第5話「こうすれば、奇麗な螺旋が描けます」
オリーブの収穫季節がやってきた。
屋敷の作業場に次々と運ばれてくる、籠いっぱいのオリーブ。
足の踏み場もないほどの大量で、今年は例年以上に豊作だったのだろう。
「次々と砕いて割れ! 多くの油を取るのだ!」
使用人長のパール様の指示で、奴隷たちはハンマーや石臼でオリーブを油に変えていく。
オリーブから油を取るのは文字通り重労働だ。中には疲れて寝込んでしまう奴隷もいる。
かくいう僕もあまりの重労働に音を上げたことがある。
しかし今は作業を離れて、一人木陰で粘土板に物を書いている。
別にサボっているわけではない。きちんとクートゥ様の許可の元に行なっていた。
ブローム様の屋敷から帰る際に「何か望むものはあるか?」と珍しく話しかけられた。
おそらく条件の良い資産運用を任されたのだろう。上機嫌だったので思わず「粘土板が欲しいです」と言った。
「粘土板だと? 何か案でもあるのか?」
粘土板は最低限、物を書くのに使える。
何か試作するために使うためのものだ。
実際はゼウスが「物を書ける何かが欲しいな」と言っていたことを思い出したのだ。
「案を思いつくために必要です」
「上手い返しだ。よし、粘土板をお前にやろう。ついでに自由な時間もくれてやる」
奴隷としては破格な待遇だった。
僕は「ありがとうございます」と深く頭を下げた。
「そうだ。綺麗に書くじゃあないか。トレビアンだぜ」
それで今、ゼウスに文字を習っていた。
簡単な単語だけではなく、もっと複雑な言葉を覚える必要があるとゼウスに言われたのだ。
「ヘルメス。お前は綺麗な文字を書くよな。手先が器用なんだろう」
「そうかな? 他の人と比べたことが無いから分からないけど」
ぼそぼそと会話していると「だあああ、疲れた……」とぼくの隣に座る人がいた。
顔に火傷のある奴隷――十七番さんだ。身体中汗だらけでひどく疲れ切っていた。
僕は持っていた水を差しだして「どうぞ」と促した。
「おう、すまねえな……ってなんだ、この前の監督さんか」
「四十九番です。十七番さん、オリーブの搾油ですか?」
十七番さんは汗を拭きながら「ああ、そうだ。今は休憩中な」と言う。
奴隷はひたすら働かされるわけではない。短いけど休憩する時間は与えられる。
「こんな暑い日に働かされるなんてよ。だるいなおい」
「そうですね。しかもオリーブですものね」
「もっと楽になる方法はないかねえ」
ぺちゃくちゃと益体のないことを話す僕と十七番さん。
少し気になったので「十七番さんは……」と言う。
「歳はいくつなんですか?」
「うん? 二十七か八ぐらい? よく分かんねえや」
「元々、奴隷だったんですか?」
「いいや。ロムルス帝国との戦争で負けた小さな国の兵士だった。十五のときでよ。捕虜になっちまって。それ以来奴隷だ」
僕はあまり踏み込むのは良くないと思ったけど、聞かずにはいられなかった。
「帝国の外の国って、どんな感じですか?」
しかし十七番さんは気を悪くせずに答えてくれた。
「うん? そうだな。岩山と砂漠の国で生まれてよ。そりゃあ暑い国だった。もう戻りたくねえなあ」
「……僕は元から奴隷だったので羨ましいです。故郷があるのが」
正直に言うと十七番さんは納得した顔で「まあな」と頷いた。
「戻りたくはねえけど、今でも国言葉は話せるぜ。なんつーかな……一度は帰ってみたいかもな」
「…………」
「ていうか、何を持っているんだ?」
十七番さんが僕の持っている粘土板を指さした。
僕は素直に「粘土板です」と答えた。
「これで文字を書いたりします」
「へえ。絵も描けるのか?」
「やろうと思えば。たとえば――」
ささっと鳥の絵を描くと「へえ。上手いもんだな」と十七番さんは手放しで褒めてくれた。
このくらいは地面に描いたことがあるので簡単だった。
「そういえば設計図も書き直したよな」
「あれは……ちょっとしたことです」
まさかゼウスに指示されて書き直したとは言えない。
すると胸元のゼウスが「ちょっとこいつに質問してほしい」と話しかけてきた。
僕はゼウスの問いを十七番さんに言う。
「十七番さんは木工作業とか得意ですか?」
「はあ? なんだよいきなり? まあ大工の真似事だけどよ。でも奴隷の中では一番腕がいいとは思うぜ」
胸元のゼウスは「そういや、風呂屋のときのこいつ手際は良かったな」と呟く。
何か思いつくのかもしれない。
「おっと。休憩終わりだ。また――」
そう言って帰ろうとするのをゼウスが「一旦止めろ。俺に考えがある」と言う。
「あのう。ちょっと待ってください」
「あん? なんだよ? 早くしねえと鞭で打たれちまう」
「ご主人様の許可を取ってきます。良いことを思いつきました」
僕はゼウスに言われたまま、木陰から出て屋敷に駆けていく。
いったい、ゼウスは何を企んでいるのだろうか?
◆◇◆◇
クートゥ様の許可の元、僕と十七番さんは木工作業をしていいことになった。
許可なんて下りるのだろうかと思ったけど、ゼウスの言うとおりに説得したら通ってしまった。
「それで、今回はどんなことをしようってんだ? 監督さんよ」
オリーブの搾油をしなくていいと最初は喜んでいた十七番さんだけど、徐々にどんなことをさせられるのかと不安になったらしい。
僕は一先ず安心させるために「十七番さんだけに言っておきます」と言う。
「奴隷の仕事が楽になる装置を作ります」
「ほう。そりゃあ願ったり叶ったりだな」
「疑っていますね……まあ作業を始めましょう」
目の前に置かれたいろんな木材の中から、円柱に近いものを取り出して「綺麗な円の柱、作れますか?」と十七番さんに問う。
「道具があれば作れるぜ。早速やるか」
「僕は別の作業をしていますので。できたら呼んでください」
僕は二枚の板を用意して、そのうちの一枚の中心に穴を空ける。
なんとか綺麗な円が空けられたとき、十七番さんが「できたぜ」と声をかけてくれた。
「こんなんでいいか?」
奴隷の中で一番手先が器用というだけあって、とても形の良い円柱が出来上がっていた。
これなら上手くいくだろう。
「ありがとうございます。これから『ねじ』を作ります」
「ねじ? そんなもんどうやって作るんだ?」
ねじを作るのは円柱に綺麗な螺旋を描いて、削っていく作業になるのだけれど、まず螺旋を描くことが難しい……と思われる。
「ヘルメス。直角三角形に切った布を用意したか?」
僕は胸元のゼウスに言われた通り、布を取り出した。
十七番さんは「なんだそりゃ?」と不思議そうな顔をしている。
「こうすれば、奇麗な螺旋が描けます」
直角三角形の斜辺を円柱にくるくると巻きつけていく。
すると『つる巻線』とゼウスが言っていた線ができていく。
ナイフで印をつけると、あっという間に螺旋が出来上がった。
「すげえな! ていうかこうやってねじって作るんだな!」
十七番さんは物凄く興奮している。
これはゼウスが言うところの現代知識だ。
この世界ではもっと大変な工程が必要だった。
「十七番さん、ねじを任せてもいいですか?」
「任しておけ! きっちりやってやるよ!」
僕もそれなりに器用だけれど、十七番さんの手際の良さ、仕事の正確さには負けてしまう。それは長年の経験もあるだろう。
案外、僕と十七番さんの相性はいいらしい。
設計図を描く僕と実行する十七番さん。
そこにゼウスがいれば、何でも作れる気がする。
僕たちの木工作業は二日続いた。
試運転の末、出来上がりを確信した僕はクートゥ様に報告する。
そして始まるお披露目のとき。
僕は成功を確信していた。
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