第1部 §4 第3話

 その瞬間、怒りに震えたレインの瞳が、通常のブラウンから、燃えるような銀色に変化する。


 「我らに任せられよ」


 ゾフィは、怒りに我を忘れてしまいそうなレインの肩をポンと叩き、冷静さを取り戻させる。


 そうすると、レインはふぅっと、一つ大きな深呼吸を入れる。すると、彼女の瞳もいつも通り、綺麗なブラウンに戻る。


 「許せないよ。何が純血(トゥルーブラツド)だよ……百年かけてやっとここまできたのに……」


 レインの想いが言葉に滲み出る。


 百年前とは、ルシファーが倒れ、世界の垣根が取り払われ、まだデミヒューマンと人間が警戒しあっていた頃である。


 特に人肉食種だったオークやライカンスロープと、人間との価値観の差は、埋めがたいものだったのだ。


 人肉職種のデミヒューマンの中でも、ルシファーの影響から解放された種族達の多数は、それ以降人肉を好んで食する事はなくなった。この百年はまさに歩み寄りのための時間だったといえる。


 「端的に言うと、今回の武器供与は、このトゥルーブラッドの所行だと?」


 「加えて言えば、トゥルーブラッドは、アカデミーの離反者とも……」


 レーラとゾフィが立て続けに解を導き出すと、レインはコクリと頷く。いわば身内の不始末だと言える。彼女は自らその制裁に乗り出しに来たのである。


 だが、ここで矛盾が生じてしまうのだ。何故なら、彼等を排除しようとする自分達の力は、圧倒的なものがあり、いわば虐殺的行為になりかねないからだ。言わば思想排除である。


 「まぁ、向こうが正義を翳して戦うというのであれば、此方は此方の正義を翳すまで……であろう?」


 ゾフィは、不敵に笑う。しかも何とも力の抜けた笑みである。実は彼女のこういう一面に救われることが、非常に多いレインだった。道徳では語れない、ひねた理屈である。


 レーラがレインの理を支え、ゾフィが矛盾を和らげる。彼女らは、そんな関係だった。


 「私は東に向かう。南北は二人に任せる。一掃して構わない」


 レインはそう言うと、二人に背中を見せて、部屋を出て行くのだった。華奢な背中が何とも痛々しい。しかしこの百年の間、抗争の根幹には、いつも人間が関わっていた。デミヒューマンは戦闘こそ好むが、虐殺を繰り返すのはゴブリンくらいなものだ。


 それでも彼等が用いるのは、精々斧や短剣くらいなもので、世界の均衡を崩すほどのものではないのだ。


 現状、人間が尤も殺生与奪の糧に、思想を振りかざしている。


 レインが出た行った後、二人は、それぞれケースの中から一枚ずつ羽根を取りだし、掌の中でそれをエネルギーに変える。


 すると、ゾフィは右に、レーラは左に、それぞれの背中に片方だけの翼が姿を現し、ゾフィが漆黒の翼で、レーラは純白の翼と、ここにおいても、対照的な存在だった。


 「私が北に向かいます。宜しいですか?」


 「どちらでも良いわ。あの方以上に、派手な花火を上げようぞ」


 二人は、肩を並べて部屋を出るのであった。

 

 それぞれの、行動が始まる。

 

 東門では、すでに疲弊した、ヴェルヘルミナが漸く結界を支えていたが、レインが横を通りかかり、彼女の肩に手を触れるだけで、それが嘘のように精気を取り戻すことが出来る。


 「もうちょっとだけ、踏ん張っててね!」


 レインは行儀良く並んだ白い歯を零しながら、振り返り、ヴェルヘルミナの労をねぎらう。


 「はい!」


 彼女達の関係を知らない周囲のデミヒューマンには、何のことか理解出来ないが、その中において、オーク達だけは、彼女を見るだけで恍惚とした表情を浮かべる。


 「あの人が、そうウガ……」


 まるで至高のデザートを腹一杯に満たしたような幸福感に満たされた表情をしている。確かにレインは、その戦闘的な服装とは裏腹に、非常に良い香りがするのだ。だが、オーク達の感じている香りは、それ以上のものなのである。


 他の者には、それが分からなかったが、確かに彼女の香りは、一つ飛び抜けて良い。エルフ達もそれを感じてはいた。


 レインは、ヴェルヘルミナの結界を突き抜けるが、それはゾフィやレーラのように静かなものではなく、歩いて抜けるだけのシンプルなものだった。


 つまり、結界を強引に破壊しながら、外へ踏み出したのである。


 それから、腰のナイフシース―から、白銀に光る二本一対のサバイバルナイフを抜き出すと同時に、迫り来る弾丸を総て、それで叩き落としに掛かる。


 それそのものは、エルザにも可能なものなのだが、その持続時間と正確性が圧倒的に異なり、格段の速度である。


 そして、ただ叩き落としているだけではない。必要な弾数を、相手に叩き返しているのだ。


 しかも、表情一つ返ることもない。


 淡々とルーチンワークのようにそれを熟して行く彼女が其処にいた。


 そして、レインは一歩ずつ前に進み、ついには、マシンガンを構えていた男の前にまでやってくる。


 彼女は、必要な敵を殺しながら、敢えて彼だけを生かしていたのだ。


 「ば……ばば、バケモノ!!」


 取り乱しながら、どれだけ至近距離で、彼女にマシンガンを乱射しても、それを総て叩き落としてしまう。


 「そうだよ」


 何の感情も躊躇もなく吐き出された、たった一言が、盗賊を震え上がらせた。


 レインは、彼の持っていたマシンガンを、ナイフで真っ二つに叩き斬り、掌底を鳩尾に一撃入れ、失神させるのだった。


 「アンタからは、嫌な匂いがぷんぷんするから、生かしておいてあげる」


 レインはそう言って、軽々と彼を担ぎ、村に戻るのだった。それと同時に、北と南で、天の怒りを示したような轟音が轟き、十数メートルにも及ぶ、土煙と瓦礫が巻き上がるのだった。それは、津波のように、集落の外周へと向かい、広がって行く。


 「ゴメンね。森を傷つけたかったわけじゃないんだけど……」


 レーラとゾフィに、半端な力を振るわせたばかりに、取り返しの付かないことになることは避けたかったのだ。それで二人を失えば、自分が後悔してしまう。それがどれだけ身勝手な言い訳なのかは、彼女自身も解っているつもりなのである。


 集落の中央に彼女達は再び集まる。


 「矢張り、出し惜しみは良くないのう」


 ゾフィは解決の早さに満足した様子だったが、レーラはとくに反応はない。レインの願うことならば、彼女はそれに対してなんの不満もないのである。


 「そうだね。でも、何でもかんでも力で解決しちゃったら、此奴等と同じだなって、嫌気さしちゃっうけど」


 レインは担いでいた男を其処に投げ出す。


 手足はすでに縛られて、身動きの出来ない状況となっていた。


 「拷問でもかけますか?」


 レーラが物騒な一言を言うが、これ自体は今更の会話なのである。


 「それはフィルに任せるよ」


 「そうですね」


 彼からはトゥルーブラッドとの繋がりを聞き出さなければならない。レインは、レーラと会話しながら、西側の空を見つめる。直感的な彼女の視線の配り方は、付き合いのない者であれば、ボンヤリとして見えて、思考のほどが理解出来ないが、二人は、レインが何を考えているのか、直ぐに理解が出来る。


 「行かれるのですか?」


 「うん。後片付けしとかないとね……」


 そう言って、背中越しに手を振りながらレインは前に進み、二人は、レインのその指示に従い、集落に止まることにする。


 そして、彼女の背を見つめる事、数秒の事。


 レインの背中から完全なる一対の翼が現れる。タンクトップはその勢いで裂けてしまったが、彼女はアンダーウェアを身につけており、事なきを得ている。


 薄青く銀色に輝く一対の翼、それと同時に変化した、銀色の頭髪と銀色の瞳は、先ほどの幼げな彼女の風貌を、神々しく神秘的に変化させた。

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