奴隷と異世界人 ~現代知識チートで成り上がる~
橋本洋一
第1話「てめえの人生、それでいいのかよ?」
「てめえの人生、それでいいのかよ?」
埃だらけで物があちこち置いてある倉庫を『ご主人様』に掃除するよう命令されて、とりあえずモップで床をごしごし磨いていると、突然ドブネズミに話しかけられた。僕は少しの間、きょとんとしていたけど、すぐに作業に戻った。
「おいおいおい! そこは無視するところじゃねえだろ! ネズミが人語を話しているんだぜ? 腰を抜かすか大声を出すんじゃねえのか?」
「……腰を抜かしたら掃除ができないし、大声なんて出したらご主人様に怒られる」
僕の言っていることは伝わるのかなとぼんやり思いつつ、ドブネズミに話しかけてみる。
すると「案外冷静じゃあねえか」とにやにや笑っている――ように見えた。
「というより、ドブネズミが話せないほうがおかしい。しょっちゅう家の中で物をつまみ食いして、見事に逃げおおせるんだから。人の言葉を理解しているとしか考えられない」
「へえ。そういう考え方もあるんだな。トレビアンだぜ」
ドブネズミは感心したように僕を眺めまわす。
ぼろ布を着た僕みたいな奴隷なんて、この世界には大勢いるというのに。
まるで『珍しそう』に眺めまわす――
「なかなか度胸がある。頭も悪くない。それに俺の言葉を理解できる。ま、及第点だな」
「よく分からないけど……」
「それでだ。最初の問いに戻るぜ――てめえの人生、それでいいのかよ」
僕の人生……奴隷としての一生だろうか。
それは仕方のないことだ。父さんと母さんの、そのまた父さんと母さんが戦争に負けて、僕は奴隷として売られて、今のご主人様に買われてしまった。もう父さんと母さんの顔は覚えていない。五才の頃の話だから。
それから六年経って、鞭で打たれることも無くなって、今の生活がある。
「良くはないけど……」
「だろう? だったらよ、俺と組まねえか?」
奴隷がドブネズミと組む。
汚いもの同士、傷を舐め合おうとでも言うのだろうか?
「そうじゃねえ。俺がてめえに知恵を貸す。そうすりゃあすぐに奴隷から解放される。ついでに大金持ちになることだって可能だ」
大金持ちになることがついで?
まあ『解放奴隷』になれれば可能性は出てくる。
そのためには『自分を買う』ほどの大金が必要だけど。
「もちろん、俺にもメリットがある。ドブネズミのまま一生を終えたくない。だからてめえに知恵を貸していい暮らしをさせてほしいんだ」
「それは分かるけど。でもさ、どうして僕なの? 他にもいっぱい奴隷がいるじゃないか」
特別、頭が良いわけではない。
身体だって強くないし、顔立ちだって普通だ。
唯一、変わっているといえば髪の色だ。カラスのように真っ黒な髪。
だからよく番号じゃなくて、黒いのとか言われる。
「てめえの物怖じしねえところが気に入った。それによ、俺の勘が働いたんだ。この奴隷なら『いける』かもってよ」
「……そもそも、奴隷じゃなくてもいいじゃないか」
「奴隷以外に俺の話を聞く奴なんているか? 現状に満足している身分や立場の人間は足りねえんだ」
「何が足りないの?」
徐々にドブネズミの言葉に惹かれていく僕がいた。
どうしてだろう?
「野心だ。このままじゃあ良くねえって思える強い心。この世全てが欲しいと思う飽くなき欲求。そういうもんは小さい頃のハングリーな経験がないと生まれねえんだ」
「……ねえ。まず僕はどうすればいいの?」
気がついたらドブネズミに教えを乞いていた。
するとドブネズミは「まずは読み書き計算を教えてやる」と得意そうに言う。
「大金持ちになるには必須だしよ。それからいろんなことを教えてやる。俺が『前世』で学んだことを全てその頭に刻んで叩き込んでやろう」
「ぜんせ? なにそれ?」
「そのうち分かる」
ドブネズミは「てめえは俺と組むって決めたんだな」と確認してきた。
僕は迷う間もなく「うん」と頷いた。
よくよく考えれば、僕に損はないからだ。
「トレビアン! いい返事だ。さて、これで俺たちは一蓮托生のパートナーになるわけだが……てめえの名前、聞いてなかったな」
ドブネズミがうっかりしていたって顔をした。
僕は「名前なんてないよ」と手を振った。
「四十九番って呼ばれている」
「縁起の悪い番号だな……そうだな、この世界は名前が先だから……」
ぶつぶつと這い回りながら考えるその姿は、なんだか愛嬌がある。
そして決まったのか「よし。こうしよう」と胸を張るように言う。
「今日からお前はヘルメス。ヘルメス・ブラックだ」
「ヘルメス……四文字だし覚えやすいね」
「ああ。ブラックはお前の髪色から取った。ヘルメスは俺がいた世界だと神様なんだぜ」
ヘルメス・ブラック……
なんだか、初めて僕の人生が始まった気がする。
「そんじゃここの掃除をささっと済ませて勉強でもしようや。まずは足し算からだ」
「うん……あ、ちょっと待って」
僕はドブネズミに大事なことを聞くのを忘れてしまった。
ドブネズミは怪訝そうに「なんだよヘルメス」と首を傾げた。
「僕、まだあなたの名前、聞いてない」
「……おっと。そうだった。この俺としたことが、うっかりしていたぜ」
ドブネズミは器用に前足で組んで「そうだな、てめえがヘルメスなんだから……」と少し考えて、それから満足そうな顔をした。
「ゼウス、とでも名乗っておくか」
「ゼウス……」
「安心しろ。名前はそうでも俺は――」
案外、一途なんだぜとゼウスはにっこりと笑った。
よく笑うなあとモップを動かしながら、僕は思った。
◆◇◆◇
「そこの奴隷、ちょっと来い」
うだるほど暑い夏の日。
ちょうどゼウスと出会って二か月が経った頃のことだ。
不機嫌なご主人様と何故か怒っている使用人長に呼び出された。
他の奴隷たちの怖れと憐憫の顔を見ながらついて行く。
「えーっと、この奴隷は何番だったか?」
「四十九番です、旦那様」
中年太りのご主人様――クートゥ様が痩せぎすの使用人長のパール様に訊ねる。
宝石で飾り立てた着物を纏ったクートゥ様は「最近、奴隷たちに変な知恵がついてな」とこちらをちらちら見る奴隷たちを指さす――彼らはすぐに作業に戻った。
「聞くところによると、お前が教えているようだな」
「あーあ。ばれちまったか。だからあんまり教えるなよって言ったよな」
僕の胸元に隠れているゼウスが僕にしか聞こえない声で言う。
僕は足を地面に突いて、頭を深く下げた。
「申し訳ございません」
「罪を認めるのは美徳だが、ここで私は考える……お前に入れ知恵する者がいるのではないか?」
どきりとしたけど、僕は「いません」と短く答えた。
するとクートゥ様は「嘘をつけ!」と怒鳴った。
「知恵と知識が泉のごとく湧き出るはずがない! 誰に唆された!」
「……お言葉ですが、奴隷に知恵や知識がつくことに何の問題があるのでしょうか?」
思わぬ僕の反撃にクートゥ様は言葉を詰まらせた。
すかさず使用人長のパール様が「こちらの仕事を真面目にやらなくなった」と言う。
「何かにつけてやる仕事の量が異なるとか。それでは仕事が進まない」
「奴隷仲間に教えているのは読み書き計算です。何かを誤魔化したりするための悪知恵ではありません」
胸元のゼウスは「トレビアンな反論だぜ」と笑った。
毎晩、ゼウスに教えられた論戦術というやつが役に立った。
「そもそも、奴隷にいい加減な仕事を指図する、使用人のほうに問題があるのではないでしょうか?」
「お前……! 奴隷の分際で!」
パール様が僕に詰め寄ろうとするのを「まあ待て」とクートゥ様が止めた。
しばし口元に生えた髭を触りながら思案する。
「お前はどうやら、他の奴隷と異なるようだ。知恵だけではなく、勇気もある」
「……ありがとうございます」
「それに奴隷が奴隷を教えることは禁じられていない。罪には問えない……が、お前に教えている師は別だ。私の財産である奴隷に余計な知恵をつけたのだから」
クートゥ様はパール様の肩に手を置いて「今日のところは許そう」と鷹揚に言った。
「奴隷に物を教えるのも許す。だが精々足元を掬われぬようにな」
僕はホッと溜息をついた――そこへゼウスが僕に耳打ちしてきた。
それはとんでもない内容だったけど、僕はゼウスを信じようと決めていた。
「お待ちください、ご主人様」
僕はゼウスに言われた内容をそのまま伝えた。
「僕と――賭けをしませんか?」
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