第2章・第6話 バラとタンポポ
――意外さと印象の転換は、なおも続くのよ。
そりゃあもう、「数万年に一度?」ってぐらいに。
もう一つ、聞いてみたかったことがあった。些末なことだけど、どうしても知りたいと思った。
「話は戻るんだけどさ? 最初に聞いたところだと、あなた、バイクに乗ってる時に、カーブを曲がりきれなくて事故を起こしたのよね? 普段から、そんなギリギリのことをやってたわけ?」
この質問の意図は、おかしな言い方だけど、「期待」に近かった。そして、それは裏切られなかった。あえて言えば「優しい苦笑い」で、ユウヤは言った。
「いやあ、それが実はさ? 我ながらしくったなーって話なんだけど、かっ飛ばしてる時に、目の前を仔猫が横切ってさ。避けようと思ってハンドル切ったんだよ。すんでのところで猫は轢かずに済んだけどさ、自分が死んでりゃ世話ねえよ。はははっ」
――耳を疑った。いや、確かにどこかで「こういう答え」を「期待」していたからこそ聞いたんだけど、それでも、だ。
ちょっと、何よそれ!? そんな事で死んだの!? 仔猫の命と自分のそれが、あなたの中の天秤では釣り合うの!? おとぎ話レベルで優しいでしょ、それって!? しかも、笑って振り返れるの!? 普通だったら痛恨の極みじゃない!?
人間としての肉体はなくても、魂レベルでめまいを起こしそうになった。って言うか、起こした。
「あれ? どうかした?」
「い、いいえ、なんでも……」
こいつは「いい奴」だ。見た目に全くそぐわないけど、この彼は、かつて類例を見ないほどに「いい奴」だ。ちょっと比喩としては適切ではないにせよ、マハトマ・ガンジーに肩を並べられるかも知れない。
不思議なもので、一度「スイッチ」(こういう表現もどうなんだろう? とは思うけど)が入ったら、目の前の彼が、一気に「魅力的」に見えてくる。そりゃあまあ「アイドルレベルで!」とまではいかないにせよ、顔は整っている。特に、今気づいたんだけど、目元がそもそも優しい。「可愛いポイント」とも十分言えるだけに、金髪と剃り込みは減点ポイントだけど、それがなかったにせよ、一目見ただけで「ごめん、無理」ってこともない。及第点より少し上、ってところだと思う。
何よりも重要なことは、この彼には「中身」があること。人生経験を総ざらえしても、まずいなかったタイプ。なるほど、彼は「世間一般の尺度では」いわゆる「勝ち組」ではないかも知れない。なにせ中卒、おまけに暴走族メンバー。誇れた経歴でもなし、華やかさともかけ離れている。
ただし、そんな「世間的物差し」が全く無意味に思えるほど、彼の「中身」は充実しているんじゃないかしら。ある側面においては「リア充」と言えるかも。そう思えて仕方がない。
うん。彼は庶民だ。交わることは、多分ないだろう。けれど、「交わる」ことはなくとも「眺める」ことは不快じゃない。
別に鉄オタじゃないけどさ、例えば自分が新幹線だとすれば、彼はさしずめ、地方の、慎ましいけれど地元住民の確たる需要があって走るローカル電車。華麗じゃないけど、味わいがあるのは事実。
花にたとえるなら、あたしがバラだったら、彼はタンポポね。
……自分で言っといてなんだけど、これ、結構的確かも。バラって、一部の野生種を除いて、基本的に実を付けないのよね。他方のタンポポは、お馴染みの綿みたいな種を実らせて、風に乗ってどこまでも飛んでいける。
風は自由の象徴。種はもちろん、子孫のこと。
バラとタンポポ。何もかもが逆。本物の植物なら、接点の作りようがない。だって、バラの花束の中に、一輪だけタンポポが混じっていたら、おかしいでしょ? その逆も然りよね?
けど、あたし達は植物じゃない。今は人間ですらない。でも、心あるもの同士だ。
バラを前に、タンポポが羨むかどうかは知らない。
それでも、タンポポを前にしたバラは、羨ましいと思った。その飾り気のなさが。慎ましさが。ささやかな堅実さが。何より、自由であることが。
彼は……ないものを、全部持っている気がした。
「……その目、なんか、ビミョーにくすぐったいんだけど?」
「えっ? あ、ああ、悪いわね。他意はないのよ、別に」
「ならいいんだけどさ」
どうやら、知らずのうちにユウヤをじっと見つめてしまっていたらしい。慌てて目を逸らす。
おかしかった。まったくもって不明な気持ちが渦を巻く。マイナスのそれではないことは確か。むしろ好ましい類ではある。冷静さを鉄則の是としていた自分が、こうも心を千々にかき乱されている。俯瞰はできても、理解が追いつかなかった。
……ま、この時点で、もう分かるわよね。
そう。ユウヤに惹かれ始めてたわけ。
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