第3話「僕はゼウスに出会えて良かったと思う」
「どうやったんだ――たった五日で完成させるとは!」
クートゥ様の驚愕した顔と声。
その隣にいる使用人長のパール様も同様の顔をしていた。
僕はできるだけ冷静に「みんなの頑張りのおかげです」と答えた。
「僕は――何もしておりません」
僕の後ろには立派に作られた風呂屋があった。それもクートゥ様が設計したものよりも格段に良い。それもそのはず、胸元に隠れているゼウスの言うとおりに作ったのだから。
「クートゥは建築に関しては二流だな。日当たりやパルプの配管が計算されてねえぜ」
ゼウスはあっという間に設計図を変えて――それもトレビアンな方向に――効率の良い工事に仕上げたのだった。現代知識は凄いというか、凄まじいものだと痛感する。
それだけではなく、奴隷たちは三つの組に手分けして、競い合いながら作らせたのも圧巻だった。普通は三十人で同じところを工事させる。だけど、必ず手の空く奴隷が出ると分かっていたのか、ゼウスは分担させたのだった。
「中もご覧になってください。きちんと出来上がっています。それと休憩用にベンチも作りました」
「……なあパールよ。私がこの奴隷、四十九番を買ったのはいつだ?」
クートゥ様の問いにパール様はほとんど間を開けずに「五年前です」と答えた。
何度も頷きながら「はっきり言って奴隷の購入など覚えておらん」とクートゥ様は言った。
「しかし、ここまで賢い奴隷ではなかったのは分かる。今まで知恵と知識を隠していたのか、それとも入れ知恵する者がいるのか……」
ぎくりとしたが冷静に考えればクートゥ様がその考えに至るのは当たり前だった。
ただの奴隷がこんな立派な風呂屋を建てられるわけがない。
それに、入れ知恵されているのは事実なのだ。
「しかしだ。私はこう考える。逆に利用してしまえば良いと。この四十九番が知恵を使って己を解放する金を稼げば、すなわち私の利益になる――」
何とも強欲な考え方だ。しかしそうでなければ一代で財を稼いで奴隷を大量に養えない。
聞いたところによれば、クートゥ様はしがない商人の三男だったらしい。
「パール、この者に約束の五百シルバを渡せ」
「よろしいのですか、旦那様」
「賭けに負けたのは私だ。貴賎関係なく支払うのがルールである」
パール様はあらかじめ用意していた五百シルバ入った袋を僕に渡す。
僕はそのまま、クートゥ様に「どうぞ、お納めください」と返す。
「……ま、これは予想通りだな」
クートゥ様は余裕で受け取った。
パール様が困惑する中、ご主人様は奴隷の僕に告げる。
「あと二千五百シルバだな」
「できることなら、今後とも機会をいただければ――」
「考えておく。行くぞパール」
クートゥ様は宝石だらけの服をさっと翻し、パール様を引き連れて帰っていった。
僕はふうっと溜息をつき「これで良かったんだろう? ゼウス」と言う。
「ああ。その五百シルバを元手に増やすことも考えたが、如何せん奴隷の身分じゃ無理だ」
「……あと五回、もしくはもっと大金を賭けてないと解放奴隷になれないか」
「どうしたヘルメス。嫌になったのか?」
そんなことはないさと言う前に「おう! 上手くいったようだな!」と十七番さんが僕の背中を叩いた。他の奴隷たちも寄ってくる。
完成した祝いで予算を使い切るほど宴会をしたので、十七番さんたちは僕を受け入れてくれたのだった。
「また別の仕事のときは、俺たち協力するからよ。そんときは美味しい飯と酒、頼んだぜ」
ウィンクする十七番さんと嬉しそうに笑う他の奴隷たち。
ゼウスに言わされたことだったけど、みんなの笑顔が見られたのは素直に嬉しい。
心がぽかぽかしてきた。
◆◇◆◇
「姉さん。上手くいったよ」
「……あなた、そこまで賢かったかしら?」
その日の夜、姉さんと呼び慕っている四十二番さんに報告した――ゼウスに習った報連相というやつだ――すると、四十二番さんは髪をかき上げながら疑いの目を向ける。
「賢くないよ。たまたまに決まっているじゃんか」
「それで五百シルバを稼いだの? 運が良すぎるわね」
この言い方も不味かったかもしれない。
今はゼウスが近くにいない。言い訳は自分で考えないと。
「一つ、たとえ話してあげましょうか」
二人並んで塩スープを飲んでいると、突然四十二番さんが語り始めた。
なんだろうか?
「ある日、あなたの心に悪魔が住み着いた。その悪魔は何でも知っていて、その通りにしたら幸せになれる」
「…………」
「だけどその悪魔はあなたの人生を弄ぶのが目的だったら?」
僕は感情的にならないように「何が言いたいの?」と問う。
四十二番さんは厳しい目つきと険しい顔で「上手い話なんてありはしない」と言う。
「甘い話に乗ったら、どんどん落ちて行って、最後は破滅するわよ」
「……僕はそんなに馬鹿じゃないよ」
「そうね。本当に自分一人で風呂屋を作ったなら、バカじゃないわね」
四十二番さんは僕の顔をじっと見つめた後「おやすみ」と言い残して去っていった。
一人きりで考え込んでいると「まったく、おもしれえ女だな」とゼウスがひょっこりと帰ってきた。
「姉さんの話、聞いていたの?」
「たまたまな。それで、どう思ったよ?」
四十二番さんの話は正しいのかもしれない。
ゼウスは僕の人生を弄ぶために近づいた可能性がある。
このまま言うとおりに従っていいのかと考えなかったことはない。
でも僕はゼウスを信じている。
何故なら、奴隷のままの人生なんて希望が無いからだ。
できることなら解放奴隷になりたい。
そうさ。僕は何を迷っていたんだろう。
ゼウスに従えばいい暮らしができるかもしれないじゃあないか。
そもそも奴隷の僕に失うものなんてないんだ――
「僕はゼウスに出会えて良かったと思う」
「お。嬉しいこと言ってくれるねえ。トレビアンだぜ」
「もっといろいろなことを教えてほしい。そして奴隷から解放してくれ」
たとえ話のように、ゼウスが悪魔だろうが関係ない。
悪魔以上の邪神でも構うものか。
それほど、ゼウスの持つ知恵と知識は得難いものだった。
◆◇◆◇
それから八日後。
僕はクートゥ様に呼び出された。
粗相をした覚えがない。反対に褒められることもしていなかった。
「四十九番。今日はお前に命じたいことがあるのだ」
僕は跪いて「なんでしょうか、ご主人様」と問う。
「風呂屋を完成させた話を『とある方』にしたところ、お前に大層興味を持たれてな」
「とある方、ですか?」
いまいちピンと来ていない僕に、ゼウスが「もしかすると『貴族』かもな」と呟く。
「大金持ちが敬語を使うのは貴族と『帝族』ぐらいだからな」
「…………」
その予想は当たっていて、クートゥ様はもったいぶりつつ、その方の素性を告げた。
「貴族であらせられるブローム様だ。ブローム様のことは知っているか?」
「いえ、名前も今初めて聞きました」
「そうか。ブローム様は『奇人なれど得難き男』と先帝陛下に評されたほどの賢いお方だ」
奇人と評された人が賢いのだろうか?
僕が不思議に思ったのを敏感に察知したクートゥ様は「常人には理解できないほど賢いのだ」とまるで自分に言い聞かせるように言った。
「ブローム様は是非、お前に会いたいとのことだ。これは名誉なことだぞ?」
「奴隷の僕が、貴族様に? 冗談ですよね?」
「私だって冗談だと思いたい……」
クートゥ様は汗をかきながら「無礼な口を利いたりするなよ」と注意してきた。
「奴隷に礼儀云々言うのはどうかと思うが……」
「本気、なんですね……」
「ああ。いますぐ出かけるぞ」
まるで僕の都合など関係なしに歩き出すクートゥ様。
慌てて後ろについて歩く僕。
「い、今からですか!?」
「当たり前だ。お前の仕事は別の者に引き継がせた。問題あるまい」
何とも手際が良い話である。
胸元のゼウスは「よく分からねえけどよ」と喉奥で笑った。
「なんだか楽しくなってきたな、ヘルメス」
僕は頭が痛いよ、ゼウス。
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