第十六話 騎士の名は

 逃げた先に女騎士。納得いかない状況である。


 さっきまで彼女は洞窟にいた筈だ。

 マップを確認すると他の四人は、いまだ洞窟のところにいる。

 しかし、ミルキィの光点は無い。

 それを示す光点は、何時の間にか俺を示す光点と重なっている。

 つまり目の前の彼女は、幻ではなく本物だ。

 レベル471の化け物と向き合っている形である。


「もしかして……転移系の術か?」

 幾ら何でも速過ぎる。スキルや魔法を使って回り込まれたのかもしれない。

 そう思ったのだが――。

「ふふ、そんな器用なものは使えないさ。目の前の用事を終わらせた後に、走って来たんだ」

 彼女は、背中の冷たい汗が止まらなくなるような事実で、俺の言葉を否定した。

 ある意味、転移術よりも質が悪い。

 素の状態で一瞬で追い付いて、回り込んだということか。とんでもない身体能力だ。

「あ、そう。で、何か用か?」

「私達の様子を見ていたのは貴方だろう?」

 気付かれていないと思っていたが、英雄クラスにその認識は甘かったらしい。

 何時でも追いつけるから、あえて放置していたわけだ。

 だとしたら彼女達があそこに現れた時点で、俺は詰んでいた訳か。

 仕方がない。目の前で見てハッキリしたが、確かにこれは無理だ。

 察知系のスキルか、素で気付いたのかは分からないが、彼女なら、どちらであっても不思議ではない。

 生物としての存在感、オーラが違うというやつか。

 英雄クラスを相手に、常人は選択肢を持てない。それがよく分かった。

 今の俺では、戦闘も逃走も成立しないと、嫌でも分かる何かがあった。

 まあ、逆にここまで差を認識させられたら開き直れる。

 俺は下手には出ず、強気な感じでいくことにした。

「確かに見ていたが、それがどうした? 何か都合の悪いものでも見てしまったか?」

「そんなことはないさ。ただ、ちょっと気になってね。個人的な興味というやつだよ」

 まずは不安要素を一つクリア。

 極秘任務の最中で、秘密を見たから消しにきた、とかではないようだ。

 安心するには早いが、理不尽に殺されるという確率は減った。偶々、現場に出くわした善良な一般人を装って、更に強気にいく。

「物騒な剣を握ってさえいなければ、美人に興味を持たれるのは嬉しいんだがな」

「あー、そう警戒しないでくれ。私は貴方に危害を加えるつもりはない。少し聞きたいことがあるだけなんだ」

「行く手を塞ぎ、名乗りもしない相手を、どこまで信用すればいいのか分からないな。個性的な格好をした盗賊かもしれんし」

 露骨に警戒心を露わにしつつ、盗賊でないかと疑うポーズを取っておく。そうする事で、俺の方は盗賊の類ではないとアピールする事にもなる。

 さて、相手の反応は?

「個性的なって……いや、まさか、この格好で盗賊に疑われる日がくるとは……」

 自分のスカートをつまんで、ショックを受けた表情。気が強そうに見えるだけで、繊細な心の持ち主なのかもしれない。

 揺さぶりを掛けて観察しみるか?

 上手くいけば、優位に立ち回れる可能性がある。

「その場違いな鎧も、胸や肩を見せて、相手を油断させようとしてるんじゃないのか?」

 決して好色な意味に捉えられないように、眉をしかめて、軽蔑気味に格好を指摘する。

「な!? 違うぞ! これは剣を振る際、肩の可動範囲を狭めないようにするためで、いや、私も恥ずかしいのだが……」

 両腕で胸元を隠し、羞恥に顔を赤らめて弁明する。

 激昂するのではなく羞恥に悶えるという反応。気が強そうに見えるのは、顔だけというのが分かった。これはいけるか?

「だったら別の鎧を着るか、改良すればいいだろう?」

「我が一族に代々伝わる鎧で、家を表すものにもなっているんだ。軽々に別のものは着れない。手を加えるなんてのは以ての外だ」

 貴族か、それに近い身分の者。見たまんま何処かの国の高位騎士か。

「何だ、いいとこの人間なのか? じゃあ、身元をはっきりしてくれ。恥ずべきところがないのなら出来るだろう? ちなみに俺はトリエル村の狩人だ。ああ、名乗りはそちらが先にどうぞ。騎士様を礼儀知らずにする訳にはいかんしな」

 名前は言わない。相手の誇りを刺激する。

「む、確かに声を掛けた私が、先に名乗らねばならぬか。危うく礼を失するところであった。気を使わせてしまったな」

「いいさ、それで何処のどなた様なんだい?」

「私の名は……ィ、ルキ……=ローデリオ。リーディア国に所属する騎士だ。今はとある調査任務を受けて、この地を訪れている」

 何だ?

 なぜか自分の名前を言い淀むミルキィ。一瞬見せた羞恥の表情。

 んー? あ、ひょっとして……まあ、つついてみよう。

 リーディア所属。つまりは、この国の騎士。まずはそれが分かって良かった。

 国の守り手である騎士ならば、無闇に自国の民を殺したりはしない筈だ。

 絶対とも言えないが。

 中には選民思想に染まった、いけ好かない騎士もいるだろうから。

 権力に巣くう害虫は、どこにでも存在するのを俺は知っている。

 しかし、彼女がそれだとは思えない。

 実直で誠実さを心掛ける騎士。

 ここまでの会話で彼女からは、そのような印象を受けた。

 大きく間違ってはいない筈だ。力も立場も上なのに、決してこちらを見下さない。威圧的にもならない。人間として好感が持てる。

 もし、これが全部演技だったとしたら、逆に感心する。

 こんな性格で、この容姿。さぞや部下や同姓に慕われているのではなかろうか。

 何にせよ、最悪の事態にはならないと分かって安心した。

 それはそれとして、彼女には、聞いておかねばならぬことがある。

「すまないが、名前がよく聞き取れなかったのだが? もう一度言ってくれないか?」

「う」

 知ってるけどな。

 いや、【共通語】のスキルから分かったのだが、ミルキィという名前は、こちらの世界でも、とても可愛らしいもののようだ。

 とはいえ特別変な名前ではない。音の響きとしても悪くないと思うが、コンプレックスとはやっかいなもの。場合によっては些細な事でも一生引きずる。

 一応、豊かさや健やかさを願う意味も含まれているようなので、名付け親に悪意があるとも思えない。堂々としていれば気にならない名前だ。

「う、あ」

「どうした?」

 早く、その可愛い名前を教えておくれ。

「わ、私の名前か?」

「それ以外に何がある?」

「……ィ、ル……ィ=ローデリオだ……」

 頬を赤らめて、消え入りそうな声で言うミルキィ。だから聞こえないって。

 自分の名前に、そうとうなトラウマがあるようだが、容赦はしない。

「平民相手だからって、馬鹿にしてるのか騎士様? はー、あんたそういうタイプの騎士だったんだ? 俺如きに名乗る名は無いってな」

「誤解だ! け、決してそのようなことは!?」

「じゃあ、早く言えよ。なんだ? ああ、偽名でも考えているのか? 狡い奴だな……」

「私は意味もなく己の名を偽ったりしない!」

「騎士の誇りに懸けて誓えるのか?」

 嘘の名前で誤魔化すという逃げ道を潰しておく。

「勿論だとも!」

 そう答えるよな。うん、この女の性格が分かってきた。

 強さと要領の良さを等価交換したタイプだ。

「だったら素直に名乗れよ。俺って、そんなに難しい事を言っているか?」

「あ、う、その……ローデリオと呼んでくれ」

 不器用な女だ。変に躊躇うから、どんどん言い辛くなるというのに。

「家名なんて聞いてないぞ。やはり何か疚しいところがあるんだな。ふん、ついに馬脚を現したか。名乗りも上げられない騎士とか、いるわけがないからな」

「っ!?」

 暗に騎士失格だと言ってやったら、反論できずに涙目で絶句している。

 実際、まともに名乗る事も出来ない騎士とか大問題なのだが。

 普段どうしているのやら。

「ちっ、悪いが俺は金目のものは持ってないぞ。だったら殺すか? クソ、ついてない。せめて苦しまないように一思いにやってくれよ……」

「っ、っ!?」

 駄目押しとばかりに、本格的に盗賊扱いしてやる。

「さあ、一思いに。あんたの腕なら容易いだろ……」

「――――う、く」

 彼女は屈辱にプルプル震えている。

「――ィルキィだ」

「はあ? 何か言ったか?」

「……ミルキィだ」

「よく聞こえない」

 もっと大きな声で。

「ミルキィだ! 私の名前!」

 はい、良くできました。

「へぇ。で、本当に騎士なのか?」

「そうだよ、私は騎士だ! 盗賊じゃないから!」

 名前一つで、ここまで精神的に追い詰められる騎士も、そうはいないと思う。

「そんなに怒鳴らなくても聞こえるよ、ミルキィ」

「くぅっ!」

「俺の名前はサトル=クゼだ。よろしくなミルキィちゃん」

「う~っ!」

 涙目で睨むな。まったく。最初の時の印象は完全にぶっ壊れたな。

「いい名前じゃないか。何故そんなに嫌がるんだ?」

「嫌に決まっているだろう! 学園を卒業するまで、何度この名前で馬鹿にされた事か!」

「貴族様の通う学園とか、生徒の行儀は良さそうなものだが?」

「表面だけだ。本質は地獄の競争社会だ」

 容姿、能力、家柄も良さそう。騎士学校でも、さぞや目立っていたんだろうな。

 周囲のライバル達も、彼女を追い落とすために、弱点と思える少ないそれを、徹底的に攻めんじゃなかろうか。

 名前を弄るは定番だ。

 簡単に行える。繰り返せる。罪悪感を然程感じない。

 彼女には何ら非がないのだが、だからこそ改善しようもない。

 何より子供は残酷だからな。付属して容赦ない侮蔑の言葉を重ねたりする。

 英雄クラスの才能を持つとはいえ、血の通った人間。

 幼少の頃から、名前を馬鹿にされ続けられたら、トラウマにもなるか。

 だとしたら、少し悪いことをした気になるな。

 今後の展開も考えて……フォローはしておくか。

「ミルキィは御両親に付けて貰った名前なんだろう?」

「……ああ」

「じゃあ、胸を張って名前を口にしろよ。世界で一つの宝物なんだから」

 意識しすぎるからいけないのだ。

 堂々としていれば、からかう奴も減るものだ。

 親の想いが込められているんだから、大切にして欲しいものである。

「そ、そうか。そうだな……親から頂いた大事な名前だものな」

「だな。しかし、こんなことで騎士様が泣くとはな」

「う、うぐ、な、泣いてなどいない!」

 確かに泣いているか、そうでないかでいえば、ギリギリ泣いてはいない。

「涙目なのは確かだけどな。ま、それはそれで可愛い顔だと思うが」

 これが素の表情なのだろうな。

 トロールをぶった切っていた時とは大違いだ。

「へ、変な事を言うな!? 私が可愛いなどと……」

 わたわたと手を動かしながら言うが、満更でもない顔。では、名前をからかったお詫びに、もっと言ってやろうではないか。

「いや、可愛いぞ。普段は美人って感じなんだろうが、今は可愛い」

「ほ……本当にそう思うか?」

「思う。もう少し自信を持て」

 弱っている人間には優しくしておくに限る。

 後で扱いやすくなるからな。

「そ、そうか、大人になって、そんなこと言われたの初めてだから照れるな」

「恋人にでも、今の顔を見せてやれ。幾らでも言ってくれるだろうよ」

「こ、ここ、恋人なんかいない!」

「そりゃ勿体ない。周りの男は見る目が無いんだな」

「そ、そんな……」

 これだけ煽てておけば、悪感情はもたれないかな?

 精神的にも、かなり優位に立てたので、このまま本題に移ろう。

「で、ミルキィ。俺に聞きたい事があったんじゃないのか?」

「あ、そうだった。この辺の地理について聞くんだった」

「地理? 見ての通り、大きな森の中としかいえないが?」

「その森の中にあるものについて、貴方が知っていることを教えて欲しい。ここで狩りをしている者なら、森についても詳しいだろう?」

「さて、どうかな? 俺も、そこまで詳しくはないぞ?」

「そうなのか?」

 マップスキルで完璧に把握できるとはいっても、これまで自分が調べた範囲での話だ。

「ああ、俺が答えられるのは、トリエル村からこの付近までのことだな。それより奥の方になると、足を踏み入れた事がないので答えようがない」

「なるほど。奥に進むにつれて魔物は強くなるし、レベル50にしては能力値も低いから、確かに、この辺りまでが限界か……」

 ステータスを覗かれていたか。

 こんな場所で、見知らぬ人間と相対するなら当然ではある。

 まあ、今は見られても困るものがないからいい。

 固有スキルと創力も見えないようだし、能力の低さが、彼女の警戒心を和らげるのに一役買った可能性もある。

 けれど俺も、これから馬鹿みたいにレベルを上げていかないといけないのだ。

 そろそろ、ステータスの偽装や隠蔽手段を考えないといけないな。

「弱くてすまんな。ミルキィはとても強いのだろうが……」

「いや、別に馬鹿にしたとか、そういう訳じゃないんだ! 気に障ったのなら謝罪する。済まなかった!」

「事実だから気にしてないさ。ミルキィは、レベルとか能力値は幾つあるんだ?」

 レベルは知っているが聞いてみる。

 俺に引け目を感じているようだし、何かポロッと漏らすかもしれない。

「わ、私のレベルか? あー低いとは言わないが、それほど大したものでもない。私より上のレベルなんて何人もいるしな。そんなことよりだ!」

 流石に無理な狙いだったか、答えはしない。露骨に話を逸らされる。

 力をひけらかすタイプには見えないし期待はしてなかったけど、やっぱり情報は隠すか。

 当たり前か。ポンコツに見える彼女も本質は馬鹿ではない。

 こちらだけ情報を知られて不公平な気もするが、隠す力の無い俺が悪いのだ。

 それにしても彼女の口振りだと、英雄クラスはそこら辺に、ごろごろ存在するのか。

 ほんとうに恐ろしい世界だ。

 死の迫り方が半端ない。一刻も早く強くならねばなるまい。

「一応聞いておく。遺跡について何か知らないか?」

「知らん。そんなものがあるのか?」

 初耳だ。それらしき残骸も目にしたことはない。

「ああ、結構な数な。そうか、知らないか……ということは、もっと奥を探さないと駄目か」

「何で、そんな遺跡を探しているのかは……聞かない方がいいな」

「そうしてくれると助かる」

 好奇心は猫を殺す。お偉いさんの事情に首を突っ込むと、碌な事にならない。

「俺なんかに聞くより、近くの村で、聞き込みでもした方が良いかもしれないぞ?」

 ミゲルさんとか、何か知っているかもしれない。

「付近の村々で、やってはいるんだけどな。特に大した情報は……。しかし、これだけ探しても見付からないようなら、改めて聞き込みをしてみるのも手か」

 ラセリアに周辺の地図を見せて貰い、縮尺を聞いた時には驚いた。この『緑渦の森』の面積は、日本の北海道の倍近い面積があったのだ。

 便利な探索系のスキルがあったとしても、大した情報も無しで、目的の遺跡とやらを見付けるのは、かなり難しいだろう。

 探索が行き詰まっているのか、情報の洗い直しも考えているようだ。

「悪いな。役に立てなくて」

「そんな事はない。この辺りには何も無いと分かったのも、十分に有用な情報だ。無駄な時間を過ごさずにすむからな。ご協力に感謝する」

「そうか。それで、他にはもうないか?」

「ああ」

 それだけのことを聞くのに、ずいぶんと醜態を晒したものである。

 いくら強くても、性格がこれだと苦労してそうだ。

 俺に心配されるなんて、ある意味凄い。

 マップを見ると、四つの光点がこちらに近づいてきていた。残りの騎士達だ。

 こいつらが俺に友好的だとは限らない。

「じゃあ、行かせて貰うぞ」

「うむ。機会があればまた」

 話が面倒臭くなる前に、早いとこ帰らせて貰うとするか。

「…………あと、その、名前、褒めてくれてありがとう」

 後ろから聞こえた、そんな小さな声。

 俺は振り返らず、軽く片手を上げ、そこを去るのであった。


 名前で苛めたのも俺なんだけどね。

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