第100話 さよなら由里香。
菜々子ちゃんは由里香の言葉を聞いて僕を見る。その顔は由里香を見ていた顔と違い、柔らかな笑顔になっている。
「テツさん。由里香さんの言っていることは、本当ですか?」
「いや、嘘だよ。僕は由里香に愛想を尽かしているから、復縁は絶対にしないよ」
由里香は菜々子ちゃんに嘘を言って本気で騙せると思っていたのだろうか?
「そうだと思いました。不倫をしたのに、復縁はありえませんよね。そもそも、由里香さんはテツさんに会いに来てはダメなのですよ? あなたは人として最低な行為をしていたのですよ?」
由里香は菜々子ちゃんの話を聞いて、鼻でフッと笑った。
「菜々子さん、あなた処女でしょ? 男性と付き合ったこともないみたいね。お綺麗な心と体では理解できないと思うけど、男女の関係に理想なんて通用しないわ。人間はね、お人形じゃないのよ。恋愛の心変わりなんて日常茶飯事よ。だから私のような美しい女性には常に男が寄ってくるのよ。いい男なら取り替えておいしく頂くのは当然でしょ?」
「由里香さん、あなたは最低な人ですね」
「最低? そうかしら? 菜々子さんは私より劣るけど可愛いから男は寄ってくるでしょ? 勿体無いわよ。あなた目当てで顧客になった男性が多数いたのは分かっていたでしょ? まさか、自分の美容師としての腕がいいから沢山の顧客ができたと本気で思っていたのかしら? テツは私に任せて、あなたはあなた目当てのゲスな男とお付き合いしたらどうかしら? それがいいわよ。そうしなさい」
「目的はどうあれ、大切なお客様です。その言い方は失礼すぎです。それと、私はテツさん以外の男性とお付き合いはしません」
「へぇ、はっきり言うのね。じゃあ、テツと関係が切れても、菜々子さんは死ぬまでお一人様でいると言うのね」
「それは……」
菜々子ちゃんは僕の顔をチラッと見る。その顔は困った表情をしている。二人の会話を聞いていると、菜々子ちゃんが僕を好きと言うのが分かってしまう。由里香は知っていたのだろうか? それとも憶測で話を始めたのだろうか?
「ほらほら、所詮はあなたもその程度の女なのよ。テツ以上のいい男が現れたら簡単に乗り換えるのよ。あはは、浅い浅い。そんなに真剣にならなくてもいいんじゃないの? 恋愛は楽しむものでしょう? 今の私はテツが欲しいの。離婚してテツは成長したわ。イエスマンから普通に会話ができている。しかも私を抱擁してね。ふふ、夫婦の頃、テツが悪さをして、罰として首輪と紐で行動制限をして、床にご飯を置き、箸を使わせずに口だけでお食べと命令してペットのような扱いをしても、文句も言わなかった情け無い男だったけど、今なら反論して絶対にやらないわね。ステキな男性に育ったわ」
菜々子ちゃんは僕を見て、切ない表情を見せる。
「……由里香さん、私はテツさんを大切に思っています。私はテツさんを幸せにしたいし、テツさんの幸せは私の幸せです。私はテツさんの一番を目指しています。あなたのように軽い恋愛なんてしません。だけど、テツさんの幸せの隣にいるのが私でなくてもテツさんが幸せなら、それでもいいと思っています。ですが、あなたとの関係はこれ以上続けさせません。私の持てるすべての力を使って排除します」
菜々子ちゃんの真剣な言葉に由里香は笑った。
「恋愛に理想を押し付けているあなたが、テツを一番だと思っているのは今だけなのよ。時が来れば理想と現実の違いがわかり、仮にテツと恋人になったら、現実のテツに不満を持ち、他の男を探すわ。そんなに熱くならないで。それから菜々子さん、あなたの力って何? あなたのお父さんは田舎の小児科医でしょ? 田舎娘のあなたに何ができるのかしらね?」
クスクスと笑う由里香。さらに何かを言おうとする菜々子ちゃんを止めた。
「由里香、もう終わりにしよう。何度も言っているけど、僕はキミとやり直すつもりはない。借金も夫婦の頃の分は折半したよね。それ以降の借金は僕には関係ない。自分で支払って、僕とは無縁の場所で一人で生きていくんだ」
「そんなの嫌よ、テツが払ってよ」
「由里香、忘れたのかい。僕とキミが最後に会った日のことを。僕は言ったよね。『今後、由里香に何があっても絶対に助けない』と。キミは鼻で笑って言ったよね。『助けなくていい』と。だから、キミがどうなろうと絶対に助けないよ。いい加減にしないと警察呼ぶよ」
「何よ。脅しているの」
「脅しじゃない。正当な権利を行使するだけだよ」
僕はズボンのポケットからスマホを取り出す。
「待って。警察だけは勘弁して。私たち夫婦だったでしょ。慈悲はないの?」
「そんなのはない。キミが今後どうなろうと僕には関係ないし、興味もない」
「そんなの酷すぎよ。人間じゃないわよ」
「人間じゃないか……僕がこうなったのはキミのせいだよ。自業自得、因果応報。さっさとこの場から消えてくれないかな」
僕が人にこれほど敵意を向けたことはない。僕一人だけなら、由里香に対してこんなにも不快感は持てなかっただろう。菜々子ちゃんを侮辱したのは許せない。
「くっそ……私より劣るこんな田舎者のクソ女で、メンヘラの女狐ごときに負けるなんて……はっ、くだらない。めんどくさい。何故私は底辺ニートに固執してたのかしら。あ〜、馬鹿馬鹿しい。こんな汚いところに来るんじゃなかった。時間の無駄ね。あなたたちとは二度と関わりたくないわ。あ〜やだやだ。こんなのと関わっていたら、不幸になるわ」
「由里香、二度と僕のまえに現れないでね」
「童貞ニートのあなたに会いには二度と来ないわよ。さよなら」
最後の悪あがきと言っていい悪態をつきながら、由里香は僕たちから去っていった。
「由里香さん、また来るでしょうか?」
「どうだろうね。絶対とは言えないけど、もう来ないんじゃないかな」
去っていく由里香の背中を見ながら、僕と菜々子ちゃんは会話をした。
「由里香さんがまた来たら、私がテツさんを守ります。だから安心してください」
「はは、ありがと」
菜々子ちゃんは僕ににっこりと微笑む。
「えっと、ところで、あのさ、菜々子ちゃんはさ、その、由里香との会話を聞いてるとさ、えっと、僕のこと……」
菜々子ちゃんの顔が赤くなる。
「……やっぱり気づきますよね。私は……テツさんのことが好きです。だから、もしよかったら、私と結婚を前提にお付き合いしてください」
菜々子ちゃんの言葉と、顔を赤らめ恥ずかしそうにしていても、真剣な表情が僕の心に刺さる。自分の心の中で確かめる。菜々子ちゃんに対して特別な感情を抱いているとはっきりとわかる。
「菜々子ちゃん……ありがとう。でも、今はちょっと複雑な状況で、今すぐの返事は待ってもらえないかな。説明はするから、僕の部屋に行かない?」
「はい。行きます」
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