第4話「私が君を呼んだのは――知性を感じたからです」

 ブローム様のことは何も知らない僕だけど、彼が構える屋敷を見たとき、クートゥ様が言っていた『奇人』の意味を知ることができた。歪んだ石柱や壊れかけの屋根。ひび割れた壁に継ぎ目だらけの窓。一つとしてまともな箇所がないくらい酷かった。まるで建ててから五十年ぐらい経っているような……


「だがヘルメス。推測するとこれらの材質は新しいぜ」


 胸元に隠したゼウスが小声で僕に囁く。

 つまり、元々歪んでいたり壊れていたりひび割れていたり継ぎ目だらけでいる材料を選んで建てた――意味が分からない。


「あの、ご主人様……」

「黙れ。ブローム様がお見えになる」


 クートゥ様は些か緊張しているようだった。屋敷に来た貴族に対し、毅然とした態度で応対していたはずなのに、件のブローム様のことを尊敬しているのか、あるいは警戒しているのか……


 玄関と思わしきところで「ブローム様、クートゥ・クローリングが参りました」と正式な名乗りを上げた。すると中から屈強な褐色の肌をした使用人――古傷だらけだ――が門を開けて「どうぞこちらへ」と案内してくれた。クートゥ様は夏とは関係なく汗をかいていた。


 僕はクートゥ様の後を追って歩く――中も奇妙なところだった。黄色と紫を基調とした壁や天井、家具や装飾品が敷き並べられている。目がちかちかするほどの色彩。一体いくらの金をつぎ込んで彩らせたのだろうか。


「あまりきょろきょろ見るでない。無礼であろう」

「失礼しました……あまりに珍しくて……」


 小声でクートゥ様に叱られてしまった。

 しかし気をつけてもあたりを眺めてしまうのは否めない。

 クートゥ様に分からぬように見ていると、客間の前に来た。


「ブローム様、クートゥ様がいらっしゃいました」


 褐色の使用人が扉を三回叩いた後に用件を言うと「はい。通してください」と中から声がした。

 どんな奇人がいるのだろうかとクートゥ様の後ろから続くと、そこには国の正式な着物『ガトー』を着ている立派な貴族がいた。


 ガトーは帝族と貴族、市民にだけ許された服で、通気性の良さそうな一枚布でできたものである。今は夏なので長さはさほどではないが、この着物を買うには奴隷が一年分働かないといけない。


 そのガトーを身に着けているのがブローム様なのだろう。意外と若く二十代前半で口髭を少し蓄えている。髪は茶で少しカールしていた。知性を感じる顔つき。手には羊皮紙の束を持っており、椅子に座って何かを読んでいたみたいだ。


「久しぶりですね、クートゥさん。お元気そうで何よりです」


 客間も黄色と紫で色塗られていたけど、家主のブローム様はまともな口ぶりをしていた。

 それが逆に奇妙に映る。普通の対応ができるのに、変な屋敷を作るなんて……


「ブローム様におかれましても、ご健勝のことと――」

「ええまあ。ところでそこの少年が、あの風呂屋を作ったのですか?」


 クートゥ様の言葉を遮って僕に注目するブローム様。

 貴族様に直答なんてできないので、僕はその場に跪く。


「かしこまらなくていいですよ。えっと、クートゥさん。あなたに運用を任せている資産についてですが、今日はサムに報告していただけますか? その間に私はこの子と話しますので」

「は、はい。かしこまりました!」


 案内してくれた使用人はサム、という名らしい。

 二人は別の部屋へと移動してしまった。

 残されたのは椅子に座ったままのブローム様と跪いている僕、そして胸元のゼウスだけだ。


「楽にしてください。何なら椅子にでも座りますか?」


 ブローム様はまるで気心知れた友達のように、奴隷の僕に椅子を薦めた。

 とんでもないとばかりに僕は首を横に振った。


「ああ。直答を許します。喋っていいですよ」

「……椅子に座るなんて奴隷の僕には許されません」


 むしろ椅子を作る立場の人間だ。

 ブローム様は「そうですか」と納得したように頷いた。


「私が君を呼んだのは――知性を感じたからです」


 唐突に用件を言うブローム様――堅苦しい文言より分かりやすく、僕から切り出さなくて済んだので良かった。しかしあまりにも単刀直入だったので驚いたのは事実だ。さらに内容が思いもかけないことだった。


「ただの奴隷に、知性などありません」

「では君はただの奴隷ではないですね。あの設計は――素晴らしかったですよ。ところどころ休めるようにベンチを配置するのも良かったですし、以前の設計図と見比べてもセンスを感じます」


 このとき、ゼウスが「厄介なことになりそうだな」と呟いた。


「だがチャンスでもある――ヘルメス、自分を高く売れ」


 ゼウスの指示を聞いて、僕は「そう言っていただけると嬉しく思います」と言う。


「自分の仕事を認められるのは、正直言って気持ちがいいです」

「素直な反応も気持ちいいですよ。やはり子供は素直でなければいけません」


 ブローム様は首筋を触りながら「さて、ここからが本題です」と切り出した。

 今までのはただの確認に過ぎなかったのか。

 僕は背筋を整えた。


「君は奴隷であるのにも関わらず、優れた知性の持ち主です。話していてもしっかりとしています。だから――私の使用人になってもらいたいのです」


 使用人、つまり解放奴隷となってブローム様に仕えるということだ。

 僕は「本気で言っていますか?」と無礼だけど言ってしまった。


「本気ですよ。私は冗談を言いません」

「……それほど、僕を買っていると?」

「そのとおりです」


 目から鱗が落ちる話だった。こんなに早く解放奴隷になれるなんて――

 ブローム様は「使用人の仕事内容を言いましょう」と続けた。


「私の仕事である『大ロムルス帝国計画』に参画していただきます。ま、一種の都市改造計画なんですけど」

「大事業ですね……」

「優れた設計士と現場監督が必要なんですよ。だからこそ、君のやり方、そしてセンスが役立つのです」


 ここでようやく、先帝陛下に『奇人なれど得難き男』と評された理由が分かった。

 身分など関係なく、役に立つ人間を集めている。

 異常としか言いようがない……


「もちろん、計画が終わった後は好きにしていいです。解放奴隷なら市民権を獲得できます。クートゥのように商人にもなれます」

「僕にしてみれば美味しい話ですね」

「当たり前です。乗ってくれるように話していますから」


 本当に乗りたくなるような条件を話してくれる。

 今すぐにでも頷きたいくらいだ。

 だけど、そのときゼウスが「話の展開が気に入らねえなあ」と言い出した。


「この世に最初からトレビアンな話なんてねえ。何か裏があるはずだ」


 どういうことだろう?

 僕はゼウスの話に注意しつつ、ブローム様の話を聞いていた。


「もし不出来なものを作ったら? 失敗したときのペナルティは? それに計画はいつまでかかる? その間の賃金は発生するのか? 出来高払いなのか? そもそもクートゥと話がついているのか? こういう大事な話がない以上、乗らねえほうが正解かもしれねえ」


 ゼウスの言うとおりだった。

 いろんな不備があるけど、一番はクートゥ様の合意がないとご破算な話だ。

 だから――


「あのう。ご主人様とは話しましたか?」

「いいえ。これからします」


 案の定、適当な返事が返ってきた。

 さて、これからどうやって断ろうか……


「恐れながら、申し上げてよろしいでしょうか?」


 僕からの問いにブローム様は「なんでしょうか?」と表情を変えずに言う。

 今気づいたけど、この方、笑顔で話していない。常に無表情だ。

 考えを悟られないようにしているのだろうか?


「クートゥ様の許可がない以上、奴隷である僕は了承できません。とても魅力的な話であっても、乗るなんてとても……」

「なるほど。筋が通っていますね。というより私の不備でした」

「……それと、ブローム様の期待には応えたいと思います」


 僕はゼウスに言われなかったことを言う。


「己の力で解放奴隷となります。それが叶ったとき、改めて参画したいと存じます」

「己の力で? 君に才覚があることはよく分かりましたが、何かアテでもあるのですか?」


 アテなんてなかったけど、僕は強気に「あります」と答えた。


「そうでなければ、壮大な計画に参画する資格などありません」

「……ますます気に入ることを言うじゃないですか」


 僕は「そして最後の理由ですが」と付け加える。


「僕は僕の力でどこまで成り上がれるか、試してみたいのです。突然与えられた幸運で解放されるなんてたまったものではありません。ブローム様が認めてくださった才覚でどれほど世界に通用するのか、生きてみたいです」


 無論、ゼウスの助けは必須だけど、ここは大言壮語を叩いておこう。

 自由を知らない奴隷でも、大きな夢が見られることを、貴族様に言おう。


「……あなたの才覚は野心に寄るものでしたか。素晴らしい」


 ブローム様はここでようやく笑った。

 見た目よりもっと若く見えるような笑顔だった。


「しかし大ロムルス帝国計画はいつまでも待てません。それに始動している部分もあります」

「…………」

「今日から一年。その間に必ず解放奴隷になってください」


 ブローム様の宣言された期限に対し、僕は跪いて「かしこまりました」と言う。

 ゼウス以外と約束したのは初めてだった。

 しかも貴族様となんて。


「良い覚悟だ。それでこそだぜ、ヘルメス」


 ゼウスも喜んでくれた。

 いつも思うけど、ゼウスは大事な選択なときはこうしろとか自分の意見を押し付けない。

 助言はしてくれるけど最終的に決めるのは僕だった。

 その関係が心地良い。

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