着物を着る人もいないだろうし、もう作っても意味がないと思ってさ。」

と、正男さんは言った。

「それは困りますね。きっと、これから、着物を着たがる人は増えると思います。市川さんは、腕のいい職人の一人ですし、まだまだやれるのでは無いでしょうか。この時点で廃業されては、こちらも仕入先がなくなってしまって、とても困りますよ。」

カールさんは着物屋の立場として、そういったのであるが、

「いやあ、着物なんてね。今の時代に合わないというか、もう必要ないんじゃないか。もう良いかと思ってな。」

と、正男さんは言った。

「そんな事言うなんて、なにかありましたか?」

カールさんは直感的に言った。

「あなたのような、腕のいい職人であり、着物に誇りを持っているような方が、なぜ、そのような、いきなり腕が折れるようなセリフを言うのですかね。それでは、なにかあったんでしょう?あなたが、そんな弱音を言う、おっきな理由が。」

「いやあ、実はねえ、、、。」

正男さんは、言葉に詰まってしまう。

「なにかあったなら、話してください。こちらは、仕入先が一つなくなってしまうと困るんですよ。着物を欲しがっている人は、いっぱいいますよ。だから、いきなり廃業なんて、言わないでくれませんか?」

カールさんに畳み掛けられるように言われて、正男さんは困った顔をした。

「そうなんだけどねえ。着物は、もう終わりかなと言うのは、カールさんもわかるんじゃありませんか。もう着物が売れなくてがっかりしたことはたくさんあるのでは?」

「いえ、わかりません。僕は、着物は知っていますが、日本の事情と言うものはよく知りませんので。何よりも日本人は中途半端でおしまいにしてしまうのが、一番行けないと思います。だから、ちゃんと結論が出るまで、お話を伺います。」

カールさんは、そういうところは、自分が外国人で良かったと思うのだ。日本人で無いからこそ、日本人の悪いところを指摘できる立場にもなれるのである。

「そうですねえ。まあ、かいつまんでいうとこういうことです。着物が好きだった娘が結婚することになりまして。本当は娘のために、一生懸命縫っていた着物がありましたが、何よりもできちゃった結婚で、着物はもう着たくないと言われたので、結局その振袖は使わずじまいになりました。なので、もう着物はいらないんだと思いました。」

正男さんが、つかえつかえそう言うと、

「わかりました。そういうことなら、日本人ではない答えを出しましょう。その振袖は使い道が無いということなら、家で販売させてもらえませんか。とても安くはなりますが、きっとそのほうが、簡単に人の手に渡って、使ってもらえる可能性も高くなります。着物は飾り物ではありませんし、頻繁に着られている方が、衣服として、より実用的になるでしょう。そうなったほうが、着物も喜ぶはずです。どうでしょう。どうせ、娘さんが切る可能性が無いのなら、こちらで、販売させてもらいたいです。」

と、カールさんは唐突に言った。そういうすぐに商売に持っていってしまうのは、イスラエル人らしいところかもしれなかったが、正男さんは、そうだねえと少し考えて、

「そうだねえ。じゃあ、うちに置いておいても意味が無いから、あんたに引き取ってもらおうかな。」

と、結論を出した。

「宜しくおねがいします。そのほうが、着物も喜んでくれると思います。」

カールさんが再度そう言ったので、正男さんもそうすることにした。ちょっと待っててと言って、正男さんは、一度家の中に戻り、押し入れから丁寧に畳紙で包んだ振袖を持ってきた。赤い色の本振袖で、友禅の技法を用いて紫色のボタンが大きく入っている。そんな振袖を、リサイクル業者に渡してしまうのは確かに釣り合わないという人もいるかも知れないが、カールさんの表情を見て、正男さんは、決断した。

「あんたさんのところなら、きっと良い買い手が見つかるかもしれないし、値段はあんたさんに任せるよ。それでは、よろしく頼むな。」

「わかりました。買い手が見つかりましたら、そちらに写真を送ります。それまで楽しみにしていてください。」

どうせ振袖であっても、1000円程度で買い取れる時代だった。他の着物なんて、10円とか、100円程度しか値段がつかないこともある。それほど、リサイクル着物業界は、それほどの値段しか動かないものである。

「じゃあ、今日は、こちらの振袖を買い取らせていただきます。できることなら、廃業はまだしないでくださいよ。着物を欲しがっている若い女性も男性も、少しづつ増えてますからね。まだ廃業するのは、早すぎます。証拠を見せろと言うのであれば、お客さんの写真を撮ってそちらに送りますよ。」

カールさんは、振袖を受け取って、にこやかに笑っていった。正男さんは、半信半疑の顔をしていたけれど、カールさんは、ではこれでごめん遊ばせと言って、正男さんの家をあとにした。

その頃、製鉄所では。

一組の母娘が、製鉄所を見学に訪れていた。時々、こうして利用する前に見学させてくれと申し入れてくる人がいる。製鉄所と言っても、鉄を作るところではなく、単に勉強や仕事をするための場所を貸している福祉施設なのだが、何故かそう呼ばれているのであった。その製鉄所を管理しているのは、ジョチさんこと曾我正輝さんだったが、この母娘は、重い事情があるようで、応接間で二人と話したジョチさんは、ちょっと困った顔をした。

「そうですか。確かに、こちらの利用時間は、10時から5時までですが、こちらは、保育園とは、また違うので、土日はなるべく親御さんと一緒にいてほしいと思うんですがね。確かに、家においておけないということもあると思いますが、でも、完全に母娘のコミュ二ケーションを分断しては行けないと思いますのでね。」

「そうですか。私が仕事をするときは、どうしても土日に仕事をすることが多いので、できればその日に預かってもらえたら、嬉しいのですけれど。」

と、母親は言っている。ジョチさんはそうですねといった。目の前にいる母親は、たしかに何処かで見たことがあると誰もが言える人だった。確か、けいことかそういう名前で、歌を歌っている女性だった。

「お父様の方は、娘さんをこちらへ入れるのに、なにか仰っておられますか?」

ジョチさんがそう言うと、

「いえ、あの人のことはもう忘れました。これからは一人で娘を育てていくつもりです。幸い私の出演料で、この子を育てていくことだってできますし。」

と、彼女は答える。

「ええ、そうですね。確か、あなたの芸名はけいこさん。本名は佐藤佳代子さん。僕のうちはテレビが無いけどわかりますよ。その顔では。確かに、ヒット曲を連発しているあなたであれば、そういうことはできますよね。ですが、娘さんである、佐藤麻美子さんの顔を見ると、そうでは無いと思うんですけどね。」

と、ジョチさんは言った。確かに隣に座っている娘さんの顔を見れば、娘さんがかなり病んでいることは、一目瞭然だった。娘さんは、高校を卒業してから徐々に体調を崩していき、家に引きこもるようになったという。しかし、ただの引きこもりという感じではなく、明らかに違う様子が見られるのだ。

「麻美子さんとは、最近なにか話しをされましたか?」

ジョチさんがそうきくと、

「いえ、この子には何を言っても話が通じないんです。それは病気の症状ですから仕方ないとお医者様には言われました。なので、伝えるときは必要最小限にしています。」

と佳代子さんは答えた。

「先日、麻美子に薬を飲んでと言いましたが、麻美子は毒物だと勘違いして、薬を川に捨ててしまいました。そうしないように、今度は高台の家に引っ越しました。」

「そうですか。まあ、今のアナタなら、そういうことはできるかもしれない。ですが、それは果たして麻美子さんの気持ちに気がついてあげていることでしょうか。通じないからと言って、麻美子さんから逃げてしまっているのではありませんか?」

ジョチさんはそういったが、佳代子さんは、首を横にふった。

「いえ、私は、親としてちゃんとやっているつもりです。麻美子にはものには不自由させませんでしたし、習い事だってちゃんとやらせました。ですが、こうなってしまったのは、もう仕方ないことですから、お医者様に言われた通りのことをしているまでです。とにかくこの子には、何を言っても話が通じません。私がこうしろああしろと指示を出してもこの子は、受け取ってくれないんです。お医者さまはそれを認識の機能障害と言いました。ですから、そういうふうに思うしか無いのだと思います。」

「そうですか。医学的には、そうなのかもしれませんが、麻美子さんがなぜ、そのような行為をするのか、については考えたことはありませんか?それは、多分きっと精神分裂病だけのものでは無いと思うんですよ。本当に、麻美子さんは、症状を出しているのでしょうか?確かに、病気が暴れたりさせているのかもしれませんが、精神疾患の場合、悪性腫瘍があるから痛みがあるのとはまた違う見方をしないと行けないと思うんですよ。」

ジョチさんは、佳代子さんにそう言いながら、隣の麻美子さんを見た。確かに、生気は無いし、もう疲れ切った、何もやる気がないという顔をしている。だけど、それが果たして、病気そのものなのか、それとも、理由があってそうしているのかを識別するのは非常に難しいところがある。

「麻美子さんにお聞きします。あなたは今、何歳ですか?」

ジョチさんは麻美子さんに聞いてみた。

「ああ、今20歳です。病気があって成人式には出られませんでしたけど、」

と佳代子さんが代わりに答えるが、

「いえ、麻美子さんに聞いているんです。」

とジョチさんは言った。すると麻美子さんは、涙をこぼして、こういったのであった。

「20歳です。私も成人式に出たかったです。」

「はあ、なるほど。家族の話は通じないが、他人の話は通じるんですね。わかりました。ですが、先程も言いました通り、こちらの施設では、土日は親御さんの元へ帰ってもらうようにしていますので、ちょっと土日に預かるのは難しいと思います。せっかく遠路はるばるお越しいただいたのに、申し訳ありませんが、お引取りください。」

ジョチさんがそう言うと、佳代子さんも麻美子さんもがっかりした顔をした。

「結局、そういうふうになってしまうんですね。何処の施設でも、本当に必要としている人には、必要なものは来ないんですね。」

「いえ、それは違います。」

佳代子さんに向かってジョチさんは言った。

「なんでもお金を払うとか、そういう事で解決できることではありません。麻美子さんは、たしかに病気なのかもしれないけれど、一部の話では通じることもあるでしょう。そこから、母子関係を修復していってください。」

佳代子さんは憤慨しているが、麻美子さんは、ちょっと嬉しそうな顔をしてくれた。多分、初めて自分のことを、見てくれたと思ってくれたのだろう。

「じゃあ、麻美子さんにお尋ねしますが、もしも願いが叶うなら何をしたいですか?」

と、ジョチさんがもう一度聞くと、

「みんなと同じように成人式に出たかった。」

と麻美子さんは小さな声で言った。

「またわがまま言ってる。もうあなたの成人式は過ぎてしまったのよ!」

佳代子さんがちょっときつく言うが、麻美子さんは涙をこぼして泣き出してしまった。もしかしたら、そういうところが、麻美子さんに巣食う病巣なのかもしれなかった。それと同時に、理事長さんお電話ですと、コードレスの受話器を持って、水穂さんが入ってきた。ジョチさんは寝てなければだめだと言いながら、水穂さんから受話器を受け取って、電話に応対した。水穂さんが着用していた、紺色に葵の葉がついた銘仙の着物を見て、麻美子さんは、

「わあ、きれい。私も着てみたい。」

と言った。佳代子さんが、麻美子さんにまたそんなことをと言ったのであるが、水穂さんは、麻美子さんを優しい目で見て、メモ帳になにか書いて、麻美子さんに渡した。

「着物を着たいんだったら、ここで相談されたらどうですか?」

そう言って渡された紙には、増田呉服店という名前が買いてあった。それに住所と電話番号も。麻美子さんはとてもうれしそうだった。その顔を見て、佳代子さんも、麻美子さんの望みを叶えてやらなければだめだという顔をした。

「でも、もう成人式はもう終わってしまったし。」

「そんな事ありませんよ。能鑑賞や、コンサートとか、振袖の使い道はいっぱいあります。時々は、着物のほうが楽であることもあります。」

水穂さんにそう言われた佳代子さんは、何も言うことができなくなってしまった。麻美子さんは渡された紙を嬉しそうに眺めていた。

それから、しばらくして。

あの、市川正男さんは、愛用していた長針や短針を、針供養に出そうと考えていた。他の家族は、お父さんが、50年以上やってきた和裁屋をたたむなんて、ちょっとやりすぎじゃないのくらいしか言わないで、誰も廃業に反対しなかった。そういうことだから、余計に着物が必要ないものだと思われてしまうのだろう。

その日も愛用の針や和裁コテを、処分しようと考えていたその時。

「お父さん手紙が来てるわよ。」

と、娘から手紙を渡された。差出人は誰かと思ったら、増田呉服店と書いてある。なんだろうと思いながら、正男さんは、封を切ってみた。中身は一枚の手紙と、美しい女性があのときの赤い本振袖を着て立っている写真が入っていた。それは、あのとき、カールさんに渡してしまった、本振り袖であった。正男さんは手紙を読んでみた。間違いなくカールさんの筆跡で、あの赤い振袖は、重度の精神障害を持った女性が買っていったと書いてあった。手紙よると、彼女は、母親と二人暮らしの女性で、高校を卒業したときと同時に精神疾患の診断がくだされてしまったそうだ。それに、母親は、若い人なら誰でも知っていると言われる、けいこという名前で歌手活動をしており、仕事の忙しさと、女性の病気の重さから、彼女を成人式に出してやることができなかったという。娘さんは、それを根に持って母親に敵対意識を持っていたようであったが、今回、振袖を着させてもらったことで、そのわだかまりが溶けたということであった。まだまだ、病気の症状が色々あるが、少しづつ娘さんは前に進んでいくと、誓いを立ててくれたようである。

「そういうふうに着物は一部の人にとっては支えであることもあるのです。ですから、まだ廃業はしないでください。こういう女性たちを救うための大事な道具でもあります。まだ、老爺と呼ばれるのは早すぎる。まだまだ、着物を作り続けてください。愛を込めて、カール。」

正男さんは声に出して読んだ。

「なあに、お父さんの絶望的な声。」

と、娘がそんなことを言っているが、正男さんは、こう言ったのだった。

「いや。絶望じゃないさ。なんでも、あのときの振袖を、使ってくれる人が現れたんだよ。」

「ああそう。良かったわね。まあ、あたしじゃもう着られないもんね。買い手が見つかってよかったじゃない。それなら、着物も喜ぶわよ。」

正男さんがそう言うと、娘は他人事みたいな言葉を返してきたが、それが今の若者なのだと、正男さんは思ったのであった。そして、そういうふうに見切りをつけられるのが正常なのだとも思った。もしこれをうまく処理できなかったら、振袖を着た女性みたいになってしまうことだろう。そして、そういう女性たちは、救われなければならないのだ。

「お父さん、もうちょっと和裁屋やっていいかな。なんか、おわりにしちゃうのは、まだ早いような気がしてきたんだ。」

正男さんがそういうと、

「良いわよ。お父さんのしごとはお父さんのしごとだしね。あたしがどうのこうの言うべきじゃないでしょ。」

娘はそう言って、生まれたばかりの孫の世話に戻ってしまった。彼女が、そういうのであれば、そうしようと正男さんは思った。そして、何も気負わずに娘を大人にできたこと、子孫を残していけたことに感謝しながら、また別の人を救うべく、正男さんは針と和裁コテを取った。

写真の中の女性は、赤い本振袖を着て、初めて大人になったことを実感しているように、またその喜びを隠せないでいることがよく分かるような、そんな顔をして微笑んでいた。そういうところから見ると、着物はまだ使い道があるのではないかと正男さんは思った。

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赤い振袖 増田朋美 @masubuchi4996

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