第3章・第1話 からっぽのプリンセス
――物事が変わっていくのって、ちょっとしたことで一気に、なのよね。
ここから、中も外も、動き始める。良し悪しはさておき。
眠りから目覚めた時、特にユウヤは何も話しかけてこなかった。
何も、矢継ぎ早に話す必然性なんかないだろう。
ただ、やることがない分、退屈なことには変わりがない。
まして、ユウヤへの気持ちが膨らみ始めていることを実感すると、なんだか、いてもたってもいられない気がした。
……落ち着け。万事「急いては事をし損じる」よ。興奮状態にあったのは、眠ったことで少しマシになった。じゃあ、ちょっと今の気持ちを整理するべきね。
と、決意したところで、初手から超重大なことに気付いた。
何かって? 「異性を『能動的に』好ましく思う」ことが、人間だった頃は、全くなかったのよ。
鼻に掛けるつもりなんかないけど、中学生時代から、かなりモテた。告られたことも、一度や二度じゃない。ただ、相手はみんなバカばっかりだった。いかに熱烈であれ、気持ちが傾くことはなかった。高校、大学、社会人。言い寄ってくる男は星の数ほどいた。でもやっぱり、揃いも揃ってバカだった。「こっちから」男を好きになったことは、一度たりともない。
つまり、今の気持ちと照らしあわせてみるに、いかに高学歴であれ、金持ちであれ、中身のない男しかいなかったんでしょうね。この解釈が、すぐにブーメランとして、ざっくり突き刺さることになるなんて、まるで分かってなかったんだけど、揺るがない事実は、ユウヤを魅力的だと思っていること。そして、絶対的に悪いことではないにせよ、繰り返すように、「能動的に誰かを好きになる」ことが、今まで全くなかった。あーあ、初恋って言うにはあまりに遅すぎるし、時と場合を考えれば、あんまりだわ。
は、いいとして。考えがまとまると、やっぱりユウヤのことが気になる。ソワソワしているのが分かった。らしくない。まったくもって、らしくない。ただし、自分の気持ちに嘘がつけるかは、多分無理だと思った。
と、隣から視線を感じた。当然、ユウヤのそれだった。
「何か?」
あー! バカ! なんでそう、素っ気ない受け答えしかできないわけ!? い、いやまあ、変に浮かれるのは、キャラじゃないけど!
とにかく、ユウヤが口を開いた。
「なあ、さっきの話の続き、してもいいか?」
「どの話題について?」
だから! なんでそこで、変にビジネスライクなのよ!? うーん、けど、仕方ないか。こういうシチュエーションでの会話、したことないし。
「夢の話だよ。俺はアンタに話しただろ? こっちも、気になってね」
「あたしの夢について?」
「そ。不公平って意味じゃねえぜ? 俺も興味が湧いたってこと」
やめて、やめて。笑顔が、笑顔が眩しい。そ、それはさておき、ユウヤのリクエストには答えなきゃ。
「あたしの夢はね、もっと偉くなるだったわ」
一言で済む願望だった。実際、こうとしか言いようがない。って言うか、この口調が既に偉そうよね。恥ずかしいと思ったのは遅かった。
「へえ、偉くなって、どうしたいんだ?」
「それは、どういう意味?」
あー! 突き放さないの! 何様!?
「まんまだよ。偉くなりてえのは分かるんだけど、その先は?」
さておき、ユウヤのシンプルな質問に、ものすごく困ってしまった。
「え、えーっと……」
偉くなる。それは間違いのない夢だった。けど、その先って?
「あ、う、えー……」
頭が真っ白になった。率直に言えば、そんなの、今まで考えたことがない。
困った。いくら考えても具体的に説明できない。どれぐらいの間モゴモゴしていたかは分からない。でも、どこをどう探しても、糸口すら見つからなかった。
「……ごめんなさい……」
文字通りの白旗掲揚。花が萎れるように、小声で謝った。思えば、自分から折れることも、過去のいつであれ、まったくなかった。何よりも驚きだったのは、このあたしから、謝罪の言葉をいともたやすく引き出した、このユウヤだった。まるで魔法使いのようにさえ思える。
それにしても、「ありがとう」と「ごめんなさい」。小学生でもわきまえている言葉を、今の今まで言わずにいたなんて、やっぱりおかしいわよね? 自虐してる場合じゃないわ。ちら、と、若き魔法使いを見ると、思い出に浸っているような苦笑いを浮かべていた。
「俺のチームにもいたなあ、そーゆー『手段が目的』になってる奴」
「あうっ……!」
ざっくりきた。まさしくその通りだ。ぐうの音も出ない。
「まあまあ、へこんでてもしょうがねえじゃん? 次の人生で、別の夢を見つけりゃいーだけだし」
「そ、そうよね、その通りよね」
ユウヤの懐の広さに、救われた気がした。
けど、嫌って程分かった。
中身がなかったのは、あたしの方だったんだと。
人間って、似た者同士で引かれあうもの。
他ならぬあたしが「からっぽ」だったから「そういう異性」しか寄ってこなかったんだ。もっとも、この解釈については「ある側面では正解で、別の側面では間違い」だって、後で分かるんだけど。
「うふ……うふふ……」
「あん? どうしたんだ?」
「いいえ、なんでも。でも、ありがとう、ユウヤ。ふふふっ」
「あ、ああ?」
自分の途方もない愚かさと空疎さを実感して、己が滑稽極まりなくて、ただ、声を抑えて笑った。ユウヤは、不思議そうに見ていた。
……真面目な話、ユウヤからは学ぶことが多すぎたわね。今まで覚えたこと全部、意味がなかったなんて。
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