第3章・第3話 蛇の哀しみ
――あたしってさ、結構というか、かなり執念深いのよね。
死ぬ前は、職場で「蛇女」なんて陰口を叩かれたこともあったわ。
執念深い。それって、裏を返せば「割り切りがヘタ」ってこと。ふとしたことで昔の失敗を思い出してへこんだり、ウジウジしちゃったりするの。もっとも、そんな弱みはイコール「隙」だから、人前では絶対に見せなかった。
けど、こと自分の内面、と言うか根幹を揺さぶられると、そんなマイルールを守ってなんかいられないと、今さらながらに思った。つまりどういうことかと言うと、ね? ユウヤと比べた時の、自分の「空疎さ」が、ボディーブローのように、じわじわと効いてきたわけ。いったんは笑い飛ばしたけど、まさしくの時間差で、ウジウジすることになってしまった。
「んー……」
ユウヤの「恋愛講義」は終わった。バカ正直なぐらいに「あたしの方を向いて欲しい」と思った。世の中「似た者同士」でくっつく(すごく嫌な言い方!)カップルがほとんどだと思ってたけど、「欠落を補完する」のも、惹かれる理由になるんだと、よく分かった。それはいいとして、どうしても気になる。自分が「からっぽ」だという現実、と言うか真実。否定のしようが全くないだけに、痛かった。
人間、本当のことを指摘されると怒るのがパターンだと思い込んでいた。でも、そうじゃなかった。「根っこ」に関わってくると、大いにへこむ。「虚無のために必死になっていた」。あたしのこれまでって、一言で言えばそういうことなんだ。
からっぽ。安物の天ぷらが、衣だけで中身がないように、からっぽ。蜃気楼にたどり着こうとして、全力疾走していた。つまりは無意味。なるほど、世のビジネスマンの中には「具体的な夢」を持って、必死に努力している人もいるだろう。それはそれで立派だと思う。ただ、それは他人の話。他ならぬ「あたし自身」は、ユウヤが言った通り「手段が目的」になっていた。「目的のためには手段を選ばない」んじゃなくて、「手段のためには目的を選ばない」。いや、それ以下だ。目的すらなかった。
……つまらない。なんてつまらない女だったんだろう。
平たく言えば、ものすごい自己嫌悪に陥っていた。
尽きせぬ湧き水のように、自分を責め苛む言葉が次々に浮かぶ。
どれぐらい鬱々としていたかは、分からない。
って言うか、そもそも時間の概念が薄いというか、ほとんどない場所なんだし、まさか自分の中で、秒単位をカウントしているわけがない。
「はあ……」
ため息ばかりが出る。もちろん、呼吸ができないんだから、魂レベルで、だけど。
「ふう……」
多分、これで軽く三十回以上はついているはず。我ながら、辛気くさかった。ただ、まさしくの「負のスパイラル」で、気分は、底なしのフリーフォールのように、どこまでも落ちていった。
「なあ、どうしたんだ? ヘンにブルーな顔して?」
「……えっ!?」
どこか心配げな声がした、と思ったら、ユウヤがこっちを見ていた。一瞬、思考が真っ白になる。
「ち、ちょっと、ね。軽い自己嫌悪にね……」
なぜだろう? 特大の隙を、自分から見せてしまった。腹を上に向けて「降参」の意志を示す犬みたいだった。
「へ? 何をそんなに?」
不思議そうなユウヤの声。力なく、呟くように返した。
「自分の『からっぽ』ぶりを、痛いほど実感して、さ……。ああ、あたしの人生って、何だったんだろう? って……」
腹を見せるにとどまらず、自ら捕食者へすり寄るような言動だった。端的に言えば、史上類例を見ないほど、弱気になっていた。
「んー、一ついいか?」
「……何?」
卑しく屈する、と書いて卑屈。その答え方は、まさしく、だった。
「いくらアンタがへこんでいようが、別に俺には関係ねーんだけどさ、自己嫌悪って優しかねえか?」
「どういうこと?」
自己嫌悪が優しい? 真逆の言葉が同居しているようで、とっさには理解できない。ユウヤが続ける。
「だってよ? 誰だって傷つきたくねーじゃん? 『マジで傷つく言葉』って、ぜってー自分の中からは出て来ねえ。そーゆーのって、『他人』しか言わねえじゃんか?」
説教口調ではないものの、真理を突いていた。言われてれば、確かにそうだわ。ユウヤに通じるとは思えないから、あえて言葉を返さないけど、自己嫌悪とナルシシズムに、限定的側面ながらも、類似性が見いだせた気がする。
「じゃ、じゃあさ、ユウヤも人間だった頃は、自己嫌悪に陥ったことはないの?」
「いや、ないわけねーよ?」
「そんな時は、どうしてたの?」
自己嫌悪の処理方法。今、一番知りたいことだった。ユウヤは、達観したように見える苦笑いで言った。
「あー、俺ってめんどくせえ奴だなー、って笑ってごまかして、無理矢理にでも前を向くんだよ」
「そ……」
言葉に詰まった。悪い意味ではなく、惚れ惚れするほどの男らしさに、だった。
何が何でも、前を向く。そうだ。その通りだ。こんな頼もしさ、知らない。胸が、たまらなく締め付けられる思いがした。分かりやすく言えば、さらにときめいていた。この、ユウヤという男に。
……人生経験は、年齢じゃないんだなあって、この時思ったわね。
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