第2話「それで良いんだ。てめえは今、自分の人生を切り拓いたんだぜ、ヘルメス」

「賭けだと? 奴隷のお前が私と?」


 途端に不愉快な表情になるクートゥ様。

 身分を考えたらイライラするのも仕方がない。鞭で打たれてもしょうがないだろう。

 だけど僕はゼウスに言われたように言葉を紡ぐ。


「賭け、という言い方がお気に召さないのであれば、仕事を任せていただく、というのはどうでしょうか?」

「……どんな内容だ?」

「ご主人様は今、風呂屋の設計を頼まれているとのこと。しかし現場では作業が上手くいっていないようですね」

「どうして知っている? 入れ知恵した者の情報か?」


 僕はゼウスの言ったとおりに言うだけだ。

 多分、ゼウスが嗅ぎ回った情報なのだろう。

 僕は続けて「その作業の監督を僕がやりましょう」と言う。


「あっという間に仕上げてみせます。予算と材料と奴隷をくだされば」

「そんなことを言って、予算を持ち逃げするつもりではないだろうな!」


 そう怒鳴ったのは使用人長のパール様だった。

 僕は努めて冷静に「見張りを付けても構いません」と言う。


「五日間で風呂屋を作ってみせます」

「なるほど面白い。その賭けに乗っても良いと思える」

「旦那様! それは早計かと!」

「まあ待て。賭けというにはきちんとした賭け金が必要だ……私の何を望む?」


 僕はゼウスに言われた通りの額を提示する。


「はい。五百シルバいただけたら嬉しく思います」


 五百シルバあれば一年間は遊んで暮らせる。

 しかし解放奴隷となるにはその六倍は稼がないといけない。

 だったら風呂屋を作った見返りとしては妥当だろう――


「ふむ。分を弁えた額だ」


 クートゥ様は感心したように頷く。

 前々から思っていたけど、知識人なだけあって、そこの公平さは持ち合わせているようだ。


「ならばお前は何を支払う? 払えるものがあるのか?」


 改めてクートゥ様に問われる。

 このとき、ゼウスからの指示はなかった。

 それは『自分で自分の価値を決めろ』と言われているみたいだった。


「僕の全てを賭けます」

「…………」

「この先、いくら働いても解放奴隷にはなりませんし、何なら命を捧げても構いません」


 ゼウスから習った、いわゆるオールインだ。

 そうでなければクートゥ様の心は動かない。


「奴隷なのに、度胸のある奴だ……良かろう! お前に任せよう」


 胸元のゼウスがもぞもぞと動いて僕に囁いた。


「それで良いんだ。てめえは今、自分の人生を切り拓いたんだぜ、ヘルメス」


 上手くゼウスに乗せられた形になったけど。

 その言葉を言われた僕は――自分が誇らしいものに思えた。



◆◇◆◇



「バッカじゃないの! ご主人様とあんな賭けして! 殺されたらどうするのよ!」


 夜――僕たち奴隷は集合地区で暮らしている。

 当番でない限り、屋敷で一晩過ごすわけではない。

 奴隷だけの共同生活をして、屋敷に通うようになっていた。


「大丈夫だよ。心配しないで姉さん」

「あなたはいつもそう! 心配するなってほうが無理だわ!」


 先ほどから僕に説教をしているのは、二つ上の奴隷の四十二番さんだ。

 同じクートゥ様の屋敷で働いている。

 奴隷だけど、褐色の肌に顔立ちは整っていて、つり目だけが気になる美人さんだった。

 僕が唯一、姉として慕っている人である。


「ほら。せっかくの食事が冷めるよ。今日は珍しくスープなんだから」

「具も無い塩スープだけどね……よくもまあ美味しそうに食べられるわ」

「味の好き嫌いはないから」

「そうじゃない。あんな賭けしてよく平然と食べられるって話」


 皮肉を最大限に効かせたことを言いながら、僕と同じように地べたでスープを啜る姉さん。

 しばらく黙っていると「勝てる自信があるの?」と訊ねてくる。

 その声は震えていて小さかった。


「なかったら言い出さないよ」

「……あなたが死んだら、誰と一緒にご飯を食べればいいの?」


 よく分からないことを言われたので「えっ? 別の人と食べればいいよ」と反射的に答えてしまった。

 その瞬間、スープの器を叩きつけて――中身は空だ――他の奴隷がこっちを向くほどの大声で怒鳴った。


「もういい! あなたに期待した、私がバカだった!」


 いかり肩でそのまま自分の寝床へ行ってしまう姉さん。

 その背中に奴隷たちが「痴話げんかもほどほどにな」と声をかけてくる。


「トレビアンな女だぜ。今のうちに唾でも付けておけよ」

「……奴隷の両親から産まれる子は奴隷だよ」


 胸元で軽口を叩くゼウスに僕はすげなく応じた。

 それから誰にも聞こえないように「どうやって五日間で風呂屋を完成させるんだ?」と問う。


「僕にはとてもじゃないけど、そんな知恵なんて浮かばない」

「安心しろ。俺には知識がある。大船に乗る気分でどっしり構えろ」

「……ゼウスは不思議だね。言葉を聞くだけで不安がどこかへ飛んでいく」


 僕の命が懸かっているのに、何故か穏やかな気持ちのままでいられる。

 それもまた、ゼウスの使っている『現代知識』というものだろうか。


「ま、僕はゼウスの言うとおりにするだけさ。それで上手く行けば上々だよ」

「お。だんだん分かってきたじゃあねえか。流石、俺のパートナーだな」

「褒められている気がしないよ、ゼウス」


 穏やかな夜が過ぎていく。

 明日から頑張らないとな。



◆◇◆◇



「みんな。今日一日は日頃の疲れを癒してほしい。お酒と料理を用意したから、自由に飲み食いしてくれ」


 決意を新たにしたというのに、何故か奴隷たちの宴会を行なうことになった僕。

 てっきり昼夜問わずに工事をすることになったと思ったのに。

 なんだか拍子抜けである。


「おお、こりゃ凄い! 上等な酒だ!」

「こんな料理、食ったことがねえ!」


 三十人の奴隷たちは我先と料理とお酒に群がる。

 美味しいものを食べる様は見ていて好ましいけど、一日を無駄にしていいのだろうか?

 肩に乗っているゼウスは「おい、ヘルメス」と僕に耳打ちした。


「奴隷たちの器のどんどん酒を注げ。それから……」

「……どういう意図があるのか分からないけど、言ってみるよ」


 僕はまず、奴隷のまとめ役の一人である十七番さんに酌をした。

 顔に火傷の跡がある強面だったけど、酒のせいか上機嫌で受けてくれた。


「おう! ありがとな! しかし四十九番が指示出すって聞いたときはふざけんなと思ったが……」

「ご主人様と賭けをしまして。五日間で風呂屋を完成させるようにと」

「な、なにぃ!?」


 それを聞いていた十七番さんと他の奴隷が酒を喉に詰まらせた。

 喋れるようになった十七番さんが「無茶な賭けだな」と正直に言う。


「どんだけ急いでも十日はかかる」

「ええ。ですから諦めることにしました」

「……どういうことだ?」


 訝しげに僕の顔を覗き込む十七番さんと他の奴隷たち。

 僕はゼウスに言われた通りのことをそのまま話した。


「最後にみんなの笑顔が見たくて。間に合わないのなら予算を使って楽しく宴会がしたかった」

「お、お前……」

「ふふふ。でもまあ間に合わせるための考えはありますから。今日だけは何も考えずに飲み食いしてください」

「…………」


 十七番さんは器に残った酒を一気に飲み干して、近くにいた奴隷たちに言う。


「聞いたか? こいつは大馬鹿野郎だぜ? 自分の命を捨ててまで、俺たちに飯と酒をくれたんだと」


 奴隷たちは酒を飲むをやめて僕に注目し始めた。


「そんな野郎を――捨てておけるか!? おけねえよなあ!」


 十七番さんの声に呼応するように、奴隷たちは酒を飲み干して「おう!」と喚いた。

 そして自ら仕事道具を取りに向かい出す。


「良いんですか? まだ酒は残っていますよ?」

「出来上がった後に飲んだほうが美味しく感じるさ」

「……酔っているんですか?」

「自分に酔っているって意味だとそうだな。だけどよ、お前の心意気のせいで――もう覚めたぜ」


 何故かやる気を出し始めた奴隷たち。

 ゼウスは「これがやる気を出させる方法だ」と得意げに言う。


「今まで良い思いをさせてくれなかった者は、恩義を感じたらやる気――なんでもしてやろうという気概が生まれるもんだ。まさにトレビアンだぜ」


 よく分からないけど、皆がやる気を出してくれたのは嬉しかった。

 準備ができた十七番さんが「指示を出してくれ」と僕に言う。


「それではまず、十人の組を三つ作って――」

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